遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 






    これはさきほど書いた鶏が先か卵が先かの付記です。わたしが中島梓さんを知ったのは少女漫画をとおしてでした。当時はいわゆる花の24年組、萩尾望都、山岸涼子、竹宮恵子が意気ようようと時代を切りひらいていました。中島梓さんはそれらの漫画家の優れた評論を書きました。当時中島梓=栗本薫と少女漫画をむすびつけたものはそれによって中島さんが有名になったやおいでした。

    いわゆるやおいについて、その起源は1975年の沢田研二主演のテレビドラマ...「悪魔のようなあいつ」だといわれます。その「悪魔のようなあいつ」に触発され書かれた作品が「真夜中の天使」1979年であって そこからやおいやボーイズラブが少女たちのあいだにブームとなったと言われています。

    しかし、その先鞭を切ったようにも言われる萩尾望都「11月のギムナジウム」1971年「トーマの心臓」1974年 は外見はそのように見えても決していわゆるボーイズラブのものがたりではありませんでした。.....内面世界を補佐するものとしての少女漫画のあり方から、当初少女漫画における「少年愛」とは、手垢にまみれた既製の男女関係の枠組から自由に、「純粋な関係性」のみをとりだそうとした試み....(藤本由香里boy'slobe)だったのです。

    それが変質したのは竹宮恵子”風と木の詩”1976年でした。河合隼雄は少女の内界を見事に描いている」と評し、上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」と言いました。しかし当時のわたしの目には見るに耐えないものとしてうつりました。”ある拒絶される愛”として出発せざるを得ない「少年愛」が、異性愛が 陥りがちな安直なパターンを廃して、「緊張感と葛藤」を維持するための装置であるったにしても(竹宮恵子・木原敏江両氏も中島梓との鼎談(『美少年学入 門』)、性愛をことこまかに描くことに、どんな必然性があるのかわからなかったのです。

    ひととひととの魂の交流を描くにあたって、わたしがもっとも感銘を受けたひとつがアーシュラ・ル・グインの闇の左手です。地球人の主人公アイは文明を超えて異星人エストラーベンとある目的を持って道行きをするのですが、彼(彼女)は男性でも女性でもありませんでした。そこにはゆらめくような情動の向こうに結晶のような精神的な愛がありました。人種を超え、性差を超え、ひとはいかにして魂の餓えを癒すようなコミュニケーション、愛を成就させ得るか....それは永遠のテーマです。肉のみの試みは真に癒されることがありません。ひとたび満たされた器は欲望によってまたカラになる。乞愛はとどまることを知らない無間地獄....です。ですからラブストーリーは結婚か死によってしか終わらない。

   究極の関係性、あるいはものがたりに不可欠なものが”障害”です。男性同士で交わす愛情は歴史の一時期、恥ずべきものではありませんでしたが、やおいの生まれた頃は忌避されるとはいわないまでも認知されることではありませんでした。しかし社会的にとりあげられることでゲイ、ホモセクシュアル、少年愛すべてタブーではなくなってしまった、不倫が文化になりあたりまえのことになって、禁断の甘さを失い、それ以前に婚前交渉があたりまえになり、表面的には身分差別もなく、韓国ドラマで多用される兄妹愛、不治の病、記憶喪失などの使い古されたシチュエーションをのぞき恋愛における障害はなくなってしまったのです。

   しかしながら真の関係性のドラマはまだまだ成り立つとわたしは思っています。ここで突然語りの話になります。ひと昔ふた昔まえ村々の炉端、おひまち、おなごしや男衆のあつまりで語られた80%は色話だったと聞いたことがあります。男女間のむつごとは労働に明け暮れる日々の最も大きな関心事であり娯楽であったことでしょう。ひとびとはかなりおおらかに性を謳歌していたふしがあります。明治以降、性はどのように扱われたか、暗闇でひっそり、あるいは悪所で処理するものになりさがりました。


   語りがおとなのたのしみから、子ども向けのストーリーテリングになり、性的なものはおのずと避けられ、おとなのための語りの会でも、一部役者さんの語りを除けば性的なシチュエーションは注意深く排除されることになりました。たとえば”つつじの娘”において、娘は5つ山を越えた村のわかものを恋い慕って通うのですが、その表現は 「夜も寝ないで語り合う日がつづいて、わかものはしだいにやせ、かおいろもあおざめていった」松谷みよ子....とされています。そのような飛躍があるために魔物ではないふつうの娘が聴き手には魔物に聴こえてしまうこともあるようです。それでも、つつじの娘....を語る語り手は多く、高学年の少女たちは目を見開いて聞き入ります。


    さて、ふたたび”やおい”あるいはボーイズラブに戻ります。やおいとは成長を忌避、女性性を拒否して、少年として男を愛したいという少女の内面の欲求のあらわれという説が有力だそうです。昔、若い世代には若い衆宿?というものがあった..と亡くなった叔母から聞いたことがあります。少女から一人前の女性への橋渡しはどのようにおこなわれたのでしょう。......今、徐々に中学校での読み聞かせやストーリーテリングの動きがあるようですが、絵本だけでなくもっと語られていいものがたりがあるのではないかと思うのです。愛することはとてもたいせつなことです。それは自らの男性性、女性性を自覚し、いとおしむことからはじまります。

   わたし自身は今、おとなのための語りに、自然に性が語られていいのではないかと思っています。隠すから隠微になる、興味本位にすると品位は下がる、さりげなくふつうに語ればいい、性をふつうに語ってはじめて、その奥にある男と女の関係性、ひととひとの真も伝わるのではないかと思っています。緊張感を維持するにはさまざまな技法があるのではないでしょうか。もちろん目的は性そのものではなく、性描写をつまびらかにすることではありません。

   筆が足らず、まとまりのない話になってしまいました。中島梓さんのことから、この春 とりくんできた、「さくらひらひら」「たまゆらの紀」など性の彼方にあるひととひととの係わりについて語ったものがたりとつながって思わず書いてしまいました。でも、これでよかった、いつかは書かなくてはならなかったとすこしほっとしています。そして、少女漫画の歴史を変えた”11月のギムナジウム”(萩尾望都)が有志によってアニメ化されたとき、エーリクの母親役をやらせていただいた、そこに語り手としての原点があったのかもしれない、と今思いついた次第です。中島梓さんに心から感謝します。あわせて遅ればせながら米澤嘉博さん(コミケット二代目代表)のご冥福を心からお祈り申しあげます。
(原田さん お元気でしょうか)




闇の左手 光は暗闇の左手、暗闇は光の右手。生と死。(男と女)ふたつはひとつ。


やおいとは

やおいウィキペディア

風と木の詩

トーマの心臓

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   作家であり評論家であった栗本薫(中島梓)さんが亡くなりました。わたしはグインサーガは10巻あたりで離脱、読んだ小説はたぶんキャバレーと真夜中の天使だけでファンではありませんでした。多作のせいだけではない、ある種の粗雑さがわたしには合わなかったのかもしれません。

   ですが、同時代を生きた中島梓さんが亡くなられたことに衝撃を感じています。戦士の死という趣があります。乳癌、すい臓癌になっても書き続けた栗本薫さんにとって、書き続けることに意味があったのだと思います。「文学における物語性の復権」を標榜した中島梓さんは デビュー前から少女漫画の熱烈なファンでした。オリジナリティを重視せず いわば再話の作家でした。少女漫画から影響を受け...たしか特に竹宮恵子さんのファンだったと思います。.....漫画に影響を受けた作品を書かれたし、グインサーガにもあちこちで見たなつかしいものがちりばめられていたように思います。

   アクティブな作家でした。小説以外でも演劇、音楽 心踊るままに手を伸ばし、それがまた小説に影響を及ぼしました。個人的には作家としてより評論家としての中島梓さんに興味がありました。その方面でもっと活躍してほしかった。

   わたしはこのところ ものがたりが先か、それとも語り手(ストーリーテラー)が先か考えていたのです。ふつうの感覚ならまず ”ものがたりありき”なのでしょう。しかし、語り手はすでにものがたりを内抱する....ものがたりを生むのは語り手なのだ....と思いました。もちろんそのことはものがたりが語り手のモノという意味ではありません。幾度も幾度も書いているように語り手は橋でありつなぎ目です。

   語り手はものがたりを伝えるのでなく、ものがたりのなかのいわば光を、”響きとして”伝えるのだと思っています。光は闇があってはじめて存在します。ものがたりは汲めども汲めどもわきあがってきて、語り手、ストーリーテラーをときに苦しくさえします。ひとりひとりの語り手は、だれもその跡を継ぐことなどできない唯一無二の存在なのです。ひとりの語り手(ストーリーテラー)の死はいくつものものがたりが孵らずに土に帰してしまうことに等しい....。けれど それはもちろん意味がないことではない。30年たって文庫が本屋から消えうせたにしても、語られたものがたりが表層の記憶から忘れ去られたにしても、その時代、その場所で幾多のひと、あるいは数名のひとの魂を熱くさせたことは消え去りはしないのです。栗本薫さんはもぎれもなくストーリーテラーのひとりでした。

   ”茨木伝説”をテキストにしました。小説とは違い、語るにあたっては、時間という制約がありますから、わたしはひとつのものがたりを15分から17分くらいにまとめるようにしてきました。けれども茨木はそれでは充分に語りつくせませんでした。前回の”林檎の木”といい、2回、3回にわけて語ることも視野に入れようと思います。カナダの語り手 キャシーのものがたりは3回にわけて語られましたが、待つ時間がとても豊かであった記憶があります。語りたい.....という思いにつき動かされ支えられて”今”があります。この時代のなかで置かれた環境のなかで、それは贅沢に過ぎると思いながら、今日も午後会社を休んでカタリカタリに行きます。


......小説のこと、ご子息のこと、心残りがあったことと思います。あなたは十二分に戦い、傷つき なお書きつづけた....悩める少女たちに手を差し伸べました.....中島梓さんのご冥福を心からお祈り申しあげます。





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