作家であり評論家であった栗本薫(中島梓)さんが亡くなりました。わたしはグインサーガは10巻あたりで離脱、読んだ小説はたぶんキャバレーと真夜中の天使だけでファンではありませんでした。多作のせいだけではない、ある種の粗雑さがわたしには合わなかったのかもしれません。
ですが、同時代を生きた中島梓さんが亡くなられたことに衝撃を感じています。戦士の死という趣があります。乳癌、すい臓癌になっても書き続けた栗本薫さんにとって、書き続けることに意味があったのだと思います。「文学における物語性の復権」を標榜した中島梓さんは デビュー前から少女漫画の熱烈なファンでした。オリジナリティを重視せず いわば再話の作家でした。少女漫画から影響を受け...たしか特に竹宮恵子さんのファンだったと思います。.....漫画に影響を受けた作品を書かれたし、グインサーガにもあちこちで見たなつかしいものがちりばめられていたように思います。
アクティブな作家でした。小説以外でも演劇、音楽 心踊るままに手を伸ばし、それがまた小説に影響を及ぼしました。個人的には作家としてより評論家としての中島梓さんに興味がありました。その方面でもっと活躍してほしかった。
わたしはこのところ ものがたりが先か、それとも語り手(ストーリーテラー)が先か考えていたのです。ふつうの感覚ならまず ”ものがたりありき”なのでしょう。しかし、語り手はすでにものがたりを内抱する....ものがたりを生むのは語り手なのだ....と思いました。もちろんそのことはものがたりが語り手のモノという意味ではありません。幾度も幾度も書いているように語り手は橋でありつなぎ目です。
語り手はものがたりを伝えるのでなく、ものがたりのなかのいわば光を、”響きとして”伝えるのだと思っています。光は闇があってはじめて存在します。ものがたりは汲めども汲めどもわきあがってきて、語り手、ストーリーテラーをときに苦しくさえします。ひとりひとりの語り手は、だれもその跡を継ぐことなどできない唯一無二の存在なのです。ひとりの語り手(ストーリーテラー)の死はいくつものものがたりが孵らずに土に帰してしまうことに等しい....。けれど それはもちろん意味がないことではない。30年たって文庫が本屋から消えうせたにしても、語られたものがたりが表層の記憶から忘れ去られたにしても、その時代、その場所で幾多のひと、あるいは数名のひとの魂を熱くさせたことは消え去りはしないのです。栗本薫さんはもぎれもなくストーリーテラーのひとりでした。
”茨木伝説”をテキストにしました。小説とは違い、語るにあたっては、時間という制約がありますから、わたしはひとつのものがたりを15分から17分くらいにまとめるようにしてきました。けれども茨木はそれでは充分に語りつくせませんでした。前回の”林檎の木”といい、2回、3回にわけて語ることも視野に入れようと思います。カナダの語り手 キャシーのものがたりは3回にわけて語られましたが、待つ時間がとても豊かであった記憶があります。語りたい.....という思いにつき動かされ支えられて”今”があります。この時代のなかで置かれた環境のなかで、それは贅沢に過ぎると思いながら、今日も午後会社を休んでカタリカタリに行きます。
......小説のこと、ご子息のこと、心残りがあったことと思います。あなたは十二分に戦い、傷つき なお書きつづけた....悩める少女たちに手を差し伸べました.....中島梓さんのご冥福を心からお祈り申しあげます。
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