浅田真央さんのインタビューの中でとりわけ心に残ったのは...
『最後の最後で考えの「揺れ」が、このミスにつながったと思ってます。跳ぶ前に集中してジャンプにいけば良かった。だけど、「このジャンプを跳べば大きな得点がもらえる」と思ってしまった。その考えがミスの始まりでした。今後のいい経験にはなったけど、もう、バンクーバーでやってしまったことは取り戻すことはできないですね。 』
この冷静に自分を振り返ることばでした。試合のあとの号泣の意味がより強くわかったような気がしました。こんなことがありました....わたしが指導している(というのもおこがましいのですが)語り部さん....この方はすばらしい語りのわざの持ち主でした。磐石の安定感もありました。それがあろうことか、おはなし会で真っ白になり 1分くらい ことばが出なくなってしまったのです。
あとで、こんなことを呟かれました。「....ここでうけよう、お客様をわらわせようと思ってしまったんです...」その方はショックでそれからしばらく会を休まれました。自分で自分を汚れているように思ってしまったんですね。....それから わたしは語りの会にプロンプをつけるようにしました。お客さまのためというより 語り部のためです。
わたし自身も苦い思い出があります。師のお誕生日を祝う盛大な会でした......わたしはどちらかといえば暗記して語る語り部ではなく、若さ?もあってか 一晩
あればものがたりは語れる...という驕りを持っておりました。そのとき語ったのは、自分のものがたりではなく、アンデルセンの絵のない絵本のなかの....フランス革命のとき 玉座で死んだ少年のものがたり。.....語り部として自分を許しがたいできでした。わたしはその日 号泣しました。充分に努力しなかった自分、無心になりきれなかった自分が悔しくてなりませんでした。
沸かせようとか泣かせようとか、あのひとに勝ちたいとか邪念が入りますと。パフォーマンスとしての質が落ちると思っています。語りの神さまはそんなとき、イタイほど教えてくれるのです。無心になるというのは、ものがたりの器に 入れ物になりきること。我 ガ を捨て去ったとき ものがたりそのものになる。自分はすこし高いところから全体を見ている感じがします。
きのう 夫の身体のちいさなちいさな一部を埋葬しました。うっすら陽射しが揺れる石の影 野いばらの根元に.... ...50日あまり経っていました。
おととい 春の花を贈りました。慕い、愛し、怖れ、怒り 別れた方へ.....思い出すのはその微笑みの佇まい。
仕事をしています。すべてをかぶる覚悟です。こうして 一歩踏み出したのも、”鐘”を、世の不条理の一切に立ち向かう氷上のうつくしい阿修羅の形相を、真央さん あなたに見たからかもしれない。今 やるべきことに没頭すれば きっとなにかが見えてくる。
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