南斗屋のブログ

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日本の暦学(伊能忠敬から三橋藤右衛門へのレポート)

2022年10月25日 | 伊能忠敬測量日記
(はじめに)
 伊能忠敬は蝦夷地に測量旅行を行いましたが、蝦夷から江戸に帰る際に、幕府の蝦夷地取締御用係の三橋藤右衛門(成方)から、世界及び日本の暦法についてレポートを提出するようにとの要請を受けました。蝦夷から江戸に帰る際にも測量を行っているので、測量の合間をぬって書かれています。
 長くなりますので、ここでは日本の暦法部分についての書付をご紹介します。

【天文来歴の書付(日本部分のみ)】
 過去日本でどのような暦が使われていたのかは、今に伝わっておりません。
 日本書紀等の書物を読みましても、外国の暦法を用いたという様子も見えませんので、日本独自の暦法というものがあったのではないかと思われます。そのような独自の暦法が今日にまで伝わっていないことは残念に存じます。
 持統天皇のときには、中国の劉宋の時代に作られた暦である元嘉暦が使われておりました。
 その後、当の時代には儀鳳暦、大衍暦、五紀暦等が作られ、日本でも用いられてきました。
 清和天皇のときには宣明暦が用いられ初めて後、貞享元年までの800年余りというもの、この宣明暦のみが用いられてきました。
 しかし、長く用いられてきたことから、二十四節気の時が実際と二日余りのずれが生じてきてしまいました。
 そこで、安井算哲が幕府からの命により、元の授時暦をベースに貞享暦を作りました。貞享2年のことでございます。
この貞享暦が日本で初めてつくられた暦であり、暦学はこのときから開けていきました。
貞享暦は宝暦初めに改暦があり、寛政巳年(寛政9年:1797年)にはさらに改暦があり、現在使われている寛政暦となります。寛政暦は、清朝で用いられている暦象考成後編に依拠しつつ、修正を加えたものです。
寛政暦での日食、月食の時刻や七曜運行の度数は正確であることは、私も自身の測量で実感しております。
この寛政暦は、以前の暦の問題点が是正されており、かなり制度が上がっています。これは、近来暦学が大いに開け、測量や天体観測の諸法が精密になり、測量機器の製作も繊細になって遺漏がないようになっていることが理由です。
もっとも、現行暦法は帝都での数値を記載しているため、東都や奥羽或いは九州長崎等の地では、日食の時刻も分数にはずれがあります。また、節気、月食、五星凌犯等の時刻や昼夜の長さ等についても、帝都と東都では異なるものです。
帝都のみではなく、他の地域でも諸国での食の時刻、昼夜の長短等を暦に書くことができれば、そのことが長崎から唐土紅毛にまで自然と伝わり、我が国の暦術が細密であると知られ、異国人も感心するのではないかと思われます。
 蝦夷御用地は北緯42度から44度にあるので、北緯43度として、日月食、分時刻、節気、昼夜の長短を寛政暦に加えたいと考えております。諸国及び蝦夷地を最新の精密な測量機器で測定し、緯度及び方位を各場所ごとに細密に測量したうえで、国図を作成したく思います。そうすれば、御府内(江戸)から蝦夷地各所の海陸の真の方位や距離がわかり、安房・上総・下総・常陸などの海辺から蝦夷地への海路までも悉く判明し、万一のときの御用にもお役に立ちます。
 これまでのとおりですと、冬に新暦ができますが、それでは蝦夷地には新春に間に合いませんので、略歴などを別版として秋には蝦夷地へ送っていただきたいと存じます。
 また、蝦夷地は北緯が高く、昼夜の長短が異なりますので、蝦夷地の昼夜の長短を暦に付け加えていただければ、蝦夷御詰合の自鳴鐘の時刻も正確となり、改善されるのではないかと思います。         以上
申十月 伊能勘解由

(コメント)
 天文暦学の件について伊能忠敬のレポートが作成された経緯は次のとおりです(いずれも寛政12年(1800年)のこと)。
8月19日 三橋藤右衛門は部下に命じて、伊能忠敬にレポートの作成を要請するように伝え、部下は伊能忠敬宛の書面を作成しました。三橋藤右衛門は8月までは函館におり、9月には函館を立って、江戸に向かいました。
9月4日 伊能忠敬は、エトモ(現室蘭市)で上記書状を受領しました。
10月8日 伊能忠敬は仙台に着きました。この間、レポート案を作成しをえており、同日付で師匠である高橋至時宛にレポート案をご覧いただきたいとの書状を江戸に出しています。
10月21日 伊能忠敬は江戸に到着しました。
10月23日 伊能忠敬は浅草にあった天文台に赴いています。このときに師匠の高橋至時に会い、レポートの直しを受領したと思われます。
10月25日 三橋藤右衛門にレポートを提出しました。おそらく23日に師匠にあってから、昨日にかけて清書をしたものと考えられます。
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