南斗屋のブログ

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函館到着の際の伊能忠敬の届け

2022年05月22日 | 伊能忠敬測量日記
伊能忠敬は第一次測量の際に北海道(当時の言葉では「蝦夷地」)を訪れます。幕府の蝦夷地統治の拠点である函館(当時のは「箱館」)に到着したのは寛政12年5月22日(1800年)になります。その際、伊能忠敬が幕府に提出した届けの内容が忠敬の日記に記録されています。着到届けといわれるもので、江戸から函館までの旅程が簡潔に記されています。
 当時統治と交易を扱っていた蝦夷地取締御用掛になるかと思います(届けの宛名も「蝦夷御掛」とされています)。この御用掛は1802年には廃止され、蝦夷奉行、さらに箱館奉行となっていますので、蝦夷地取締御用掛はこの時期だけの短い間に存在した役所です。

(届けの内容)
書付をもって申し上げます。
一 私儀、先月19日江戸表を出立し、今月10日津軽領三厩へ着。11日から18日まで風待ちをし、19日に渡海致しましたが、風がよろしくなく松前領吉岡村へ着船致しました。19日、20日と風待ちを致しましたが、箱館までの渡海の見込みがたたないため、よんどころなく陸路にて今日到着致しました。以上、お届けいたします。 以上
申5月22日 伊能勘解由
蝦夷御掛 御役人中様

「伊能勘解由」とは伊能忠敬のこと。隠居後は、「勘解由」と自称していました。

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