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橋本胖三郎『治罪法講義録 』を読む・第二回講義

2024年04月01日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』を読む・第二回講義 明治18年4月24日

前回は治罪法の総論を講義致しました。今日からは治罪法の本文に入っていきます。全体を六巻に分けて、逐次講義していきます。治罪法は六編から成り立っていますので、その区別に従って順に講義していくのが、諸君の研究にも便益となることでしょう。
第一巻:総則
第二巻: 刑事裁判所の構成と権限
第三巻: 犯罪、捜査、起訴、および予審
第四巻: 公判
第五巻: 大審院の職務
第六巻: 裁判執行、復権および特赦
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まず第一巻から始めます。
第一巻 総則
諸君もご存知のように、総則は概ね公訴と私訴の原則を明らかにしつつ、治罪の手続きを示すものです。第一巻は次の二編に分けて講義を致します。
第一編 公訴及び私訴
第二編 雑則
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第一編: 公訴および私訴
公訴と私訴に関しては、学問上の理論が多岐にわたっており、論ずべき事項も多くならざるをえません。
公訴と私訴は治罪法の眼目です。これを理解すれば、他の事柄は自ずから容易にこれを理解することができます。治罪法を深く学ぶ者は、公訴私訴の二者を研究することが極めて重要なのです。
公訴私訴が何かということを知るためには、まず、犯罪とは何かを知らなければなりません。
犯罪とは何か。法律上重罪、軽罪、違警罪によって罰せられる行為です。刑法第一条には「およそ法律において罰するべき罪は三種類とする。一重罪、二軽罪、三違警罪」と規定されており、いかなるものが犯罪となるかはこの規定の解釈に委ねられますが、今はこの規定を離れて学問上の観点から考察してみましょう。
学問上、犯罪には、刑法上の犯罪と民法上の犯罪との二つの意義があります。刑法上の犯罪とは、社会の安寧を害するものであって、かつ道義に背く行為です。民法上の犯罪とは、故意又は不注意により正当の権利なく他人に損害を加える行為をいいます。このように二つの意義がありますが、今回論じるのは刑法上の犯罪についてです。
刑法上の犯罪が生じたときは、直ちにこれを罰しなければなりません。そうでなくては、一日も社会を保つことができないでしょう。犯罪に対して刑の適用を求める訴えを「公訴」というのです。犯罪は社会に害を与えると同時に、一個人にも損害を与えます。その損害は償わせなければなりません。被害者が賠償を要求する訴えを「私訴」といいます。
この公訴と私訴の2つの名称は、治罪法の制定によって初めて用いられたものです。
治罪法第一条には、「公訴は犯罪を証明し、刑を適用することを目的とするものであって、法律に定めた区別に基づき、検察官がこれを行う」とあり、また、第二条には、「私訴は犯罪により生じたる損害の賠償・贓物の返還を目的とするものであり、民法に従って被害者に属する」と規定されているところです。
現在では、公訴・私訴の目的とその区別は明白であって、今、皆さんに対してこの2つの区別についてどのように説明するか、という問いを発しても、明快に答えることができるでしょう。
しかし、我が国では、これらが区別されたのはほんの数年前のことであります。治罪法制定前はこの区別ははっきりとはしておりませんでした。欧米諸国においても、この区別が明らかになったのは近世のことにすぎません。けれども、この区別は偶然の出来事ではなく、自然の道理に基づいたものなのです。そこで次に公訴と私訴の根元及び性質を論じましょう。
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第一章 公訴・私訴の根元及び性質
公訴と私訴の区別が明らかになったのは、近来のことであり、往古にはこのような区別はありませんでした。
往古の渾沌野蛮な世の中では、他人に怪我を負わされたり、所有物を奪われた場合は、加害者を傷つけることで復讐を行い、又は所有物を回収して、怒りを和らげるといったことしかできませんでした。
世の中が進歩し、酋長や統領といった指導者が、その部落内での民の紛争を裁判で解決するようになっても、その裁判は復讐法に過ぎないのでありまして、公訴と私訴の区別はなく、私訴の性質をもつものばかりで、公訴の性質は見当たりませんでした。
およそ人が二人以上集まるときは、その間に争いが起こるものです。争いがあるときは、当事者の一方は損害を被っており、損害を被っている者は賠償を求めるのは理の当然です。この請求が私訴です。私訴は天然自然に生じるもので、近年始まったというものではありません。往古には公訴と私訴の区別は明らかではありませんでしたが、私訴と呼ばれるべきものについては、既に存在していたことは前記のとおりです。
時が進み、世の中が進歩するとともに、人民自らが裁判を行う旧習を去り、法衙というものを設けて、紛争あるときは相応の手続きを経て解決する仕組みが整い、公訴と私訴の区別が生じました。欧米各国の歴史でも、公訴・私訴の区別が明白になったのは、今からおよそ百年前のことです。ギリシャやローマといった国でも公訴・私訴の区別は判然としませんでした。フランスでも1789年の建国以前には、裁判官自ら犯人を糺問しており、公訴・私訴の区別はなかったのです。建国以後、「ミュニステール・ピュブリック」(検察官)なるものを置きました。これが初めて公訴・私訴が区別され、不告不理の原則が実施されたのです。フランスにおいて、刑事裁判史上、一大新面目を開いたのは、実にこの検察官を設置したときなのです。
このように公訴・私訴の区別が明確になったのは、近来のことでありまして、往古にありては
公訴・私訴の区別はなく、私訴しかなかったといってよいのです。以上、公訴・私訴の根元を略述致しました。次いで、公訴・私訴の性質について説明しましょう。
国法を犯す者がいれば、国家の安寧と個人の安全を脅かすことになります。例えば、ここに人を殺傷し、人の財産を横奪する者がいるとします。この者をのさばらせることは、国全体の安寧を害することになります。国法を犯す者がいれば、良民は自らの業を安心して営むことができず、良民が安心して業を営むことかわできないときは、国は繁栄することができないからです。また個人の身体、生命、名誉、財産を害することになるからです。
国家の安寧と個人の安全を害する者には、刑罰を加えてこれを懲戒し、今後犯罪を輩出することを防止しなければなりません。そうでなくては、その国は一日も安寧ではないでしょう。これが刑罰が必要となる理由であり、ここに公訴権というものが生じる理由があります。
犯罪者に対して刑罰を加えてさえいれば、国家は安寧となるかといえば、そうではありません。犯罪があれば、国家の安寧だけでなく、私人の私益を害するのでありまして、その私益を回復するのでなければ、充分な国家の安寧を保つとはいえないのです。このように刑罰に服従させると同時に、被害者の損害を賠償させること、これが私訴というものが生じる理由です。

国家の安寧を維持するためには、公訴と私訴の双方が不可欠であることは既に述べたとおりです。公訴といい、私訴といい、一つの犯罪から生じるものですが、その性質と目的は大いに異なるのでありまして、これに同じ原則を適用するわけにはいきません。公訴は社会に属し、私訴は被害者に属するからです。
以上述べたことから、公訴と私訴が異なる理由はお分かりいただけたかと思います。
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ここからは、条文に基づき公訴私訴の目的がどのようなものかを講述致しましょう。
治罪法第一条には、「公訴は犯罪を証明し、刑を適用することを目的とするものであって、法律に定めた区別に基づき、検察官がこれを行う」とあります。
「犯罪を証明し、刑を適用する」とはどのような意味でしょうか。二つの解釈が考えられます。
「犯罪を証明する」と「刑を適用する」とを別に考えて、それぞれの目的があるとの考え方。また、「犯罪を証明する」とあるのは、「刑を適用する」の形容詞であり、その目的は刑を適用することにあるとの考え方。
いずれの考え方を取るかは、人民の権利に影響を及ぼしますので、軽くみることはできません。
公訴の目的が、犯罪を証明することと、刑の適用との二点にあると解するときは、数罪が発生した場合には、刑を適用しない犯罪についても公訴を提起せざるを得ないことになります。これに対して、「犯罪を証明する」とあるのは、「刑を適用する」の形容詞であると解するときは、刑を適用することのない犯罪には公訴を提起する必要はないことになります。
私は、治罪法第一条にいう「犯罪を証明し、刑を適用する」とあるのは、それぞれ別個の目的があるものと解するべきだと考えています。その理由は、もし目的が刑の適用だけにあるのであれば、「犯罪を証明し、刑を適用する」とは規定せず、「犯罪を証明して刑を適用する」と規定するべきです。「犯罪を証明し、刑を適用する」と規定しているのは、文法上それぞれ別個の目的があるからに他なりません。また、文法上の理由だけでなく、理論的な理由ももあります。賞罰というものは、単に賞を与え、罰を加えるだけで良いというものではありません。世の中に知らしめてこそ、賞罰の効が奏するというものです。公訴というものは単に刑罰を科するのではなく、犯罪があったことを世の中に知らしめ、どこの何某なるものは、何の日、何処において何の悪事をしたかを明白にすることで、その事実を証明し、刑罰を加えると同時にその邪悪なることを世に表すものなのです。そうでなくては、刑罰は決して充分な効果をあげないでしょう。
法文に「証明」とあるのは、単に立証のことだけをいうと狭く解釈すべきではなく、立証をなし、かつ、これを世に知らしめるの意味に解釈すべきです。
私訴に関する治罪法第二条の規定には「証明」との文言はありません。仮に、「証明」が単なる立証のことだけを意味するのであれば、第二条にも「証明」の文言がなければならないはずです。しかるに、第二条には存在せず、第一条のみに「証明」の文言があるのは、私の解釈が正しいことを裏づけているというべきです。治罪法第九条公訴消滅の原因の中でも数罪が発生した場合を規定せず、旧法においても旧悪減免、自首全免等の場合にはこれを証明し、裁判言渡しをもって放免するのてす。これらも、第一条の目的が、「犯罪の証明」と「刑の適用」のそれぞれ別個の目的があるという解釈の理由となります。
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私訴の目的について説明しましょう。治罪法第二条に、「私訴は犯罪により生じたる損害の賠償・贓物の返還を目的とするものであり、民法に従って被害者に属する」と規定されています。
私訴の目的は「損害の賠償」にあります。第二条には「贓物の返還」との文言もありますが、返還というのは損害賠償に含まれるものであることは、詳しく説明する必要はないでしょう。
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以上述べたところで、公訴・私訴の目的については概ね理解いただけたかと思います。次に公訴権の実行について説明しましょう。
公訴権は国家に属するものであり、一私人に属するものではありません。国家は法人でありますので、実際にいかなる者に公訴権を実行させるかは非常に難しい問題です。この問題については欧米各国においてもいまだ議論が続けられており、定説をみないようです。そのため、イギリスとフランスとでは公訴を行う者が異なりますし、オーストリアとフランスでも違いがあります。
どのような者に実行させるかについては次のようなものが考えられます。
一 直接の関係を有する被害者に委託する
二 一般の人民に委託する
三 民選をもって推挙したる者に委託する
四 施政権に委託し、再びこれを一種の官吏に委託する
以上の四種の長所短所を見てみましょう。
第一の方法である「直接の関係を有する被害者に委託する」には大きな弊害があります。例えば、被害者が公訴を起こすにあたって、被告人がかなりの権力を有していたり、かなりの知識を有している者であるときは、被害者はその権力と知力とに圧倒されて、公訴を行うべきであるのに、公訴を提起しないということがありえます。また、公訴を行う者は徳義と忠情をもつべきでありますが、被害者は公訴権を自己の私憤を晴らす目的で使うことが懸念されます。以上から、第一の方法は適切とは思われません。
第二の方法である一般の人民に委託するというのも、第一の方法と同様弊害があります。公訴権を行使する者は、相応の学識経験、財産を有するほか、報国の志を懐く者でなければなりません。
報国の心のない者は、学識経験と財産があっても、時間と財産を費やすのを嫌って公訴を提起しないことがありえます。人々が報国の心を有すべきは当然のこたとなのですが、今日の社会では一般人民全てに報国の志を望むことは容易ではありません。
往古のギリシャ、ローマのような文物制度の美が燦然として光輝を放っていた時代には、すべての人民が報告の念をもってこの制度を用いることもできたでしょうが、その後の時代には弊害が頻発しております。イギリスには検察官の制度があり、検察官が起訴を怠ることがあれば人民が直ちに起訴をすることができるとしています。これは公訴権を一般人民に委託するといってよいかと思いますが、様々な弊害が生じています。
第三の方法である代議士のような人民が公選した者に公訴権を委託することも、採用すべきではありません。この制度では公訴権を独立したものとするのはかなり困難です。この方法では委託者は、常に人民の意を気にし、人民の意に反する公訴を起こすことをおそれるので、独立に権限を行使することが甚だ困難です。また、自己の財産を費やし、もって公益に供するような者を見つけることも困難です。
第四の方法である施政権に委託したものを再びこれを一種の官吏(検察官)に委託する方法が現代ではもっとも適切です。政府は国家人民を保護するために設けられています。刑罰もまた、国家人民を保護するためのものです。よって、公訴権を政府に委託するのは妥当です。政府がこれを一種の官吏に委託するときは、その監督権限を行使することができますし、独立不羈ならしむることも容易です。
四種の方法のうち、第四の方法が最も良いというべきです。

欧米各国がどの方法を採用しているかですが、フランスは第四の方法をとっています。イギリスは、第二の方法をとっています。イギリスのように文明が開けて、人民が国家を愛する念が厚い国でも、第二の方法をとることで様々な弊害を生じていますので、血がころではこの方法を改正したほうがよいという声も有力となっています。
ドイツでは、第一の方法を採用しているといってよいでしょう。告訴を待ってから公訴を提起することが多いからです。オーストリアは検察官の制度はありますが、検察官が公訴を提起しないときは、被害者が公訴をなすことができる制度がありますので、第一の方法と第四の方法を併用しているといえましょう。
このように各国は様々な方法を採用しておりますが、私は第四の方法が完璧な制度であると考えます。
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今回の講義を終わるにあたって、公訴・私訴の区別を再度確認しておきましょう。
①公訴と私訴とは起訴する主体を異にし、公訴は検察官がこれを行い、私訴は一私人がこれを行うものです。
②公訴は社会に属するものですから、これを放棄するのもまた社会の要求するところに従うべきです。大赦令を発することはその一つの例です。検察官が公訴を行うのは、国会から委託を受けているからで、検察官自体に公訴権があるのではありません。検察官が公訴を提起した以上は、その権利を放棄することは許されません。これに対して、私訴権は被害者が有しているものですから、これを放棄するのもその一私人の選択に関わっています。以上が、公訴・私訴の異なるところです。
公訴を掌る官吏及びその権限等は次回に講義いたしましょう。
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⇒次回

橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第三回講義 - 南斗屋のブログ

橋本胖三郎『治罪法講義録』・第三回講義第三回講義(明治18年4月29日)第二章公訴と私訴を行う者本日から、公訴と私訴をどのような場合に、誰が行うべきかについて説明してい...

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