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仮刑律的例 33 強盗殺人⇒梟首

2024年06月10日 | 仮刑律的例
仮刑律的例 33 強盗殺人⇒梟首

〈事案の概要〉
加害者(礼蔵)は借金の返済に困り、督促を繰り返していた僧智邦を殺害。その後、借財の帳面を奪い取り、焼き捨てて借財の返済もしないことを図りました。その後、逃亡を試みたしたが、他国に行くことができず、帰ってきたところを捕らえられ、本件を自白しました。
加害者には梟首が相当とされています。

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【肥後人吉藩からの伺】明治二年二月
明治2年(巳年)2月7日、肥後人吉藩主の相良遠江守よりの伺い。
礼蔵が起こした件につきお伺いします。
礼蔵は、真言宗青蓮寺(相良遠江守領の肥後国球麻郡にあります)の被官兵左衛門の悴です。
礼蔵は、領内にあります真言宗生善院の僧智邦から借米代金として70両分を借りておりましたが、返済につき延滞しており、智邦から頻りに催促を受けていました。礼蔵はこれに困惑して悪心を生じ、去年(卯年)12月9日、智邦と多良木村で出逢ったことから、その夜一緒に帰ろうとした途中で、智邦を棒で打伏せた上、脇差で刺殺しました。智邦の死体は、自分の土地に埋めてしまいました。
そして、生善院へ行き、借財の帳面を取ろうと企て、智邦は欠落ちをするので、身の廻りの品を取ってくるように智邦に頼まれたと偽り、片付けているうちに借財の帳面を盗み取りました。また刀1本及び金子15両・米5石4斗の蔵預りは、智邦の欠落先に届けるからと欺いて持ち帰り、帳面は焼捨て、米・金は追々途中で捨て
ました。礼蔵はその後欠落ちをし、刀は売り払い、あちこちを転々としておりましたが、他国を通ることが困難であり、やむを得ず立ち帰ってきたところを調べの上、自白に及んだのです。
この事件は大胆で極めて非行であり、死刑は免れ難いものです。死刑については天皇の裁可を得るようにとの仰せでありますので、本件をどのように処理すべきかをお伺い致します。

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【返答】
本年(巳年)3月、天皇の裁定を経て以下のとおり返答する。
この者、生善院の僧智邦を殺害し、さらに凶行に及んで同人の金子等を奪い取ったことは、不届き至極であって、梟首とすべきである。


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