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嘉永7年8月下旬・大原幽学刑事裁判

2024年10月07日 | 大原幽学の刑事裁判
嘉永7年8月下旬・大原幽学刑事裁判

大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳。
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嘉永7年8月21日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、御床下げ、幸左衛門殿と二人で髪結い。その後、巻藁を拵える。同僚の万蔵殿は、御屋敷のリストラ方針(奉公人の人員減)でクビに。
夕方に御夜具上げ、夜番も勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
まめまめしく御屋敷(旗本藪家)で働く五郎兵衛ですが、一方で同僚の万蔵はあっさりとクビに(「暇を取るよう申渡された」)。御屋敷でも余剰人員を抱えてはいられないのでしょう。人員減は五郎兵衛の仕事増に繋がります。今日は夜番もフルで勤めたようです。体調お気をつけて。

〈その他の記事〉
・幸左衛門殿は暮方に松枝町へ行って泊まり。



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嘉永7年8月22日(1854年)
#五郎兵衛の日記
朝掃除、床下げ。九ツ半より夜番を勤める
・同僚の万蔵殿は解雇され、早朝屋敷を出ていった。
・正太郎殿は本日帰村。
・良祐殿が結婚するそうだ。そのため良左衛門君は明日帰村の由。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
毎日単調な五郎兵衛日記ですが、今日は変化を感じさせる記事ばかりです。同僚の万蔵は解雇となり、御屋敷から出されてしまいました。この間で江戸にいた良佑は結婚。そのため良左衛門(良佑の父親)は江戸を立つことになりました。


〈詳訳〉
朝掃除、床下げ。
万蔵殿は早朝出立(クビになった為)。
幸左衛門殿から、昨日正太郎殿が借家に来て、本日帰村するとのことを聞く。
七ツ時、田中様から買物を頼まれて飯田町に行く。帰りに牛込薬店の湯に行く。
暮方に節五郎殿が御屋敷に来る。良祐殿が25日に結婚するとのこと。良左衛門君が明23日に帰村することを聞く。宜平殿を奉公させるのは4、5日延期するとのこと。
これを聞いて、幸左衛門殿と節五郎殿は松枝町の借家へ行き、泊り。
小生は九ツ半より夜番を勤めた。

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嘉永7年8月23日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、床下げ、楊枝削り。昨日松枝町に泊まった幸左衛門殿は早朝に御屋敷に戻った。四ツ時、宜平殿が奉公勤めに来る。
小生は夜番。九ツまで勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
本日の記事はよくある一日でした。生成AIに日記の感想を聞いてみましたところ、「朝から掃除、床下げ、楊枝削りと、本番前の準備をしっかりと行っている様子が伺えます」とのコメントをいただきました。「本番」の意味を取り違えており、なんだか微笑ましい限りです。


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嘉永7年8月24日(1854年)添番
#五郎兵衛の日記
朝掃除と楊枝削り。九ツ、田中様より買物を頼まれ、飯田町へ行く。八ツ半頃宜平殿と二人で牛込湯に行き、薩摩芋一俵買って帰る。
謙助が、十日市場村から預かっている道具を返却せず、村の厚意を無にするような行為をしており、謙助を諌める手紙を夜に書く。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本日の記事で目を引くのは、銭湯に行った後に、「薩摩芋一俵」を買って帰ってきたことです。芋俵という落語があるので、芋が俵に入っていること自体は江戸時代には珍しくないのでしょうが、それにしても一俵もどうやって食べるのでしょうか…。


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嘉永7年8月25日(1854年)非番
#五郎兵衛の日記
松枝町の借家に行くが、幽学先生は不在。楊枝を売りに大丸裏新道の小間物問屋の菱屋や東屋に行ってみるが、「こんな太い楊枝では売れないよ」といわれる。借家に戻ると幽学先生在宅で、謙助への手紙を直していただいた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
「大丸」は今では東京駅の近くにありますが、この頃は大伝馬町にありました。大丸の江戸進出は1743年=寛保3年であり、寛政年間には、大伝馬町の南側の裏通りが「大丸新道」と呼ばれるほどになりました。それにしても、五郎兵衛作の楊枝はやはり売れないようです…
https://www.daimaru-matsuzakaya.com/company/history-daimaru.html

〈詳訳〉
本日は非番 。朝掃除、昼前楊枝。九ツ時に松枝町へ行ったが幽学先生は御留主で、おけい殿が留主役をしていた。、楊枝を買ってくれそうなところが、大丸裏新道の小間物問屋菱屋や東屋にあるとのことで行ってみるが、「こんな太い楊枝では売れないよ」といわれてしまった。あちこち聞いて歩いても買い手がいない。
七ツ半時、幽学先生が借家にお戻りになる。
昨日書いた謙助への手紙を直してくださった。夕方には、長左衛門殿が来た。
楊枝は松枝町へ預け置くこととした。

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嘉永7年8月26日(1854年)添番
#五郎兵衛の日記
時触れ、楊枝少々削り、昼すぎに馬乗り馬場の仕度。四ツ半時に小頭の松村殿が来て、土産として72文貰う。
夕方に夜具上げ。九ツ半から明けまで夜番も勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛は仕事で役得となることは、全くといってよいほどないのですが、今日は小頭の松村殿から72文を貰っています。この中途半端な金額は何でなのか、なぜいきなり松村殿が五郎兵衛に土産(チップのようなもの?)としてお金をくれるのかについては、触れるところがないので不明なままです。


〈詳訳〉
朝飯後、筒井筒へ茶を買いに行く。
幽学先生は五つに借家に来られた。五つ半に藪家に戻る。
本日は添番。時触れ、楊枝少々削り、昼から幸左衛門殿、宜平殿と三人で髮結い。馬乗り馬場の仕度。
四ツ半時に小頭の松村殿が来て、土産として72文貰う。
夕方に夜具上げ。夜番九ツ半より明けまで夜番も勤める。



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嘉永7年8月27日(1854年)非番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、床下げ、半切紙つき、少々楊枝削り。昼より御弓場の片付け。
九ツ半より夜明けまで夜番も勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本日は「非番」と五郎兵衛は書いているのですが、「朝掃除、床下げ」といつもの仕事の記載が続き、夜番まで勤めているので、「非番」は誤りで、正しくは「本番」ではないかと思われます。

〈その他の記事〉
幸左衛門殿は昨晩松枝町に泊まって、本日五ツ半に藪家に戻り。宜平殿は 五ツ過ぎに松枝町へ行った。
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嘉永7年8月28日(1854年)非番
#五郎兵衛の日記
幸左衛門殿と二人で炭を持って松枝町の借家に行く。他の者もおり、幽学先生は「今月は一同思いの外早く集まったのだな、調子が良いぞ」と仰り、大いに喜んでおられる。大ヒラメを食べ、幽学先生からは柿をご馳走になった。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
経費削減のため、幽学の弟子達はあちこちでバイト(奉公)などしているので、月末くらいは皆で借家に集まろうではないかということになっています。今月は末日ではなく、今日集まったので、幽学先生はことのほかご満悦。柿を弟子達に奢っており、喜びが伝わってきます。

〈詳訳〉
本日は非番だが、早朝の掃除(一人で行う)、夜具下げ、五ツに時触れ。
幸左衛門殿と二人で炭を持って松枝町の借家に行く。治郎右衛門殿、節五郎殿、宜平殿もいる。幽学先生は「今月は一同思いの外早く集まったのだな、調子が良いぞ」と仰り、大いに喜んでおられる。
幸左衛門殿は日本橋で大ひらめを買ってきた。節五郎殿がこれを料理。九ツ時に中食。幽学先生から「一同大いに食べたら良い」とのお言葉をいただく。
小生は昼前に公事宿 へ袴代を持っていった。幽学先生は藤元屋へお出かけになり、帰りに一同へ柿を一箱買ってこられた。柿を食べながら、幽学先生は幸左衛門殿と碁を打ち始め、お楽しみである。
宜平殿と二人で暮方に藪家に戻る。幸左衛門殿と節五郎殿は借家に泊まり。

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嘉永7年8月29日(1854年)添番
#五郎兵衛の日記
仕事が終わってから、松枝町の借家に行く。長左衛門殿が借家に来て、幽学先生と碁打ち。先生は柿を奢ってくれた(刀袋が出来上がった祝いとのこと)。幽学先生と二人で借家に泊。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
長左衛門が来ると碁を打つのが定番。今日は珍しく幽学先生と碁を打っています。幽学先生が碁を打つシーンは初ではないでしょうか(五郎兵衛は碁はできないのでしょうね)。幽学先生、今日もまた柿を奢っており、柿好きだったことが窺えます。

〈詳訳〉
本日は添番。朝掃除、楊枝削り、八ツ半に夕飯を食べてから、松枝町の借家に行く。泉の湯に入る。
書物の場所が分からなくなり、邑楽屋(公事宿)に場所を聞いて持ち出し、幽学先生と二人で書き物を調べた。力蔵様の書き物に本多加賀守様から堀田土佐守様や一色丹後守様の書翰・返翰があり、その写しを書取った。
長左衛門殿が借家に五ツ時に来て、幽学先生と碁打ち。四ツ時には先生は柿を買って来られた。刀袋が出来上がった祝いに買ってきたとのことで、長左衛門殿、おけい殿と四人でいただいた。お二人は帰られ、幽学先生と二人で借家に泊まった。


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嘉永7年8月晦日(30日)(1854年)
#五郎兵衛の日記
松枝町の借家で七ツ起床。朝飯後に、幽学先生から「五郎兵衛よ、顔つきは変わってきて良くなったが、油断せずに養生せよ。自らの行いも藪家ご家中で抜きん出るほどでなくてはならぬ」と励ましのお言葉あり。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
幽学先生から五郎兵衛にお話し。五郎兵衛の顔を見た途端に外出していた時とは全く変わりました。五郎兵衛の健康と生活態度の改善を促す内容。前向きな言葉に五郎兵衛も励まされたことでしょう。

〈詳訳〉
・昨晩は松枝町に泊まる。七ツに起き、炊事をしている所へおけい殿がやって来た。夜が明けてから長左衛門殿が来られ、一緒に茶を呑む。
・朝飯後に、幽学先生からお話しあり。
「五郎兵衛よ、以前とは顔つきがだいぶ変わってきたな。ただ、食欲が出ているうちは油断できないから気をつけよ。少食にして、元の体に戻るまで養生しなさい。腫れがでてしまっては国元にも噂が立つだろう。誰の指示も受けず、自分自身で養生を行き届かせて、感心されるほどになってみなさい。養生するだけではなくて、普段からの行いも藪様の御家中衆の人々に目立つようでなくては、これまで数年予のもとにいて稽古したてきた甲斐もないというものだ。まずは、自分の養生をすることだ。それが出来ない様では、外の事も行いも人の目にとまるようなことは出来ないだろう」
「それから帳面のことだが、腹を落ち着かせ、根性を入れ替え、自分と一所になれば何事もできる。後の事だけを考えて慎みをもって臨むことだ」
・その後、小石川の高松様方へ行く。力蔵様はお留主であり、お定様に書き物のことを頼んで、四ツ前に御屋敷に戻る。御屋敷に大根売りが来たので、宜平殿と作蔵殿と合わせて一抱買って漬物にする。
・それから、楊枝削り、暮方御床上げ。九ツ半から明けまで夜番も勤める。



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