「闕所」 仮刑律的例 43-1
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(要旨)徒刑でも「闕所」は従来どおり
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【伊那県からの伺】
明治2年2月25日、伊那県からの伺い。
「闕所」に関する取扱いの件について
昨年冬に御布告された刑律ですが、闕所の取扱いについてどのようにしたらよいでしょうか。
従前は追放刑や所払の刑に処していたので、闕所としても問題はありませんでした。
今後、徒刑に処した上で、従来の慣例通り闕所を科しますと、刑期満了で帰農しても生計を立てられず、戸籍から離れることになってしまうでしょう。
そこで、条理に適合し、相応の刑を科すために別紙のとおりに取扱うことを提案いたします。科す刑に関することですので、至急のお返答をお願いいたします。
(別紙)
一、磔刑、梟首、死罪、流刑の場合
上記の場合、田畑・家屋敷・家財は従来通り闕所とする。
一、三年の徒刑(従来の重追放に相当)
田畑・家屋敷・家財は闕所(従来通り)。徒刑年月が満了したときは、生計を立てられるよう、官から従来通り闕所したものの一部から家族1人あたりおよそ金10両程度支給する。
ただし、闕所金の額が10両以下であれば、全て支給する。
一、二年の徒刑(従来の中追放に相当)
田畑・家屋敷は闕所(従来の通り)。徒刑年月が満了したときは、生計を立てられるよう、官から従来通り闕所したもののの一部から家族1人あたりおよそ金5両程度支給する。
ただし、闕所金の額がそれ以下であれば、前項と同様とする。
一、一年の徒刑(従来の軽追放に相当)
田畑のみ闕所(従来の通り)。徒刑年月が満了したときは、生計を立てられるよう、官から従来どおり闕所したものの一部から家族1人あたりおよそ金3両程度支給する。
ただし、闕所金の額がそれ以下であれば、前項と同様とする。
【返答】
3月12日返答
・徒罪であっても官没(官による没収)は従来の通りでよい。
・刑期の長短によって支給する金額を増減するのはどのような考えによるものか。追放・所払の刑を廃止し、徒刑に改められた御趣旨は、天下に無籍の徒をなくすためである。徒刑中であっても望みに任せ、生計を立てる資金が得られるように、各府藩県にて役人が配慮すべきである。以上、申し添えて返答する。
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(コメント)
・伊那県は、慶応4年(明治元年)8月から明治4年11月まで存在していた県。現在の長野県南部、愛知県東部を管轄していました。
これまで「仮刑律的例 31・32 強盗に刎首、強盗殺人には梟首」や「仮刑律的例 34 徒刑囚への対応」という伺いを出していました。
今回は「闕所」に関する取扱いの伺いを提出しています。
・「闕所」というのは、江戸時代、追放以上の刑に処せられた者の領地・財産を没収することです。
・伊那県の従前の扱いは次のようであったことが伺いからわかります。
一、磔刑、梟首、死罪、流刑の場合
田畑・家屋敷・家財は従来通り闕所とする。
一、重追放の場合
田畑・家屋敷・家財は闕所とし、闕所したものの中から家族1人あたりおよそ金10両程度支給。
一、中追放の場合
田畑・家屋敷は闕所とし(家財は闕所としない)、闕所したもののの中から家族1人あたりおよそ金5両程度支給。
一、軽追放の場合
田畑のみ闕所とし(家屋敷、家財は闕所としない)、闕所したものの中から家族1人あたりおよそ金3両程度支給。
・「闕所」=領地・財産の没収であり、根こそぎにするというイメージで見ていたのですが、そうではないようです。没収した中から、家族1人あたりに一定金額を支給しています。没収した金額を上回ることはないようですが、がその金額以下であれば、全て支給とするとしております。この場合は、本人からは取り上げたものの、家族に返すことになるので、本人から家族への譲渡が行われたのと実質的に同じです。
・伊那県では、この運用を徒刑の場合にスライドさせたものを明治政府に提案し、伺いを提出しています。
明治政府の回答は、
①徒罪であっても官没(官による没収)は従来の通りでよい
②刑期の長短によって支給する金額を増減するのはいかがなものか
というものでした。回答の中では
③追放・所払の刑を廃止した理由は、天下に無籍の徒をなくすためと、徒刑制度を導入した趣旨についても述べています。
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