リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

こっちが国語で、あっちが外国語で

2018年03月30日 | 日々の風の吹くまま
3月29日(木曜日)。雨。ルーフデッキの桜はもうひとつも開花。冷たい雨の中で花びらを
寄せ合って健気な風情。今日のカレシはビタミンB12の注射2回目。ワタシは今日もご隠
居さん。もう少しで仕事につかまりそうになったけど、数人に声をかけるラッシュ案件だった
ので、芝居から帰って来た頃には依頼済み。現役100%の頃なら残念と思っただろうけど、
現役15%なら余裕でよかったぁ。楽しく遊ぶことを覚えて、仕事をしていなくても苦にならな
くなったようで、やっとワーカホリックを卒業したってことかな。

というわけで、引き続き遊びモード。ゆうべ観た家族ドラマ『The Humans』に感銘を受けて、
脚本第2作目の流れをつらつらと考え始めたけど、きのう内田樹の言語に関する講演録に
頭をガッツンとやられて、何となく2つの異言語が紡いだ蜘蛛の巣にかかったような感じで
落ち着かない。「新語は母語でしか作れない。それはその母語の話者であれば誰でも新し
い意味を即座に理解できるから」。たしかに日本語はワタシの「母語」なんだけど、日常言
語だったのは生まれてから最初の27年間だけで、その後の43年は英語が日常のコミュニ
ケーション言語(第1言語)で、日本語は仕事で使う第2(secondary)言語だったし、特に最
近の20年は日本語で人と話をするのは年に片手の指で数える程度なので、「新語」は理解
できない・・・。

なので、「まったく新しい概念や感情は母語でしか創り出せない」と言われてみると、そっか
なあと考えてしまう。カナダに住んでいて、ごく普通のカナダ人の悲喜こもごものストーリー
をカナダの「国語」のひとつである英語で書こうとしているんだけど、ワタシにとっては所詮
母語ではない言語で書いたところで、そこには伝えられるものが何もなくて、言葉を無駄に
しているだけだってことになるのかな。そういう点で、母語でしかできないことがあると言わ
れるとため息が出るわけ。だって、英語は43年の間ワタシの人生の喜怒哀楽を営んで来
たほぼ唯一の言語なんで・・・。

ワタシは生まれつき左利きで、幼い頃に右利きを強制されているうちに吃音症になって母を
慌てさせたそうだから、そのときにまだ未完成だった右脳と左脳の配線がめっちゃくちゃに
なって、いろんな言語野の配置や機能が混乱してしまったのかもしれないな。うん、内田氏
と、言語と利き手と脳の関係について、一杯やりながら語り合ってみたらおもしろいかも・・・。

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