リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

常識は大学で学んで来るもの?

2013年09月04日 | 日々の風の吹くまま
きのうは旧ブログの方で「ゆとり教育」と「偏差値」の話を蒸し返して、いつもの饒舌な極
楽とんぼに戻ってああだこうだと考察。小町横丁では、諸般の事情があって大学に進
学しなかった(できなかった)人たちを、大学卒住人が「教育に関心のない親に育てら
れたんだろう」、「勉学意欲がなかったんだろう」、「努力しない人なんだろう」と、否定的
に評価することが多い。なんか傲慢だなあと思っていたけど、きのう、ふと思った。

この人たちは「教育熱心な」親に有名大学に入るための受験勉強を強いられ、テストの
成績が思わしくないと「やる気が足りない」、「努力が足りない」と責められて育ったこと
がトラウマになっているんじゃないか、と。心の奥にあるわだかまりを受験勉強を「免れ
た」人に向けることで今の不満や不安を打ち消そうとしているのではないか、と。「その
偏差値じゃ○○大学には入れない」、「○○高校は偏差値が低いから○○大学は無理」
と言われ続けて、個人の価値も「偏差値」でしか測れなくなって、それで偏差値が合わ
ない人(自分が「常識」として知っていることを知らない人、あるいは自分が知らないこと
を知っている人)にどう接したらいいのかわからないんじゃないか、と。

常識で思い出したのが、ハーバード大学のツアーで私達のガイドだった1年生の青年
がある図書館の前で言ったこと。図書館の名前の主は、イギリスで書籍を買い集めて、
タイタニック号で帰る途中に遭難した人で、いったん救命ボートに乗りながら、「本を忘
れた!」と、制止を振り切って下りて、船と共に沈んでしまった。「つまり、ハーバードは
(学問をするところで)common senseは教えないんですよ」と。「コモンセンス」は日本
語では「常識」と訳されていて、社会通念やマナーとして誰でも知っているべき「知識」
のことを言うけど、英語的には「知識」よりも蓄積した経験や知識に基づく「判断力」や
「分別」のこと。はて、日本の大学ではどっちのコモンセンスを教えるのかな。

ちなみに、ときたましか更新しなくなった旧ブログへのアクセスが今でもかなりあるから
不思議。なんちゃらかんちゃらと長々と論評するもので、ボットが引っかかるキーワード
が多いのかもしれないけど、どうなんだろうな。

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