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☆相続差別違憲判決と女の本音

2013年09月11日 | 日々の風の吹くまま
9月10日。先日、日本の最高裁判所がやっとのことで「婚外子」の相続差別を憲法に違反すると判断をした。何ごとも正すに遅すぎることはないけど、100年以上も前の明治の時代から頑なに守り通して来た「法による差別」を、やっと、それも全員一致の判断で「法の下では何人も平等である」という日本国憲法の大原則に反すると認めたわけで、司法も行政もカタツムリ並みの日本としては画期的なことだと思う。

ずっと前に違憲訴訟が起きたとき、ワタシは当時衛星版を購読していた読売新聞に「子供は親を選んで生まれることができない。子供が自ら選ぶことのできない事由に基づいて法が差別するのは憲法どころか、人道に反する」と書いて送ったら、読者投稿欄に掲載されたことがあった。そのときは「合憲」という判断で、今回やっと不条理な差別がひとつなくなると思ったら、小町横丁では「納得が行かない」という人たちが大騒ぎ。まあ、あそこはすぐ慰謝料請求!とわめく人が多いから意外ではなかったけど、ずらりと並んだ違憲判決批判の書き込みがあまりにも感情的で、被害者意識丸出しなもので、驚いたというよりも、暗澹とした気分になった。

今回の争点は、何の選択権もなく(大人の都合で)婚外子として生まれた子供を、民法において「父親を同じくする」婚内子と差別することが「法の下の平等」を決めた憲法に照らして正しいのかどうかであって、婚姻制度や妻の地位や男女の倫理観がどうこうという話じゃないはずだけど、「婚外子として生まれて来た「罪」を法による差別で罰するべきで、それが婚外子の出生によって傷ついた妻や婚内子の心の支えになる」、「(自分の夫の)不倫・浮気相手の女とその女が生んだ(夫の)子に(自分の)財産をやりたくない」、「夫の世話も親の介護もしないくせに遺産相続の権利を主張できるのは不公平」、「夫婦の共同財産なのに不倫女とその子に横取りされるのでは結婚する意味がなくなる」、「資産のある男を騙してでも妊娠したもの勝ちになる」。まさに「女の敵は女」の様相。はては「欧米の個人主義の猿まねだ」、「日本社会の最小単位が(欧米流の)「個」に向かう」と、近頃よく見かける国粋主義的な臭いのする発言まで飛び出したのは、右傾化の波が掲示板にまで忍び寄って来ているということか。

「子供」を「人間」に置き換えてみるといい。地球上の誰も特定の人種に生まれることを選べないし、特定の人種に生まれついたことを変更することもできない。どこかの国が「日本人」という理由で、その国の法律によって差別をしたら、どう思う?日本のどこかで法律で公共交通機関の利用は「日本人のみ」と規定していたら、当然だと思う?もちろん、人間は差別する動物なので差別意識は誰にでもあるし、どこにでも多かれ少なかれ差別はある。でも、法治国家ではその差別が「法の下での平等」に反する場合は法律によって禁じている。日本では逆に憲法で「平等」を保障する一方で、「民法が法律婚を採用しているから婚外子の差別は不合理ではない」と、法律の差別規定が国家の基本たる憲法を超越し得ると言って来たのを、最高裁判所がそれはおかしいと判断したということ。

それにしても、この人たちは恐ろしいほどvindictiveなんだね。「懲罰的」という形容詞だけど、「人を痛めつけてやりたいという悪意に満ちた報復願望と」いうニュアンスの強い処罰感情を持っていること。元々自分が選んだ夫が下の方のだらしない男だったというだけの話なのに、裏切りの恨みが相手の女と生まれた子供(夫の実子だよ)だけに向いて、「父親」の責任追及がないのが不思議。結婚も浮気も不倫も子作りも「2名様で催行」のパッケージなんだけどな。まあ、日本の伝統的家族観を守るとか言って婚外子差別を擁護して来た政治家、いや社会全体のどれだけが(一夫一妻の)「法律婚」を尊重して行動を慎んで来たのか、なんてことは聞くだけ野暮ってもので、小町横丁の掲示板にも夫(妻)の浮気や不倫、恋人の二股や心変わりの相談事がずらり。だいたい性的倫理観を法律で規制することは、どんなに理想的な法治国家でもムリだと思うけど。

このトピックで違憲判決は納得が行かないと鼻息を荒げている「妻」たちは、まるで自分のダンナが「他の女に騙されて不倫して、子供を作られて、財産を乗っ取られる」という前提に立って議論をしているようで、結婚の相手として選んだ夫を愛しても信頼してもいないような印象なんだけど、どうなの?でも、「実父」の遺産に対して相続上の同等を求める婚外子(を生んだ女)が金目当てという言うんだったら、法律婚さえすれば夫の収入や財産は自分のものと思っている妻も結局は金目当てになるんじゃないの?ま、相手の年収がどうのこうの言う今どきの日本女性の結婚に関する価値基準も「お金」みたいだから、突き詰めるとお金、お金、お金。それを「損をしたくない」、「人が得するのは許せない」という感情が煽っているということか。

人を「平等」に扱うということは、少なくとも出自には関係なく人はみんな人間として同じ「価値」を持っていることを認識して、それぞれを「個人」として、また、違いがあってもそれを「個性」として尊重することだと、ワタシは解釈するけど、「平等=金太郎飴」であり、金太郎と桃太郎と与太郎では人間の価値が違うから差別は当然という解釈も存在するということかな。この人たちの人権意識の欠如や自分では意識していない根深い差別意識が図らずも露呈したとしか思えない。これが本音なんだろうけど・・・。


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