リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

何でそんなに結婚したがるの?

2018年03月24日 | 日々の風の吹くまま
3月23日(金曜日)。曇りのち晴れのち雹のち晴れ。やれやれ忙しいこっちゃ。ランチの準
備をしていたら、ラジオで「シアトルで雪が降っているんだって」。ずっと南のシアトルで雪?
うはぁ~。ランチを食べていたら、頭の上の照明が一瞬チカッとして、何となく遠いところでゴ
ロゴロ的な音。ランチが終わる頃にはルーフデッキに白い粒がコロコロ。霰かと思ったら、え
んどう豆くらいの雹がバラバラバラ。でも、20分もしたら今度は雲がどんどん白くなって、そ
のうちに青空がちらほら。いやぁ、この変わりようは女心の比じゃないなあ。

女心と言えば、小町横町をぶらついていてふと思った。女心とお金って、夫婦よりも絆が深
そう、と。お金に関する愚痴トピックは百花繚乱だし、結婚のお悩みトピックもだいたいが
(相手の)お金の問題。『世の中お金だなと痛感します』というトピックでは単刀直入に「お金
がないと夫婦喧嘩が絶えなくなります。心のゆとりがなくなるからです。愛があればお金が
なくても、というのは真っ赤な嘘で、お金がなければ愛情は無くなります。お金があるから嫌
な夫にも我慢できるというものです
」。まあ、正直でいいと思うけどね。「金の切れ目が縁の
切れ目」と言うし・・・。

独立した人格である2人が世帯を持てば、それぞれの「私」の領域の他に新しく「私たち」と
いう領域ができて、必然的に「私」の領域と重なって来る。その重なりの部分を自分の領域
が広がったと見るか、侵略されたと見るか、あるいは自分の領域とは別の「セカンドホーム」
と考えるかによって、「結婚」の意義が違って来るだろうし、夫婦の絆も「私たち」の領域の容
量の大きさによって強くも弱くもなると思う。世帯の家計と家事は「私たち」の領域で2人が
やるものだと思うけど、「私たち」がどれだけ「私」の領域と重なっているかによって、それぞ
れの参画意欲も違ってくるだろうな。共働きだとなおさらのことで、重なりが小さいほど家事
の分担を稼ぎの比率に反比例して分けたり、別財布(私のお金は私のもの)で家計を振り
分けて、結局は出資?に対する家事の負担が不公平とか何とか・・・。

今どきは自分が稼いだお金を「私たち」のために拠出するんだから、(相手はどうあれ)自分
が損をするのは平等の精神に反するということなのかもしれないけど、お金で測れないもの
に価値を見出せないんだったら、結婚する意味はあるのかと聞いてみたくなるね。

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