尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

世界初のコスプレ小説ー「ドン・キホーテ」を読む①

2022年02月12日 22時47分02秒 | 〃 (外国文学)
 「ドン・キホーテ」を検索すれば、まず「驚安量販店」が出てくる。でもその名はスペインの小説から来ているぐらいは常識だろう。ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラが書いた「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」である。でも、ちゃんと読んでる人は少ないと思う。子ども向けのリライトで読むけど、全訳は読まない本である。今回「ラ・マンチャの男」を見るから、読んでみる気になった。本はちくま文庫版、会田由(あいだ・ゆう)訳で、1987年に出ている。いや、35年前の本とはビックリ。そもそもは筑摩書房の文学全集として1965年に出されたもの。つまり半世紀以上も前だが、まあ内容時代が古めかしい世界を描いているので、ほとんど違和感はなかった。これは今は品切れで、後から出た岩波文庫(牛島信明訳)にはワイド版もあるようだ。
(「ドン・キホーテ」前編上巻)
 作者のセルバンテス(1547~1616)はシェークスピア(1564~1616)とほぼ同時代の人である。二人とも同じ年の4月23日に死んでいる。(スペインはグレゴリオ暦で、イングランドはユリウス暦だったから、実際は違う日だというけれど。)「ドン・キホーテ」前編は1605年に出版されて大評判になった。これは「リア王」が初演された年で、前年に「オセロ」、翌年が「マクベス」である。日本で言えば徳川家康(1543~1616)とほぼ同時代の人になる。つまり戦国時代から江戸時代になる頃で、スペイン人は貿易や布教のために来日していた。「大航海時代」も100年前になる。「騎士」が活躍した時代なんかは遙か前である。時代は「国家」が強くなって、軍隊は傭兵を集めるという時代になっていた。
(セルバンテス)
 セルバンテスの人生は、それ自体が非常に興味深いものだった。下級貴族の次男に生まれたが、父の仕事がうまく行かず各地を転々とした。20代初めに枢機卿の従者となってローマに赴き、その後ナポリでスペイン海軍に入った。1571年にスペイン・ヴェネツィア・教皇領連合軍がオスマン帝国海軍を破った有名なレパントの海戦に従軍、セルバンテスは左腕に障害を負った。その後も従軍したが、4年後には海賊に襲われて捕虜となり、アルジェで5年間囚われた。ようやく帰国出来た後も苦労の多い生活が続き、徴税吏になったときは預けておいた銀行が破綻し、未納金を払えず投獄された。その時に獄中で「ドン・キホーテ」を構想したというが、小説が大成功しても版権を売り払っていて本人の収入にならなかった。
(ドン・キホーテ」前編下巻)
 「ドン・キホーテ」は世界初の「コスプレ小説」じゃないかと思う。「コスプレ」はもともと「コスチューム・プレイ」(Costume play)の略で、「時代劇」のことである。昔のハリウッド映画などで、古めかしい衣装をまとって王様や海賊なんかが活躍するものだ。「コスプレ」はその後、特に日本で「アニメのキャラクターに扮する」という意味になって、外国の辞書にも載ってるらしい。「ドン・キホーテ」は郷士アロンソ・キハーナ騎士道小説を読み過ぎて、自分も騎士だと思い込んでしまう。そこで騎士の扮装をして、遍歴の騎士を気取って旅に出るという、これぞ「コスプレ小説」なのである。

 日本にも「時代劇」はいっぱいあった。でも、水戸黄門が大好き過ぎて、自分が黄門様になったつもりで助さん格さんを連れて諸国漫遊に出るという話は日本ではないと思う。時代が違いすぎるというのもあるが、要するに「時代劇」はエンタメの一種であって、思想に基づかないということが大きいと思う。騎士道に対して、日本にも「武士道」があった。武士道は近代になって帝国軍人に受け継がれた。自分を「帝国軍人」とか「特攻隊」のつもりで軍服を着てデモをする人なら存在する。中には旧軍に憧れるあまり、世直しに立ちあがる人なら存在すると思う。つまり、それが「ドン・キホーテ」なのである。
(ラ・マンチャ地方)
 「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(Don Quijote de la Mancha)の「ドン」というのは騎士階級の尊称で、ラ・マンチャはスペイン中部の地名で、マドリッドの南部に広がる乾燥地帯。アラビア語で「マンチャ」が「乾いた土地」だそうである。画像検索すると、上記のように風車がある風景がいっぱい出て来る。スペインは中世にイスラム勢力に支配され、キリスト教王国の「国土回復」(レコンキスタ)時代に掛けて、様々な騎士団が活躍したらしい。それもドン・キホーテの時代から200年ぐらい前のことで、当時この小説を読んだ人はドン・キホーテの「時代錯誤」ぶりに抱腹絶倒したわけである。

 ミュージカル「ラ・マンチャの男」のように、ドン・キホーテを「夢に向かって突き進む人」と解釈するのは原作を読む限り「美しき誤解」というしかない。いま日本で旧軍の制服を着て軍人風を吹かす人物がいたら、傍迷惑というしかないだろう。そういう迷惑な人間を造形したわけだが、しかし、ただ迷惑なだけではない。寅さんと同じように、ズレたことを言うからおかしいのである。傍迷惑だけど、何となくおかしいコスプレおじさんを造形したところがセルバンテスの功績だろう。

 ドン・キホーテは3回「遍歴の旅」に出た。僕もよく知らなかったのだが、最初はサンチョ・パンサも連れずに出かけて、宿屋の主人(ドン・キホーテは城主と思い込んでいる)から「騎士には従者がいる」と諭され、一度は村の自宅へ戻る。彼の「狂気」に困り果てた家族や村人は、思い切って多くの騎士道小説を焼き払うが、ドン・キホーテの狂気は終わらない。再び遍歴に出るが、その「冒険」と称するものは全部迷惑なものである。一度は囚人を連行する一行に襲いかかって、弱者を解放するのが騎士の務めと言うが、解放した囚人に襲われて持ち物を取られる。宿屋(本人には城)で敵をやっつけて血を流したというのは、実は赤ワインの袋を破っただけである。実は迷惑な時代錯誤を笑いとばすのがテーマなのである。
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