何だかいつまでも寒い。冬なんだから寒いのはやむを得ない。でもその地域ごとに平均気温があって、体はそれに適応している。今年は明らかに寒いなあと思う。これは昨年に気象庁が「ラニーニャ現象」が発生していると発表した時から予想していた。ラニーニャ現象に関しては、ちょうど一年ぐらい前に「エルニーニョ現象とラニーニャ現象」を書いたので、それを参照。2020年秋もラニーニャ現象が起きたが、2021年2月頃には解消して暖かくなった。そのため観測史上最も早い桜開花日を記録したところが多かった。東京を調べてみると、3月14日に開花、23日には満開だった。春休みから入学式には散っていたわけである。
今年はどれぐらい寒いのだろうか。僕が住んでいる東京都足立区の例年平均気温を調べてみると、以下の通り。1月は平均気温5.2℃、平均最高気温9.5℃、平均最低気温1.2℃、2月は平均気温5.6℃、平均最高気温9.7℃、平均最低気温1.7℃になっている。12月と3月の平均最高気温は12℃を越えていて、昼間がかなり暖かくなるときがある。1月、2月は最高気温の平均が10℃を下回るわけだが、平均なんだから時には10℃を越える日がないとそういう数字にならない。今年は10℃を越えたのが12日で、下回ったのが19日。6日には2.6℃という低さで雪が降った。2月は10℃に達しない日が10日。(今日は17日なのだから、半分以上。)朝もそうだけど、一日通して気温が上がらないのが寒い印象になる。
まあそういうことを言っていても仕方ない。寒くても2月になれば、日は長くなる。冬至からもう2ヶ月近く経っている。10月下旬頃と同じぐらいの太陽になっているわけだ。年末には4時過ぎには暗い感じがしたが、今は5時半頃でも明るさが残る感じ。寒い朝が続くと、僕は何となく「北風吹き抜く 寒い朝も 心ひとつで暖かくなる」と口ずさんでしまう。吉永小百合・和田弘とマヒナスターズによる1962年の歌である。これは調べてみると、石坂洋次郎原作「寒い朝」の映画化「赤い蕾と白い花」の主題歌だったそうである。それは僕は見てないので判らないが、「いつでも夢を」という映画に出て来たのはよく覚えている。
(「寒い朝」)
3番には「いじけていないで 手に手を取って 望みに胸を元気に張って」とある。佐伯孝夫作詞で、いかにも60年代的だ。「いつでも夢を」という映画は1963年1月に公開された。橋幸夫・吉永小百合の歌が1962年9月に先に発表されていた。大ヒットして、62年のレコード大賞を受賞した。「寒い朝」と同じく、佐伯孝夫作詞、吉田正作曲である。デュエット曲として、今でも有名で知っている人が多いだろう。映画は野村孝監督作品で、東京下町の青春模様を描いている。橋幸夫と浜田光夫が吉永小百合をめぐって殴り合うシーンがある。そんなこともある青春である。
(「いつでも夢を」)
「いつでも夢を」が興味深いのは、定時制高校で学ぶ若者たちを描いているからだ。それも東京東部の高校である。どことは出て来ないが(セットで撮影された架空の学校)、荒川土手や千住、墨田区あたりの町工場が出て来る。当然そのあたりの高校という設定だろう。昔はそのあたりにたくさんの定時制高校があった。ほとんど無くなってしまったが。吉永小百合は「准看護婦」の役だった。クラスメートの松原智恵子は結核が悪化して休学せざるを得なくなる。60年代初期は高度成長が始まり、64年の東京五輪を前に「いつでも夢を」の時代に描かれることが多いが、まだまだ日本は貧しかったのである。
(映画「いつでも夢を」)
僕はもう「心ひとつで暖かく」になんかならない。それは自分の実人生がピークを過ぎているんだから当然であるが、それだけでもない。皆で「手に手を取って」なんて、実は信じていないのである。困難に立ち向かうのは大事だが、それでも「心ひとつ」では変えられないものがある。それを変えていくには、どうすればいいんだろうか。そんな歌を皆で歌えた時代を良い時代とも思わない。一人一人がブツブツ自分でつぶやける時代の方がいいじゃないかと思う。季節で言えば、今は寒くても必ず夏が来る。それは地球が傾いて公転しているんだから、そうなるのである。しかし、世の中はどうしても自分を中心にある「天動説」みたいに思いやすい。でも、ホントは世の中も「地動説」。自分の思いだけでは、なかなか変わらないという現実に心が沈んでしまう。
今年はどれぐらい寒いのだろうか。僕が住んでいる東京都足立区の例年平均気温を調べてみると、以下の通り。1月は平均気温5.2℃、平均最高気温9.5℃、平均最低気温1.2℃、2月は平均気温5.6℃、平均最高気温9.7℃、平均最低気温1.7℃になっている。12月と3月の平均最高気温は12℃を越えていて、昼間がかなり暖かくなるときがある。1月、2月は最高気温の平均が10℃を下回るわけだが、平均なんだから時には10℃を越える日がないとそういう数字にならない。今年は10℃を越えたのが12日で、下回ったのが19日。6日には2.6℃という低さで雪が降った。2月は10℃に達しない日が10日。(今日は17日なのだから、半分以上。)朝もそうだけど、一日通して気温が上がらないのが寒い印象になる。
まあそういうことを言っていても仕方ない。寒くても2月になれば、日は長くなる。冬至からもう2ヶ月近く経っている。10月下旬頃と同じぐらいの太陽になっているわけだ。年末には4時過ぎには暗い感じがしたが、今は5時半頃でも明るさが残る感じ。寒い朝が続くと、僕は何となく「北風吹き抜く 寒い朝も 心ひとつで暖かくなる」と口ずさんでしまう。吉永小百合・和田弘とマヒナスターズによる1962年の歌である。これは調べてみると、石坂洋次郎原作「寒い朝」の映画化「赤い蕾と白い花」の主題歌だったそうである。それは僕は見てないので判らないが、「いつでも夢を」という映画に出て来たのはよく覚えている。
(「寒い朝」)
3番には「いじけていないで 手に手を取って 望みに胸を元気に張って」とある。佐伯孝夫作詞で、いかにも60年代的だ。「いつでも夢を」という映画は1963年1月に公開された。橋幸夫・吉永小百合の歌が1962年9月に先に発表されていた。大ヒットして、62年のレコード大賞を受賞した。「寒い朝」と同じく、佐伯孝夫作詞、吉田正作曲である。デュエット曲として、今でも有名で知っている人が多いだろう。映画は野村孝監督作品で、東京下町の青春模様を描いている。橋幸夫と浜田光夫が吉永小百合をめぐって殴り合うシーンがある。そんなこともある青春である。
(「いつでも夢を」)
「いつでも夢を」が興味深いのは、定時制高校で学ぶ若者たちを描いているからだ。それも東京東部の高校である。どことは出て来ないが(セットで撮影された架空の学校)、荒川土手や千住、墨田区あたりの町工場が出て来る。当然そのあたりの高校という設定だろう。昔はそのあたりにたくさんの定時制高校があった。ほとんど無くなってしまったが。吉永小百合は「准看護婦」の役だった。クラスメートの松原智恵子は結核が悪化して休学せざるを得なくなる。60年代初期は高度成長が始まり、64年の東京五輪を前に「いつでも夢を」の時代に描かれることが多いが、まだまだ日本は貧しかったのである。
(映画「いつでも夢を」)
僕はもう「心ひとつで暖かく」になんかならない。それは自分の実人生がピークを過ぎているんだから当然であるが、それだけでもない。皆で「手に手を取って」なんて、実は信じていないのである。困難に立ち向かうのは大事だが、それでも「心ひとつ」では変えられないものがある。それを変えていくには、どうすればいいんだろうか。そんな歌を皆で歌えた時代を良い時代とも思わない。一人一人がブツブツ自分でつぶやける時代の方がいいじゃないかと思う。季節で言えば、今は寒くても必ず夏が来る。それは地球が傾いて公転しているんだから、そうなるのである。しかし、世の中はどうしても自分を中心にある「天動説」みたいに思いやすい。でも、ホントは世の中も「地動説」。自分の思いだけでは、なかなか変わらないという現実に心が沈んでしまう。