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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

フランスの女性作家コレットを読む

2019年05月03日 22時46分49秒 | 〃 (外国文学)
 最近フランスの小説を読んでるから、この機会にコレットを読もうと思った。フランスの女性作家で、今度キーラ・ナイトレイ主演で「コレット」という映画が公開される。改めて買うんじゃなくて、すでに何冊か持ってるからこの機会に読むかと思った。映画のチラシには「ココ・シャネルに愛され、オードリー・ヘプバーンを見いだした実在の小説家」って書いてある。オイオイいくら何でも「実在」はないだろうと思ったけど、コレットを検索すると「コレットは死ぬことにした」というコミックのことばかり出てくる。今ではフランスの小説家など知られてないんだろうなと思った。
 (シドニー=ガブリエル・コレット)
 ホンモノのシドニー=ガブリエル・コレット(Sidonie-Gabrielle Colette、1873~1954)は、作品もすごいけど人生そのものがすごい人だった。晩年にはアカデミー・ゴンクール初の女性会員(にして初の女性総裁)に選ばれ、葬儀は女性として初めて国葬となった。そのときに離婚経験を理由にパリの大司教は協力を拒んだという。生涯に3回結婚し、その間には夫の連れ子と恋愛関係も生じたり、また同性愛者でもあるという自由な恋愛を生きた。生活のためミュージック・ホールの踊り子になったし、自作の舞台化では主役を務めるなど、小説以上に波乱の人生を送った人である。

 コレットの父は元軍人で地方暮らしだったが破産して、コレットは20歳の時に14歳年上の男性(父の軍隊時代の友人の息子)と結婚してパリに出た。ジャーナリストだった夫は、妻の学生時代の話を小説化するように勧め、それはシリーズ化され大人気となった。しかしバイ・セクシャルの夫の恋愛関係に疲れて、自分も同性愛の女性のもとに身を寄せ、舞台にたって生活費を稼いだ。こういう風に最初からスキャンダラスな女性作家として売り出したのである。1913年に3歳年下の男性と再婚して男爵夫人となるも、義理の息子と恋愛関係になる。そして1935年に17歳年下の男性と結婚して、これが最後。

 こうしてみると、単に恋愛スキャンダルが売りの「女流作家」に思われるかもしれない。昔は確かにそんな風な理解もあったようだが、今読むと先見的な身体性の作風に驚く。本人が自由に生きたように、その小説も物語も描写も時代を突き抜けて自由。まあセックス描写については、どうしても時代の制約を抜けられないが、生き生きとした心理描写が素晴らしい。小説はどうしても「視覚」的な描写が多くなるが、コレットの小説は触覚、嗅覚、聴覚などをフル回転させた「五感の文学」である。

 僕が一番面白かったのが「牝猫」(岩波文庫、1933)で、現在品切れ中だが活字を大きくして再刊して欲しい。青年アランと新妻カミーユは仲良く暮らし始めるが、アランは実家に残してきた愛猫サアが忘れられない。実家に行くと寂しそうにしているので連れてゆくが、カミーユとサアは微妙な関係に…。多分書かれた当時は何だろうなという変な話に思われただろうが、今になると実によく判る先見的な物語。パリの風景や母親の心理も面白い。アランはいつも「サア、サア」って気にしていて、お前は福原愛かと突っ込みたくなる。新妻より猫が大事な男を1930年代に書いてたコレットはすごい。物語はどうなるのかと思ってたら、ラスト近くであっと驚く展開になった。(2019.5重版)

 最高傑作とよく言われるのが、「シェリ」(1920)で、評判になって続編「シェリの最後」(1926)も書かれた。どっちも岩波文庫に収録されている。レアはフランス文学によく出てくる「高級娼婦」で有力者の愛人として生きてきて、経済感覚もあって豊かに暮らしている。友人が若い頃に産んだ息子シェリと関わるうちに彼はレアに惹かれてしまう。こうして10代後半からシェリは年上のレアと暮らして、男として磨かれていった。そして同じく仲間うちの美しい年下の娘と結婚することになる。キレイに別れるつもりの二人だったが…。という風に年上の女と若い男の関係が事細かに描かれる。実際にそういう関係を経験したコレットだけど、それは「シェリ」を書いた後で起こったことだそうだ。年増女の魅力と容色の衰えを心憎いほどに描きだしている。まさに五感の文学で傑作だと思う。

 「シェリの最後」は無理矢理終わらせる感じの続編だけど、第一次大戦に従軍したシェリの変貌、そしてその間看護婦として社会体験を積んだ妻の自立などコレットの実際の体験も交えて描く。そしてシェリは悲劇の泥沼にはまり込んでゆく。日本でよく読まれたのは「青い麦」(1922)で、ウィキペディアを見ると11もの翻訳がある。今入手簡単なのは光文社古典新訳文庫で、ここには鹿島茂の傑作解説が付いている。高級娼婦レアと違い、今度は中間層の若い二人が夏のバカンスを同じ別荘で暮らす。パリの商工業者二人ががブルターニュの別荘を毎年借りているという設定。

 一体フランスの有名小説(19世紀)は、大体「年上の人妻の姦通小説」だと鹿島茂が書いている。「赤と黒」も「ボヴァリー夫人」もバルザックやモーパッサンのたくさんの小説も。言われてみればその通りで、それには理由がある(鹿島茂解説に詳しい。)一方、20世紀になり、ようやく第三共和政の教育改革で「同じ階級の若者同士の恋愛」が可能になった。「青い麦」で16歳と15歳の若い二人が惹かれ合うが、しかしこの小説でもそこに「年上の女」が登場する。海辺の大自然の中で展開される幼い恋と年増女。僕はこの小説だけは若い頃に旺文社文庫で読んだ。興味本位で読んだんだけど、はっきり言ってしまえば三島由紀夫「潮騒」の方が興奮した。「青い麦」は心理描写が中心だから、五感文学のまだるっこしい描写が若い頃にはうっとうしい。今読む方が面白い。やはりすごい作家だなと思った。
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近現代の時代区分を考える-元号に代わる区切りを

2019年05月02日 22時48分41秒 |  〃 (歴史・地理)
 天皇代替わりで改元されて、いろんな店で「改元セール」なんかをやっている。それはまあ商戦だから、利用できるものは何でも利用して当然だろう。でもそこで「新時代を祝賀」のように書かれているのを見ると、果たしてそれでいいんだろうかと思う。確かに天皇家も元号も「新時代」になったのは間違いない。しかし、それは歴史的な意味で「時代が変わった」とは言えない。単に「天皇が交代」しただけである。近年ヨーロッパでも王室の代替わりが続いたが、オランダやベルギーやスペインなどで国家社会が変化したわけではない。日本の天皇交代も同じだろう。

 歴史では「時代区分」というものがある。古墳を作ってた時代と江戸幕府があった時代は全然違う。明治時代と現代も全然違う。大きな変化で時代を分けて、「○○時代」と名付けて年表で区別する。それを「時代区分」と言うが、不思議なことに明治以後は年表でも元号で分けているのが普通だ。歴史教科書の後ろに付いてる年表を見れば判る。なんだか不思議である。奈良時代とか室町時代というのは、政治上の中心地で付けられている。それなら明治以後は「東京時代」なのか。
 (日本史の時代区分)
 今まで近現代(=日本史では明治以後)は、大体元号で示していた。「昭和」が長かったので、教える側もあまり違和感がなかった。歴史の通史などでは「明治」が憲法制定と日清日露戦争で二分される。「大正」は「大正デモクラシー」で、「昭和」は戦争と高度成長で三分される。それで大体済ませていた。授業もそこまで行かないことも多かったし。でもそこに「平成」が加わり、さらに「令和」となった。もう「本質的な区分」を考えないといけないだろう。

 前近代では最近、中世史家の保立道久氏によって、時代区分の見直しが唱えられている。簡単に紹介だけしておくと、従来は縄文弥生の後に、古墳飛鳥奈良平安鎌倉室町安土桃山江戸となる。これを保立案では、飛鳥、奈良を合わせて「大和時代」とし、その後「山城」「北条」「足利」「織豊」「徳川」とするというのである。これは僕の見るところ、長岡京時代を「山城時代」に入れられるので、より判りやすいと思う。それにしても保立氏も近現代の区分を提唱していないので別に考えないといけない。(なお、沖縄と北海道の前近代は全然違うので、別の時代区分になる。今は省略。)

 上記の時代区分は、要するに「権力の中心地」か「権力者の姓」で区別するということだ。天皇家には姓がないから、都の場所で区分する。武士政権では武士の姓で区別する。保立氏の新区分案は、現行の区分が教科書等で定着しているので、なかなか変えられないだろう。それはそれとして、議論はしていかないといけない。近現代史の時代区分も、そろそろきちんと考えるのが歴史学、歴史教育関係者の責務だろう。そこで諸外国をちょっと見てみると、フランス史では前近代は王朝交代で、フランス革命以後は政体の変革で区分している。

 フランス革命で「第一共和政」、ナポレオンが皇帝となって「第一帝政」、その後「復古王政」「七月王政」と続き、1848年の二月革命で「第二共和政」、ナポレオン3世が皇帝となり「第二帝政」、普仏戦争で崩壊して「第三共和政」、第二次大戦後に憲法が改正され「第四共和政」、ドゴールによって大統領権限を強化する憲法改正が行われ、1959年から「第五共和政」となる。このように現代では「憲法」で規定される権力のあり方が時代区分となっている。

 それを参考にして考えてみれば、日本の場合、「大日本帝国憲法時代」、「日本国憲法時代」に大きく分かれることになるだろう。明治の憲法制定までをどうするか日本国憲法制定後も占領下で主権が制限されていたことをどうするか。そういう問題もあるけど、まあ「第一憲政」「第二憲政」とでも呼ぶのが適当なんじゃないだろうか。帝国憲法以前の「明治」は、徳川時代崩壊後の憲法制定「前史」である。だから「第一憲政」でいいかと思うが、現実には憲法制定後を含めて「薩長藩閥」が事実上の最高権力である。ペリー来航から帝国憲法制定までを「雄藩時代」とでも言うべきかも。

 「第一憲政」の帰結が「アジア太平洋戦争」なので、「第二憲政」は占領後からとするのも一つの考えだろう。でもそんなことを言えば、今もなお、あるいは少なくとも沖縄返還までは「占領」みたいなもんだという考えも出てくる。しかし、占領期でも日本側の最高権力者である総理大臣は日本国憲法の規定で選ばれているから、まあ「第二憲政」に入るとするべきだ。そして、72年までの「高度成長時代」、90年代半ばまでの「国際化とバブル時代」、その後の「グローバル化時代」と「第二憲政」は三分される。その細かな区分はまだ完全には決められないが、そんな感じで見通せるんじゃないだろうか。
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タヴィアーニ兄弟の映画を見る

2019年05月01日 23時15分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 毎年ゴールデンウィークの期間に、イタリア映画の新作を紹介するイタリア映画祭が開かれる。調べてみると2001年から続いている。最初の頃はけっこう行ってたんだけど、最近は行かなくなってしまった。ここで上映された後で正式に公開される映画も多くなって、そのときに見ればシニア料金。出来映えが中程度の映画なら、早く見てもすぐに忘れてしまうから、まあいいじゃないかとなる。一時は公開されるイタリア映画は全部見ようと思ってたけど、最近は多すぎてもう無理だ。

 しかし、今年は新作じゃなくて旧作をイタリア映画祭で見た。タヴィアーニ兄弟の2本の映画である。世界には兄弟で映画を作っている監督がいて、ベルギーのタルデンヌ兄弟やアメリカのコーエン兄弟などが有名。イタリアのタヴィアーニ兄弟は中でも早くから活躍してきたが、弟のパオロ・タヴィアーニが2018年に亡くなった。そこで同じく物故したエルマンノ・オルミとともに追悼上映が行われた。
 (ベルリン映画祭で金熊賞を受けるタヴィアーニ兄弟)
 兄弟監督にもいろんなタイプがあるが、タヴィアーニ兄弟は兄のヴィットリオと弟のパオロが脚本と演出を共同で担当する。脚本には第三者が加わることもあるが、演出はシーンごとに交互に行っているという。共同脚本の段階でイメージが共有されているからだろうが、映像上の違和感はどこにも感じられない。60年代から活躍してきたが、日本で初めて公開されたのは、1982年の「父 パードレ・パドローネ」(1977年カンヌ映画祭パルムドール)だった。その後、1987年の「グッドモーニング・バビロン」はキネ旬ベストワン。2012年の「塀の中のジュリアス・シーザー」はベルリン映画祭金熊賞。

 今回見たのは、まず30日夜に「ひばり農園」(2007)、そして1日に「サン★ロレンツォの夜」(1982年カンヌ映画祭グランプリ)の2本。前者は後回しにして、「サン★ロレンツォの夜」から。イタリアでは8月10日がサン・ロレンツォの日だそうで、その日は「流れ星に願いをかける」という。ペルセウス座流星群の季節で、日本でも流星が見られる時期である。この映画は1944年の8月10日を描く。第二次大戦末期、イタリアでは米軍が南から進攻する一方、北イタリアでは一時は失脚したムッソリーニがナチス・ドイツの援助で復権し、パルチザン部隊との間にし烈な戦いが起こっていた。
 (サン★ロレンツォの夜)
 ナチスが村を破壊すると脅して、村人に聖堂に集合せよと通知する。一部の人々はナチスを信用できず、他の村へ逃げようという。村人が二つに分かれたが、どちらを選択しても過酷な現実が待っていた。その逃避行を描くのが「サン★ロレンツォの夜」で、トスカーナの美しい農村地帯を舞台になっている。当時6歳の女の子の目を通して描かれるが、子どもからすればナチスによる町の爆破も一種の楽しみ。戦闘も古代ギリシャの戦闘みたい。子どもの目にはファンタジーのような戦争だが、実は凄惨な内戦だという現実。その対照が非常に興味深く、また感銘深い。戦時中のレジスタンスが同じ村の知り合い同士による残虐な殺し合いだったという苦い認識に重みがある。公開当時に見たときからすごく好きな映画で、もう一回見られて良かった。

 一方、「ひばり農園」は第一次大戦中のオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺を正面から描く作品だった。これは映画祭上映のみで、正式には公開されていない。日本ではテーマになじみがないと思われたのだろうが、これほどの力作が埋もれてしまうのはもったいない。原作はイタリアで書かれた小説らしいが、映画の展開はかなり類型的なパターンになっている。町ではトルコ軍とアルメニア人の関係は悪くない。アルメニア人の有力者一家には、トルコ人軍人と恋仲の娘もいる。しかし、軍中央から来た特命部隊が子どもも見逃さず男は全員虐殺してゆく。
 (ひばり農園)
 女たちは捕えられ長い苦難の行軍を強いられる。逃避行を描くことで2本の映画は共通しているが、「ひばり農園」の逃避行は監視付きである。演出力で人物がうまく描き分けられて一気に見られるが、確かに「告発映画」に止まる感じもする。アルメニア系カナダ人のアトム・エゴヤン監督の「アララトの聖母」(2002)のような映画もあるが、まだまだ世界的には知られていない。問題の大きさから、この映画も意味があると思う。若くしてイタリアへ移民した一族の兄が一家を救おうとして奔走する。そのときにトルコ人の「乞食組合」のネットワークが活かされる。アラブ人の「乞食組合」もあって、金はかかるが協力は得られる。そのような下層民の描き方が興味深かった。 
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