慰安婦問題をめぐって多くの論者にインタビューした記録映画「主戦場」を見た。(渋谷のシアター・イメージフォーラムで、4月20日に始まって終了未定。今後全国で公開予定。)これはインタビュー映像や公文書だけでなく、ネット上の映像なども広く集めて興味深く編集している。面白いといえば面白い。慰安婦問題が大きな政治問題になり、いわゆる「河野談話」が発表されたのが1993年。すでに四半世紀以上も前となれば、この問題を詳しく知らない人が多くなっても当然だ。作った監督ももともと詳しくない立場で話を聞き始めている。この問題をよく知らない人が見てこそ意味がある映画だ。
監督は1983年生まれのミキ・デザキ。フロリダ生まれの日本系男性アメリカ人である。ミネソタ大学で医大予科生として生理学の学位を取得。その後、外国人英語教育補助員として山梨、沖縄の中高校で5年間勤め、その間ユーチューバーとして日米の差別問題の映像を投稿。それからタイで仏教僧の修行をして、2015年からは上智大学大学院に入り、この映画はその「卒業制作」だったらしい。
(ミキ・デザキ監督)
ずいぶん多彩な経歴というか、放浪の青春を送った人みたいだが、これらは全部「弱いものを助けたい」という共通点があると自身で語っている。(パンフによる。)だからこそ、差別問題の映像をYouTubeに投稿していた。そして2014年の元朝日新聞記者植村隆氏へのバッシングを知り理由を探りたくなった。原題が「Shusenjo The Main Battleground of the Comfort Women Issue」だが、これは「歴史修正主義者」が「アメリカこそ主戦場」と言ってることを指している。アメリカ人として、なぜアメリカが「メイン・バトルグラウンド」なのか知りたいとも思ったという。
もともと人権感覚が高い監督が作っているから、映画内の発言紹介は当初は公平だが、やがて「歴史修正主義者」の言い分には問題を感じていく。そこから慰安婦問題を離れて、その背後の政治問題に踏み込んでいく。やがて「日本会議」の存在を知り「明治憲法復活」を目指す団体として批判的に紹介する。また、様々な歴史修正主義団体の黒幕的存在として加瀬英明氏を見つけインタビューに行く。これらは監督には「そう見えた」という情報としては面白いけど、やっぱり無理があるだろう。
なんと言っても興味深いのは、右派論客たちが存分に持論をまくし立てていることだろう。ケント・ギルバート、杉田水脈、藤岡信勝、櫻井よしこ(出番は少ない)、「テキサス親父」としてネット右翼に知られるトニー・マラーノなどの面々である。「卒業制作」としてインタビューし、公開される映画だとは伏せていたと製作側を非難する人もいるようだが、製作時点では無名の院生だから一般公開は想定されていない。この映画は「右派」がストレートに差別意識を暴露しているから興味深くなり、そのため一般公開にこぎ着けたのであって、「右派」が自分自身で上映価値を高めたわけである。
まあ大学院生相手と公開予定映画で言うことが違ったらおかしいわけだが、それにしても杉田水脈(自民党所属の衆議院議員)氏など、ここまで無防備にベラベラ言いまくって大丈夫なんだろうかと思うぐらい。明らかに矛盾しているし、ダブル・スタンダードというしかない。(映画内で示されている例を挙げると、杉田議員は韓国人慰安婦の証言に証拠がないと非難する一方、アメリカで慰安婦像が建設されたため日本人児童がいじめられているという主張を証拠に基づかずに国会質問をしている。)多くの「右派」論客がセクシスト(性差別主義者)やレイシスト(人種差別主義者)であることを言葉の端々に示している。(場内には時々笑いが起こる。)そこが貴重といえば貴重で希少価値がある。
一方その分「慰安婦問題」そのものに関して言えば、問題をある程度知っている人には周知のレベルだと思う。慰安婦の人数問題、あるいは「強制連行」をどう捉えるかの問題、「性奴隷」を巡る定義問題などは、概ね納得できるレベルで語られている。だから最新の慰安婦問題研究というより、「初心者」向けであり、むしろ「日本の知的風土の見取り図」というような映画だ。(ちなみに、「慰安婦は公娼」だという人がいるが、「公娼」制度下の娼妓は現在の定義では「性奴隷」だろう。また「強制連行」を狭義に解釈することは、日本政府の「拉致問題」の定義と矛盾する。)
アメリカが主戦場であるという右派論者の問題設定から、この映画はアメリカでの慰安婦増設置に関する議論をかなり取り上げる。アメリカは監督の出身地なんだから関心が深くても当然だ。しかし、その分韓国やフィリピン、インドネシアなどで名乗りを上げた「当事者」の扱いが少なくなる。また日本のナショナリズムを批判しても、この問題に大きな関係がある韓国のナショナリズムをどう理解するかがあまり語られない。韓国で問題が「再燃」したきっかけのイ・ミョンバク政権下の最高裁判決にも触れていない。日本で数多く起こされた戦後補償裁判も全く触れられていない。(慰安婦問題に限らず、すべてが最高裁で原告敗訴に終わった。)法的立場の相違は現在の日韓関係理解に不可欠だと思う。
まあ2時間超の映画ですべてが語られるはずがない。90年代に世界的に問題化したには当時起こった悲劇的な「ボスニア戦争」が大きい。「戦時性暴力」が決して過去の問題じゃないことを世界に示したのである。「戦時性暴力」の研究が以後どんどん進んでゆく。藤岡信勝が「国家は謝罪しない」と言ってるが、戦時に日系人を収容した過去を謝罪し補償するレーガン大統領の姿を見せる。これが編集の力だ。ドメスティックな視点しか持てないものの悲哀を感じた場面だった。
監督は1983年生まれのミキ・デザキ。フロリダ生まれの日本系男性アメリカ人である。ミネソタ大学で医大予科生として生理学の学位を取得。その後、外国人英語教育補助員として山梨、沖縄の中高校で5年間勤め、その間ユーチューバーとして日米の差別問題の映像を投稿。それからタイで仏教僧の修行をして、2015年からは上智大学大学院に入り、この映画はその「卒業制作」だったらしい。
(ミキ・デザキ監督)
ずいぶん多彩な経歴というか、放浪の青春を送った人みたいだが、これらは全部「弱いものを助けたい」という共通点があると自身で語っている。(パンフによる。)だからこそ、差別問題の映像をYouTubeに投稿していた。そして2014年の元朝日新聞記者植村隆氏へのバッシングを知り理由を探りたくなった。原題が「Shusenjo The Main Battleground of the Comfort Women Issue」だが、これは「歴史修正主義者」が「アメリカこそ主戦場」と言ってることを指している。アメリカ人として、なぜアメリカが「メイン・バトルグラウンド」なのか知りたいとも思ったという。
もともと人権感覚が高い監督が作っているから、映画内の発言紹介は当初は公平だが、やがて「歴史修正主義者」の言い分には問題を感じていく。そこから慰安婦問題を離れて、その背後の政治問題に踏み込んでいく。やがて「日本会議」の存在を知り「明治憲法復活」を目指す団体として批判的に紹介する。また、様々な歴史修正主義団体の黒幕的存在として加瀬英明氏を見つけインタビューに行く。これらは監督には「そう見えた」という情報としては面白いけど、やっぱり無理があるだろう。
なんと言っても興味深いのは、右派論客たちが存分に持論をまくし立てていることだろう。ケント・ギルバート、杉田水脈、藤岡信勝、櫻井よしこ(出番は少ない)、「テキサス親父」としてネット右翼に知られるトニー・マラーノなどの面々である。「卒業制作」としてインタビューし、公開される映画だとは伏せていたと製作側を非難する人もいるようだが、製作時点では無名の院生だから一般公開は想定されていない。この映画は「右派」がストレートに差別意識を暴露しているから興味深くなり、そのため一般公開にこぎ着けたのであって、「右派」が自分自身で上映価値を高めたわけである。
まあ大学院生相手と公開予定映画で言うことが違ったらおかしいわけだが、それにしても杉田水脈(自民党所属の衆議院議員)氏など、ここまで無防備にベラベラ言いまくって大丈夫なんだろうかと思うぐらい。明らかに矛盾しているし、ダブル・スタンダードというしかない。(映画内で示されている例を挙げると、杉田議員は韓国人慰安婦の証言に証拠がないと非難する一方、アメリカで慰安婦像が建設されたため日本人児童がいじめられているという主張を証拠に基づかずに国会質問をしている。)多くの「右派」論客がセクシスト(性差別主義者)やレイシスト(人種差別主義者)であることを言葉の端々に示している。(場内には時々笑いが起こる。)そこが貴重といえば貴重で希少価値がある。
一方その分「慰安婦問題」そのものに関して言えば、問題をある程度知っている人には周知のレベルだと思う。慰安婦の人数問題、あるいは「強制連行」をどう捉えるかの問題、「性奴隷」を巡る定義問題などは、概ね納得できるレベルで語られている。だから最新の慰安婦問題研究というより、「初心者」向けであり、むしろ「日本の知的風土の見取り図」というような映画だ。(ちなみに、「慰安婦は公娼」だという人がいるが、「公娼」制度下の娼妓は現在の定義では「性奴隷」だろう。また「強制連行」を狭義に解釈することは、日本政府の「拉致問題」の定義と矛盾する。)
アメリカが主戦場であるという右派論者の問題設定から、この映画はアメリカでの慰安婦増設置に関する議論をかなり取り上げる。アメリカは監督の出身地なんだから関心が深くても当然だ。しかし、その分韓国やフィリピン、インドネシアなどで名乗りを上げた「当事者」の扱いが少なくなる。また日本のナショナリズムを批判しても、この問題に大きな関係がある韓国のナショナリズムをどう理解するかがあまり語られない。韓国で問題が「再燃」したきっかけのイ・ミョンバク政権下の最高裁判決にも触れていない。日本で数多く起こされた戦後補償裁判も全く触れられていない。(慰安婦問題に限らず、すべてが最高裁で原告敗訴に終わった。)法的立場の相違は現在の日韓関係理解に不可欠だと思う。
まあ2時間超の映画ですべてが語られるはずがない。90年代に世界的に問題化したには当時起こった悲劇的な「ボスニア戦争」が大きい。「戦時性暴力」が決して過去の問題じゃないことを世界に示したのである。「戦時性暴力」の研究が以後どんどん進んでゆく。藤岡信勝が「国家は謝罪しない」と言ってるが、戦時に日系人を収容した過去を謝罪し補償するレーガン大統領の姿を見せる。これが編集の力だ。ドメスティックな視点しか持てないものの悲哀を感じた場面だった。