尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

劇団民藝『「仕事クラブ」の女優」たち』を見る

2017年12月07日 23時10分35秒 | 演劇
 劇団民藝による『「仕事クラブ」の女優たち』を見た。長田育恵作、丹野郁弓演出。三越劇場。ちょうど一年ほど前に、同じ作、演出で柳宗悦を描いた「SOETSU」を見たのもそこ。デパートの中にある古い劇場で、このような戦前のプロレタリア演劇を扱った芝居を見るというのも不思議。17日まで。

 僕は近年、作者の長田育恵さんのお芝居をよく見ている。日本近代史、中でも文化史、思想史に材を取った作品に共感することが多い。それでも最近は書き過ぎではないか。この作品は戦前の「新劇」の初期を扱っている。「新劇」といっても、何が「新」なのか半世紀も前から判らなくなっている。今じゃ普通のリアリズム演劇を見ると、「旧劇」の感じもしてしまう。だけど、日本では歌舞伎など「女形」を使う演劇が伝統芸能だった。「女優」がいるだけでも「革新」だったわけである。

 劇団民藝は、そういう「新劇」の流れを受け継ぐ劇団の一つである。この作品を上演するにはふさわしい。この劇は、昭和初期のプロレタリア演劇が弾圧に次ぐ弾圧を受けた時代を描いている。その時代を扱った演劇はいくつかあるが、この作品はとてもストレートに弾圧を生き抜く人々を描いている。演劇には様々な人々が関わっているが、ここでは題名通り「女優たち」の苦悩が描かれる。今も昔も演劇だけで生きていける人は少ないが、この時代にはまだまだ女優への偏見も強いし、逮捕された夫を支えたりするケースもあった。だから自分たちでアルバイトあっせん組織を作っちゃおう。

 それが「仕事クラブ」で、実話をもとにしている。当時は大きく報道もされたらしい。実際に仕事の依頼もそれなりにあった。プログラムに写真が載っているが、山本安英細川ちか子原泉子高橋豊子などの姿がある。山本安英は「夕鶴」のつうで有名。細川ちか子は戦前戦後に長く活躍した大スターで、美人女優として人気があった。戦後は民藝に所属した。原泉子は名脇役で知られ、中野重治夫人。高橋豊子は小津の晩年の映画で女将役をやってた人。

 そのような実際の写真を見ると、なんか現実感が湧いてくる。プログラムを買うのも意味がある。劇の中には、美人ともてはやされたり、夫が捕らわれた作家だったり、映画に活躍の場を移したりする女優たちが出てくる。劇の中には実名で出てくる人はいないのだが(亡くなっている小山内薫などは別として)、現実の人々をモデルとして書かれていることが判る。長田育恵さんは早稲田大学の演劇博物館に勤めていたことがあり、在任中に築地小劇場展などもあったという。

 ところで、この劇には奈良岡朋子が出ている。もう奈良岡さんの新作舞台をいくつ見られるだろうかというのも、この芝居を見たかった理由。奈良岡朋子演じる秋吉延という人物は多分創作だろう。築地生まれらしいが、広島の人。東京に来ていて、ビラを銀座でもらい劇を見に来た。だけど、左翼のプロパガンダのような芝居には批判的。近くで倒れていて劇団に連れられてきて、静かな言葉でいろいろと批判を繰り広げる。その中から、女優たちは自分たちで仕事探しをしようというアイディアを得る。そして、劇団に居ついて料理などを担当するようになる…という設定である。

 観念的に思想や芸術を広言する若き女優たちを異化するとともに、高齢の人生経験を生かして皆の心をまとめる。なかなか面白い役で、劇場の片隅で拾った本ということで、井伏鱒二「山椒魚」を朗読する場面がある。頭が大きくなりすぎて穴蔵から出られないという山椒魚に、当時の演劇運動の象徴のような意味を込めているんだと思う。劇の流れを止めて、ただ朗読の場面を入れるというのも面白い試みだった。奈良岡朋子への「充て書き」なんだろうが。

 今じゃ「新劇」を見に来る人も高齢化しているから、言わなくても通じるのかもしれないけど、ここには「伯爵夫人」が重要な役で登場する。伯爵というのは、日本の新劇運動の中心人物の一人、土方与志(ひじかた・よし)のことである。土佐出身の元宮内大臣、土方久元の孫として伯爵を継いだ。築地小劇場そのものを土方が資金を出していた。夫人は土方梅子。土方はチェーホフやゴーリキーなどを演出して翻訳劇を身近にした。劇中でも「夜の宿」を見たときの感激を皆が語っている。「どん底」はそのころ「夜の宿」と呼ばれていた。そんなことを知らなくても通じると言えば、多分そうだろう。でも芝居のもとにある細かな知識がある方がより面白い。

 彼女たちには、女優として、女として、左翼劇団として、さまざまな悩み、苦悩が押し寄せる。しかし、最後には彼女たちは良き日を目指して生きていく。革命的オプティミズムのようなものを感じる。それはそれでいいんだけど、現実には自由な演劇活動、表現活動をできるようになるまで、日本と世界には10年以上もの恐るべき苦難が訪れた。築地小劇場の建物そのものも、東京大空襲で灰塵に帰した。そういうことを考えると、今を生きる我々にももっと苦難が続くんじゃないかと僕なんか最近はペシミズムに襲われてしまう。そんなことも感じてしまったお芝居である。
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