尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ヒミズ」

2012年01月29日 00時40分12秒 | 映画 (新作日本映画)
 園子温(その・しおん)監督の話題作「ヒミズ」を見た。主役を演じた中学生役の染谷将太二階堂ふみが、ヴェネツィア映画祭でそろって最優秀新人俳優賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)を受賞した。古谷実の原作漫画を震災下の物語に書きなおして撮った作品で、異様な熱気が作品全体をおおっている。プログラムの佐藤忠男さんの言葉を引用すると「ちょっと見たことがない激烈な感情のほとばしる映画」である。そして「はじめから終わりまでずっとクライマックスが続いているような映画」であると言う。「そんなことは不可能だというのが映画でも演劇でもドラマづくりの常識として確立されてきている。ところがこの『ヒミズ』の園子温は、俺は園子温だ、俺は別だ、とばかり」に作ってしまった。

 園子温監督と言う人は、詩人やパフォーマーとして出発し、長いことインディーズで自主映画を作っていた。一種のデモである「東京ガガガ」時代の詩や写真は、ホームページに残っている。2008年の「愛のむきだし」が4時間にもなる超大作で、ベルリンで受賞、国内でもベストテンに入選して、映画界での地位を確立したと言える。昨年来「冷たい熱帯魚」「恋の罪」と問題作を連発している。僕もかなり意識して評価もしているんだけど、では多くの人に勧めるべき映画かという点で、少しためらいを感じて、ブログでは書かなかった。何しろ、連続殺人や性を主題にした熱すぎる物語が画面全体に展開されていて、「フツーの人」が間違ってみると途中で映画館を出たくなるかもしれない。

 テーマの問題性と画面いっぱいのスピード感、熱さは、この映画でも共通というか、一番ヒートアップしているかもしれない。それは「震災」のガレキの山、テレビ画面から流される原発事故を報じるニュース映像などの「力」も大きい。2011年5月の設定だが、あの頃の日本に満ちていた衝撃と喪失感、連帯感と同時に、「ウソに囲まれていた日常」がむきだしになった社会が映画の基盤のところにある。テレビの中で宮台真司が出ている場面があるが、「終わりなき日常」ではなく、「終わりなき非日常」を生きざるを得なくなった現代日本を暗示しているのだろう。

 「普通に生きたい」を信条にして、親の貸しボート屋を継ぐことを願っている住田祐一、住田を慕い「住田語録」を壁にはっている同級生の茶沢景子。この二人が主人公。震災に襲われ津波で家を失った人々が、テントをはって住んでいる池のほとりのボート屋。父親は借金600万がサラ金にあり、時々帰ってきては子供に暴力を振るう。母親は男を作って家出する。ヤクザが金取りに来て暴力を振るう。学校にも行けなくなるが、そこに毎日のように景子が現れ、ボート屋のチラシを作ったりする。景子の家庭もおかしい。そういう設定の中で、「暴力」にさらされる二人の中学生はどうなるか、二人の関係はどうなるか。はっきり書けば、この熱い映像空間は、何らかの「犯罪」によらなければ進展しないのではないかと思われるが、それは一体どんなものであるか。展開への関心・興味で目が離せない。2時間半以上の映画だが、長いと言う感じは全くしない。

 この映画の二人の主人公は、親から「呪いをかけられた」存在として描かれている。親はもっとも身近な存在として、子供に呪いをかけやすいが、この映画では「存在」自体がうとまれている。あまりにも過酷な運命を背負った二人に、「普通の幸せ」は訪れるのだろうか。この二人の運命は、震災と原発事故という「呪い」をかけられた日本社会に希望はあるのかという暗喩のように思われる。

 ラストのあり方を含めて、この映画が成功しているのかどうか、傑作と言うべきなのかどうかは、実は僕にはまだ判断がつかない。物語に圧倒されたと言えるだけ。「問題作」であることだけは間違いない。だから多くの人に見てもらいたいと思う。この映画を超える映像に今年出会えるだろうか。もしかしたら、今年のベストワン映画を早くも見てしまったかもしれない。もう少し時間が立ってから再見したいなと思う。ただ言えることは、この物語は心の奥深い所をつかまえる力を持っているということだ。
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