2014年のノーベル物理学賞が、赤崎勇、天野浩、中村修二の三氏に贈られることとなった。日本人の物理学賞受賞者は、米国籍の南部陽一郎氏を加えて10名となる。日本人初のノーベル賞、1949年の湯川秀樹氏も物理学。二人目の朝永振一郎氏(1965年)も物理学。僕はこの時から記憶があって、小学校で先生が新聞を手にして解説してくれたのを覚えている。まあ、解説と言っても、日本人ですごい賞を取った人がいるんだよ程度だったんだろうけど。自然科学分野で僕に書けることは限られているんだけど、ちょっと考えたことがあるので書いておきたい。
僕は中村氏などの受賞は今年はないのではないか、むしろ化学賞で受賞可能性があるのではないかと思っていた。物理学賞ではむしろ十倉好紀さんという人の前評判が結構高かったと思う。自然科学分野では、それぞれが幅広い学術分野を有していて、そのどこから選ばれるかは判らない。今年の受賞者の誰かが言っていたと思うけど、物理学賞は理論面の授賞が多く、実際にモノを作った技術的成果に与えられることは少ない。昨年(2013年)の物理学賞は、ヒッグス粒子を予言したヒッグス氏の受賞がほぼ確実視されていた。2012年の医学・生理学賞を受けた山中伸弥氏なども、その年でなくても数年の間に受賞することはほぼ確実と言われていた。そういう業績もあるけど、多くの場合は今年はどの分野が対象になるか判らず、しかも授賞までには数十年かかることが多いので、どうしても運次第という面がある。受賞に値する業績があっても亡くなっていたらダメ。
青色発光ダイオードが発明された時から、「これはノーベル賞級」と皆が言っていたと思う。中村氏の名前も毎年のように候補に挙げられていた。その意味では不思議ではなく、多くの日本人はやっとめぐってきたかと思ったことだろう。僕は今まで、確かにすごい業績なんだろうけど、本当にノーベル賞に値するのかと思わないでもなかった。今回の受賞をきっかけに、いろいろ調べてみると、やはり非常に重要な業績なんだなあと再認識した。しかし、授賞に至る評価に関しては、さまざまな議論もあると思う。「青色」ができたことで、「光の三原色」がそろい、すべての色が出せるようになり、世界に広がる画期となったという話は皆知っている。この「青の発明」は20世紀中は無理だと言われていたという話もいつも出てくる。その話は、青色LEDの発明当時からずっと聞いている。
でも、そういう話は、つまり「青が難しい」(青色は波長が短いから)ということだけど、それは「赤」や「黄」などに比べ難しいという話である。他の色が先に出来ている。他の色がすでにあるから、残った青を何とか作りたいという話になる。それでは、そもそも最初に「発光ダイオード」を作った人の業績はどうなるのだろうか。最後の青も偉いけど、そもそも最初に発光ダイオードを作った人がいるからこそではないのか。では、その最初の人は誰かと調べてみると、1962年に赤色発光ダイオードを発明したアメリカのニック・ホロニアック・ジュニアという人である。1928年生まれで、今も存命。ウィキペディアで調べると、様々な研究を行っていて、発明当時はGEのエンジニア。現在もイリノイ大学教授である。1963年段階で、やがて電灯が発光ダイオードに代わるだろうと予言したという。この人も有力なノーベル賞候補と言われ続けてきたし、日本国際賞なども受けている。だから、大学院生として関わった天野氏ではなく、ホロニアック氏が受賞したとしても全くおかしくなかったと僕は思う。
でも、ノーベル賞を選考するスウェーデン王立アカデミーは、特に青色の発明を決定的に重視したわけである。これはどうしてだろうか。青を作る難しさに加え、青の完成により初めて発光ダイオードの普及が進み、そのことで「省エネ」「地球温暖化防止」、さらに携帯電話、パソコンなどに使われ発展途上国の情報環境が大きく変わったこと。貧しい国でも長い送電網を作らずとも、「照明」を行き渡らせることができること。そのような「世界を照らす発明」「世界を明るくする発明」だという側面を重視したのだと僕は思うのである。貧しい国、貧しい家では、文字通り社会が暗い。女性(母親)や子どもの部屋は家の中で暗い側にあり、照明や換気の面で恵まれないという社会は世界に多いと思う。家が明るくなるということは、それだけで教育や女性進出に好影響を与えるはずである。つまり「全人類的に有益な業績」なのである。これこそノーベルが本来望んでいたことではないか。単に物理学的業績に止まらず、平和賞や経済学賞的な観点も加えてみると、大変な業績だと判るように思う。
さて、青色LEDを調べていて、興味深いことを知った。赤崎教授の話が最初にいろいろ出てきて、窒化ガリウムという物質は使わない人が多かったけど、ずっと信じて研究し続けたと語っていた。だから、そこがエライと思ってしまったんだけど、このガリウム(GA 原子番号31)という物質は単体では自然界に存在せず、ボーキサイトや亜鉛の副産物として作られるレアメタルだという。日本は世界最大の輸入国で、リサイクルされたアメリカからの輸入が多いが、そもそもの生産国は中国、カザフスタン、ウクライナなどであるらしい。しかも、高価である。ところが、もっと安い酸化亜鉛で青色発光ダイオードを作ることがすでに可能になっているのである。それは東北大の川崎雅司氏らの業績で、「青色LEDの再発明」とも言われているとのこと。そんな話は聞いたことなかったけど。
ところで、3氏の受賞に関して「日本人は優秀だ」とか、そういう発想で持ち上げている人がいる。でも、赤崎氏の記者会見で「好きなことを追求してきただけ」と語っているのを聞き、こういう話は前にも聞いたなあと思った。30年前の大学ではそういうことが可能だったのである。今の日本の大学で可能なのか。「大学の自治」をどんどん壊し、大学を競わせる、そのための書類作りばかり大変な「改革」を進めてきた人には、この受賞を喜んで欲しくないと僕は正直言って思ってしまう。教育の場から、自由と創造性を奪うような政策を進めてきていて、何が「ノーベル賞受賞おめでとう」だと思う。大学教育も今信じられないほど変えられようとしている。武器輸出禁止の緩和に伴い、自然科学分野では「軍事技術」の開発も大学に入り込もうと狙っているらしい。そんな中で、全くの平和的な技術で世界に評価されるということは素晴らしいではないか。
また中村氏の業績をめぐっては、会社と裁判したことは有名だが、今政府は「社員の発明はすべて会社に帰属する」という法改正を進めようとしている。何だろう、これは。安倍内閣発足以後、会社ばかり有利な政治をしている感じがするけど、これは余りにも露骨なんではないか。優秀な技術者は日本を捨てて外国で活躍してくださいということなのか。だから、エリートには英語、英語という教育改革を進めているのか。残った優秀でない日本の若者は戦争に行きなさいということか…とどんどん「怒りの邪推」がエスカレートしていくんですけど。中村さんもアメリカで仕事して、日本には長期滞在して温泉と和食を楽しむのがいいと言っていた。そう、温泉と日本の食のバラエティは捨てがたいものだ。でも、日本はもっと冒険と勇気を貴ぶ社会にならないといけない。ちなみに、中村修二氏のお兄さんという人がテレビに登場して「弟より喜んでいる」と語っていた姿を覚えている人も多いだろう。この中村康則さんという人は、受賞ニュースの翌日に幕張メッセの「シーテック」で取材に応じていた。IT・エレクトロニクスの展示会で、中村康則氏は松山市にある「エフエーエスシステム・エンジニアリング」という中小企業の社長さんなのである。3Dプリンターなどを開発し出展していたのである。お兄さんは兄弟とも中学時代にバレーボール部で活動し、その経験が「青色LED発明の原動力」だと言っていたのが印象的だった。そういうことも大事なんだなあ。
僕は中村氏などの受賞は今年はないのではないか、むしろ化学賞で受賞可能性があるのではないかと思っていた。物理学賞ではむしろ十倉好紀さんという人の前評判が結構高かったと思う。自然科学分野では、それぞれが幅広い学術分野を有していて、そのどこから選ばれるかは判らない。今年の受賞者の誰かが言っていたと思うけど、物理学賞は理論面の授賞が多く、実際にモノを作った技術的成果に与えられることは少ない。昨年(2013年)の物理学賞は、ヒッグス粒子を予言したヒッグス氏の受賞がほぼ確実視されていた。2012年の医学・生理学賞を受けた山中伸弥氏なども、その年でなくても数年の間に受賞することはほぼ確実と言われていた。そういう業績もあるけど、多くの場合は今年はどの分野が対象になるか判らず、しかも授賞までには数十年かかることが多いので、どうしても運次第という面がある。受賞に値する業績があっても亡くなっていたらダメ。
青色発光ダイオードが発明された時から、「これはノーベル賞級」と皆が言っていたと思う。中村氏の名前も毎年のように候補に挙げられていた。その意味では不思議ではなく、多くの日本人はやっとめぐってきたかと思ったことだろう。僕は今まで、確かにすごい業績なんだろうけど、本当にノーベル賞に値するのかと思わないでもなかった。今回の受賞をきっかけに、いろいろ調べてみると、やはり非常に重要な業績なんだなあと再認識した。しかし、授賞に至る評価に関しては、さまざまな議論もあると思う。「青色」ができたことで、「光の三原色」がそろい、すべての色が出せるようになり、世界に広がる画期となったという話は皆知っている。この「青の発明」は20世紀中は無理だと言われていたという話もいつも出てくる。その話は、青色LEDの発明当時からずっと聞いている。
でも、そういう話は、つまり「青が難しい」(青色は波長が短いから)ということだけど、それは「赤」や「黄」などに比べ難しいという話である。他の色が先に出来ている。他の色がすでにあるから、残った青を何とか作りたいという話になる。それでは、そもそも最初に「発光ダイオード」を作った人の業績はどうなるのだろうか。最後の青も偉いけど、そもそも最初に発光ダイオードを作った人がいるからこそではないのか。では、その最初の人は誰かと調べてみると、1962年に赤色発光ダイオードを発明したアメリカのニック・ホロニアック・ジュニアという人である。1928年生まれで、今も存命。ウィキペディアで調べると、様々な研究を行っていて、発明当時はGEのエンジニア。現在もイリノイ大学教授である。1963年段階で、やがて電灯が発光ダイオードに代わるだろうと予言したという。この人も有力なノーベル賞候補と言われ続けてきたし、日本国際賞なども受けている。だから、大学院生として関わった天野氏ではなく、ホロニアック氏が受賞したとしても全くおかしくなかったと僕は思う。
でも、ノーベル賞を選考するスウェーデン王立アカデミーは、特に青色の発明を決定的に重視したわけである。これはどうしてだろうか。青を作る難しさに加え、青の完成により初めて発光ダイオードの普及が進み、そのことで「省エネ」「地球温暖化防止」、さらに携帯電話、パソコンなどに使われ発展途上国の情報環境が大きく変わったこと。貧しい国でも長い送電網を作らずとも、「照明」を行き渡らせることができること。そのような「世界を照らす発明」「世界を明るくする発明」だという側面を重視したのだと僕は思うのである。貧しい国、貧しい家では、文字通り社会が暗い。女性(母親)や子どもの部屋は家の中で暗い側にあり、照明や換気の面で恵まれないという社会は世界に多いと思う。家が明るくなるということは、それだけで教育や女性進出に好影響を与えるはずである。つまり「全人類的に有益な業績」なのである。これこそノーベルが本来望んでいたことではないか。単に物理学的業績に止まらず、平和賞や経済学賞的な観点も加えてみると、大変な業績だと判るように思う。
さて、青色LEDを調べていて、興味深いことを知った。赤崎教授の話が最初にいろいろ出てきて、窒化ガリウムという物質は使わない人が多かったけど、ずっと信じて研究し続けたと語っていた。だから、そこがエライと思ってしまったんだけど、このガリウム(GA 原子番号31)という物質は単体では自然界に存在せず、ボーキサイトや亜鉛の副産物として作られるレアメタルだという。日本は世界最大の輸入国で、リサイクルされたアメリカからの輸入が多いが、そもそもの生産国は中国、カザフスタン、ウクライナなどであるらしい。しかも、高価である。ところが、もっと安い酸化亜鉛で青色発光ダイオードを作ることがすでに可能になっているのである。それは東北大の川崎雅司氏らの業績で、「青色LEDの再発明」とも言われているとのこと。そんな話は聞いたことなかったけど。
ところで、3氏の受賞に関して「日本人は優秀だ」とか、そういう発想で持ち上げている人がいる。でも、赤崎氏の記者会見で「好きなことを追求してきただけ」と語っているのを聞き、こういう話は前にも聞いたなあと思った。30年前の大学ではそういうことが可能だったのである。今の日本の大学で可能なのか。「大学の自治」をどんどん壊し、大学を競わせる、そのための書類作りばかり大変な「改革」を進めてきた人には、この受賞を喜んで欲しくないと僕は正直言って思ってしまう。教育の場から、自由と創造性を奪うような政策を進めてきていて、何が「ノーベル賞受賞おめでとう」だと思う。大学教育も今信じられないほど変えられようとしている。武器輸出禁止の緩和に伴い、自然科学分野では「軍事技術」の開発も大学に入り込もうと狙っているらしい。そんな中で、全くの平和的な技術で世界に評価されるということは素晴らしいではないか。
また中村氏の業績をめぐっては、会社と裁判したことは有名だが、今政府は「社員の発明はすべて会社に帰属する」という法改正を進めようとしている。何だろう、これは。安倍内閣発足以後、会社ばかり有利な政治をしている感じがするけど、これは余りにも露骨なんではないか。優秀な技術者は日本を捨てて外国で活躍してくださいということなのか。だから、エリートには英語、英語という教育改革を進めているのか。残った優秀でない日本の若者は戦争に行きなさいということか…とどんどん「怒りの邪推」がエスカレートしていくんですけど。中村さんもアメリカで仕事して、日本には長期滞在して温泉と和食を楽しむのがいいと言っていた。そう、温泉と日本の食のバラエティは捨てがたいものだ。でも、日本はもっと冒険と勇気を貴ぶ社会にならないといけない。ちなみに、中村修二氏のお兄さんという人がテレビに登場して「弟より喜んでいる」と語っていた姿を覚えている人も多いだろう。この中村康則さんという人は、受賞ニュースの翌日に幕張メッセの「シーテック」で取材に応じていた。IT・エレクトロニクスの展示会で、中村康則氏は松山市にある「エフエーエスシステム・エンジニアリング」という中小企業の社長さんなのである。3Dプリンターなどを開発し出展していたのである。お兄さんは兄弟とも中学時代にバレーボール部で活動し、その経験が「青色LED発明の原動力」だと言っていたのが印象的だった。そういうことも大事なんだなあ。
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