大相撲で最多の優勝回数を誇る、第48代横綱・大鵬(1940~2013)が死去した。72歳。1977年に脳梗塞で倒れために、大横綱だけど理事長にはならず、弟子育成でもあまり活躍できなかった。しかし、よくリハビリに努めて回復し、定年まで協会に勤務し理事も務めた。その後も相撲博物館長を務めた。ジャイアンツの長嶋茂雄も脳梗塞で倒れているし、亡くなったばかりの大島渚監督も脳出血で長く闘病生活を送った。大鵬は若い時期に倒れたため、リハビリに努力して社会復帰できたわけで、相撲取りとしても偉大だったけれど、この後半生も多くの人に励ましを与えていたことを特筆したいと思う。

ニュースでも「巨人 大鵬 卵焼き」という言葉を皆が取り上げていた。若い人は本当にそんなことを言っていたのかと思うかもしれないが、この言葉は当時は誰でも知っていた。これは「子どもが好きなもの」という意味である。今思うと、「卵焼き」で嬉しかったのかと何だか情けないような、気恥しいような思いがする。せめて「ハンバーグ」とか「焼き肉」なら判るけど。「60年代」を知らない人は神話化しがちだが、日本はまだまだ貧しくて、子どもが卵焼きに憧れていた程度の時代なのである。
この言葉は僕には謎だった。巨人も大鵬も好きではなかったからだ。東京五輪で活躍した選手は別として、子どもにとってスポーツと言えば野球と大相撲という時代である。空き地があれば野球をやるし、雨の日は屋内で取っ組み合って相撲を取る。巨人も大鵬ももちろん誰でも知ってたが、当時はジャイアンツは9連覇中(1965~1973)だった。大鵬も6回連続優勝が2回もあった。優勝回数は全部で32回。横綱には柏戸と同時に昇進し「柏鵬時代」と言われたが、柏戸はケガが多く休場が多く大鵬ばかり勝ってる感じだった。僕が応援しなくても、いつも巨人と大鵬が優勝するっていうのに、どうして巨人や大鵬のファンがいるのか、僕には判らなかった。技がうまいけどなかなか勝てないとか、伸び盛りでどこまで出世するか楽しみという力士を応援した方が面白い。という風に子供ながらに思っていて、アンチ巨人、アンチ大鵬。これが自然にアンチ自民党になっていったのかもしれない。
僕が大鵬という力士の偉大さをとことん実感したのは、もう20年ほども前になるが、出身地の北海道・川湯温泉にある「川湯相撲記念館」へ行ったときのことである。川湯に泊り翌日は確か少し雨で、屋外観光よりは室内施設でも見ようかという感じで、行ってみたわけである。そういう感じでふらっと寄った博物館の中では、有数の満足度だった。大鵬の取り組みをビデオで一杯やってるんだけど、懐かしいし実に素晴らしい。まあ勝った取り組みばかり流してるわけだけど、正攻法の相撲だし、大柄で美男。「これぞ日本のお相撲さん」という感銘を受けるのである。小さな時だから、細かい取り組みまでは覚えていなかったけど、今見ても実に見応えがあるのである。
(川湯相撲記念館)
優勝回数は、2位が31回で千代の富士、3位が25回の朝青龍、4位が24回の北の湖。5位が23回で白鵬。6位が22回の貴乃花。20回以上はこの6人である。いかに大鵬の記録がすごいかが判る。連勝は45回が最多だが、この時の負けた取り組みが有名な誤審で、翌日の新聞の写真ではっきり判った。これでビデオ判定が取り入れられることになるのは、有名な話。(白鵬はその後大鵬を抜き、2017年末段階で40回の優勝。2017.11.27段階で追加訂正。)
1971年5月場所で、貴ノ花(初代、後の大関)に敗れて引退を決意した。この貴ノ花は千代の富士に敗れて引退を決意、千代の富士は貴花田(後の横綱貴乃花)に敗れて引退するという因縁の連鎖がある。引退後は、初めて「一代年寄」という特別な待遇を認められた。大鵬という現役時代のしこ名のまま、親方になれるという特権である。その後、北の湖、千代の富士(辞退)、貴乃花に認められた。しかし、晩年は恵まれなかった。ロシアから連れてきた露鵬とその弟の白露山が大麻の反応が出て解雇され、続いて娘婿で部屋の後継者だった大嶽親方(元貴闘力)までが野球賭博問題で解雇されてしまったの。2009年に相撲界から初めて、文化功労者に選定されるなど社会的には評価されたが、これらの不祥事には悲しい思いがした。
なお、父親が「白系ロシア人」と言われていた。今調べると、ウクライナ人と書かれているが。巨人の元投手スタルヒンという偉大なピッチャーも白系ロシア人だという話で、小さい時からこの「白系ロシア人」という言葉が謎だった。なんか謎の民族のようで。これはロシア革命の赤軍を逃れて亡命したという意味で、ヨーロッパに多いが、沿海州を通して中国、日本に来た人もかなり多い。大鵬は父親が樺太に亡命していて、戦後に母子で北海道に引き上げた。苦労の人である。

ニュースでも「巨人 大鵬 卵焼き」という言葉を皆が取り上げていた。若い人は本当にそんなことを言っていたのかと思うかもしれないが、この言葉は当時は誰でも知っていた。これは「子どもが好きなもの」という意味である。今思うと、「卵焼き」で嬉しかったのかと何だか情けないような、気恥しいような思いがする。せめて「ハンバーグ」とか「焼き肉」なら判るけど。「60年代」を知らない人は神話化しがちだが、日本はまだまだ貧しくて、子どもが卵焼きに憧れていた程度の時代なのである。
この言葉は僕には謎だった。巨人も大鵬も好きではなかったからだ。東京五輪で活躍した選手は別として、子どもにとってスポーツと言えば野球と大相撲という時代である。空き地があれば野球をやるし、雨の日は屋内で取っ組み合って相撲を取る。巨人も大鵬ももちろん誰でも知ってたが、当時はジャイアンツは9連覇中(1965~1973)だった。大鵬も6回連続優勝が2回もあった。優勝回数は全部で32回。横綱には柏戸と同時に昇進し「柏鵬時代」と言われたが、柏戸はケガが多く休場が多く大鵬ばかり勝ってる感じだった。僕が応援しなくても、いつも巨人と大鵬が優勝するっていうのに、どうして巨人や大鵬のファンがいるのか、僕には判らなかった。技がうまいけどなかなか勝てないとか、伸び盛りでどこまで出世するか楽しみという力士を応援した方が面白い。という風に子供ながらに思っていて、アンチ巨人、アンチ大鵬。これが自然にアンチ自民党になっていったのかもしれない。
僕が大鵬という力士の偉大さをとことん実感したのは、もう20年ほども前になるが、出身地の北海道・川湯温泉にある「川湯相撲記念館」へ行ったときのことである。川湯に泊り翌日は確か少し雨で、屋外観光よりは室内施設でも見ようかという感じで、行ってみたわけである。そういう感じでふらっと寄った博物館の中では、有数の満足度だった。大鵬の取り組みをビデオで一杯やってるんだけど、懐かしいし実に素晴らしい。まあ勝った取り組みばかり流してるわけだけど、正攻法の相撲だし、大柄で美男。「これぞ日本のお相撲さん」という感銘を受けるのである。小さな時だから、細かい取り組みまでは覚えていなかったけど、今見ても実に見応えがあるのである。

優勝回数は、2位が31回で千代の富士、3位が25回の朝青龍、4位が24回の北の湖。5位が23回で白鵬。6位が22回の貴乃花。20回以上はこの6人である。いかに大鵬の記録がすごいかが判る。連勝は45回が最多だが、この時の負けた取り組みが有名な誤審で、翌日の新聞の写真ではっきり判った。これでビデオ判定が取り入れられることになるのは、有名な話。(白鵬はその後大鵬を抜き、2017年末段階で40回の優勝。2017.11.27段階で追加訂正。)
1971年5月場所で、貴ノ花(初代、後の大関)に敗れて引退を決意した。この貴ノ花は千代の富士に敗れて引退を決意、千代の富士は貴花田(後の横綱貴乃花)に敗れて引退するという因縁の連鎖がある。引退後は、初めて「一代年寄」という特別な待遇を認められた。大鵬という現役時代のしこ名のまま、親方になれるという特権である。その後、北の湖、千代の富士(辞退)、貴乃花に認められた。しかし、晩年は恵まれなかった。ロシアから連れてきた露鵬とその弟の白露山が大麻の反応が出て解雇され、続いて娘婿で部屋の後継者だった大嶽親方(元貴闘力)までが野球賭博問題で解雇されてしまったの。2009年に相撲界から初めて、文化功労者に選定されるなど社会的には評価されたが、これらの不祥事には悲しい思いがした。
なお、父親が「白系ロシア人」と言われていた。今調べると、ウクライナ人と書かれているが。巨人の元投手スタルヒンという偉大なピッチャーも白系ロシア人だという話で、小さい時からこの「白系ロシア人」という言葉が謎だった。なんか謎の民族のようで。これはロシア革命の赤軍を逃れて亡命したという意味で、ヨーロッパに多いが、沿海州を通して中国、日本に来た人もかなり多い。大鵬は父親が樺太に亡命していて、戦後に母子で北海道に引き上げた。苦労の人である。
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