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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

タル・ベーラ渾身の傑作「サタンタンゴ」を見る

2019年09月16日 20時59分31秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ハンガリーのタル・ベーラ(Tarr Béla、1955~)監督が1994年に作った、7時間18分にも及ぶ「サタンタンゴ」(Sátántangó)が公開された。前に一度日本でも上映されているが、あまりにも長いから敬遠した。今度は正式な劇場公開だから、やはり見ておこうと思い、タル監督(ハンガリー人だから、姓名の順で表記する)のティーチインがある日に予約を取った。長くて長くて、最後の方はお尻が痛くなるは、目はショボショボするは、内容以前に肉体的限界に挑むような映画体験だ。2時間40分ほどで1回目の休憩(15分)、さらに2時間ほど経って2回目の休憩(25分)が入った。

 タル・ベーラ監督に関しては「タル・ベーラの映画を見る」を2012年11月に書いている。その時点で見られた「ヴェルクマイスター・ハーモニー」(2000)、「倫敦から来た男」(2007)、「ニーチェの馬」(2011)について書いている。ウィキペディアを見ても、「サタンタンゴを含めた4本しか載ってない。「サタンタンゴ」のパンフレットを見て、初めて短編やテレビ作品を含め8本をハンガリーで撮っていることを知った。それらは「社会派リアリズム」やジョン・カサヴェテスみたいな映画だという。

 「サタンタンゴ」以後の4作品には共通点がある。(そして「ニーチェの馬」で映画監督引退を表明しているから、この4作のみになる。)とにかく、一つのカットが長い。極端な長回しである。「サタンタンゴ」は7時間超に対して、150カットだという。「ヴェルクマイスター・ハーモニー」も、145分に37カットしかない。どの映画も画面が暗い。あえて太陽を避けるように撮影されている。「サタンタンゴ」は寒村の寂れきった村で、秋の長雨シーズンに雨が降りつのる。ここまで寒々しい映画も珍しい。冒頭から、ひたすらカメラは見つめ続ける。動かないわけじゃなくて、パンや移動で世界をグルッと見せてゆく。

 特に風が吹きゴミが吹きすさぶ道を男たちが遠ざかってゆくところを追い続けるシーン、遠ざかる人々を長く見つめるシーンなど、忘れがたい映像が多い。カメラの位置や動き方は、非常に独自である。酒場で飲んでる人々を描くときは、普通なら飲んでる姿を前から映す。全景を見せたければ、別のカメラで撮ってつなげるだろう。ところがこの映画では、飲んでる男の後ろから撮っている。画面の右半分が後ろ姿で黒くなってる。そこからカメラが右に移動する。そうれじゃあ男の背中が画面を覆ってしまうではないか。その通りで、画面は真っ暗になる。やがてカメラはさらに動き、今度は男の背中が左になる。画面が暗いんじゃなくて、真っ黒で何も見えないシーンが何度かある。そんな映画は他にない。
(タル・ベーラ監督)
 「サタンタンゴ」は表面的な筋書きがよく判らない。原作があると言うことで、原作者のクラスナホルカイ・ラースローとともに映画化している。名前を知らないけど、2015年に国際ブッカー賞を受賞してノーベル文学賞候補に名が上がる作家だという。原作と同じく、映画は12章に分かれる。タンゴは6歩進んで、6歩下がるというステップに合わせている。休憩を挟んで前半の6章が、その後に後半の6章がある。最初の方で「イリミアージュがやってくる」と何度も言うけど、イリミアージュとは何者か判らない。全然出て来ないから、来ると予告して来ない物語かと思ったら、後半にちゃんと出てきた。

 一体いつ頃の話かもよく判らない。パソコンもケータイもないのは、もともと1994年の映画だから当然だが、自動車も出てこない。馬車を使ってるから大昔なのか。後半に入って、テレビや自動車も現れるから、実は現代だったのか。物語の意味は、パンフで深谷志寿氏の文章を読むと氷解する。えっ、そういう話だったのかと思うが、ここではあえて書かない。ただ一言だけ、冒頭から寂れきった廃村が描かれるが、これは社会主義体制崩壊期の集団農場解体を意味しているという。そのことは外部の人には言われないと判らない。しかし、原作も映画も社会派的な展開をしない。タル・ベーラの映像感覚に従って、ひたすら崩壊する世界を見続けるしかない。

 途中で時間感覚があいまいになってくる。長いからということじゃなく、どうも時間軸がずれていたのかなと思う。最後になって、やはり円環状の構造になっていた。それが「タンゴ」だということなんだろう。停滞し蜘蛛の巣に飲み込まれそうな「世界」に、傷つけ合う人々。そこに出現する「救済の可能性」。冷たい雨が降り続き、夜明けが遠い世界に生きることの意味。「偽りの解放者」に依存する人々。いろんな解釈が可能だろうが、現実的意味ではなく、暗い映像を見つめる意思が問われるような映画だ。

 「サタンタンゴ」は、1994年のベルリン映画祭でカリガリ映画賞を受賞した。賞の名前に聞き覚えがあるなと思ったら、独創的な作品に与えられる賞で、日本人では原一男「ゆきゆきて、神軍」と園子温「愛のむきだし」が受賞している。そう言えば、破格の作品という共通点がある。マーティン・スコセッシが「真の映画体験」と呼び、ガス・ヴァン・サントが影響を受けたと語る。そんな映画作家の25年も前の映画だが、あまりの巨編にたじろぐことなく、人生で一回は見る価値がある。ただエンタメ作品3本立てと違って、やっぱり疲れたな。
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