尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

東大散歩②-三四郎池や安田講堂

2014年12月27日 00時21分29秒 | 東京関東散歩
 東大散歩の続き。東大農学部を見たら、本郷通りを南下して「本郷キャンパス」に向かう。農学部から言問通りをまたいで陸橋が出来ているので、それを利用してもいい。でも東大も広いので、地図を見て門から行かないと迷う場合もあるだろう。様々な建物が現われ、イチョウ並木や三四郎池など自然景観も面白く、相当面白い散歩コースだと思う。(なお、東大には無料の東大博物館があるのだが、現在は閉館しているので見られない。)

 有名な赤門は後で見るが、実は正門ではない。正門は赤門の北の方にあり、そこからまっすぐ行けば有名な安田講堂である。1925年竣工で、登録有形文化財に指定されている。匿名の寄付で建てられたが、これは安田財閥の創始者で、暗殺された安田善次郎によるものだった。そのため「安田講堂」と言い習わされている。(正式には「東京大学大講堂」。)ここは、東大闘争時の「安田講堂占拠事件」と機動隊による強制排除の場所として、僕の世代にはテレビで見た印象が鮮烈である。もう、みんな朝から夜まで見ていた。そのため荒廃していたが、1990年の大改修以後、卒業式などもに使われているという。現在も再び大改修中で、そばには近づけなかったが、外見は非常に力強い。
   
 ちょうどイチョウ並木は黄葉の盛りで、素晴らしかった。是非、来年以後にまた行ってみたい。
   
 安田講堂から少し歩くと、「三四郎池」がある。正式には「育徳園心字池」である。夏目漱石「三四郎」に印象的に出てくるから、「三四郎池」というようになった。それはもちろん知っていて、前に見たこともあるんだけど、きちんと周りを歩いたことはなかった。けっこう大きい池なので、歩きがいがある。多少のアップダウンもある。写真を撮ると、ちょっと山の中みたいなムードがある。周りから隔絶された感じで、池の水面に映る景色が美しい。
   
 三四郎池のそばに大きな銅像があり、一体誰だろうと思うと、濱尾新(はまお・あらた 1849~1925)という元東大総長(枢密院議長や文部大臣などを歴任)の人物だった。また、イチョウに木のそばに、建築家のジョサイア・コンドルの銅像もあった。 
   
 さて、農学部3号館とともに都の歴史的建造物に選定されているのが、「七徳堂」という武道場があるが、これは改修中で見られなかった。もう一つ「東京大学広報センター」がある。「旧医学部附属病院夜間診療所、旧医師会事務局」だという。これは一体どこにある?どうもよく判らないと迷ってしまったが、東大病院、龍岡門の近くの通り沿いにある。休日に行ったので中には入れなかった。道の向こう側から撮った方がいい。1926年完成という。他にも歴史的な建造物が多いようだが、どんどん建て直されてしまう可能性がある。しかし、大きな機能的なビルではなく、堅固な石造りの方が「知の殿堂」のムードがあると思う。大学の風景というのは、そのような「近代化遺産」の魅力だろう。
   
 医学部、東大病院は本郷通りから行く場合、真裏の位置にある。通り沿いが小高くなっていて、銅像がある。誰かと思えば、ベルツスクリパという人だった。明治期のお雇い外国人の医学者である。ベルツは日記を残したことで有名だが、草津温泉を有名にした人でもある。大聖寺藩上屋敷跡(加賀前田藩の別家)の碑や水原秋桜子の句碑もある。
   
 こうやって歩き回っていると、けっこう時間が経つし疲れてくる。ぐるっと回って、最後に「赤門」から出ようと思う。1827年に作られた。重要文化財。本郷キャンパスは旧前田家上屋敷だが、11代将軍家斉の息女が前田家に嫁ぐ時に造られた門だという。常に人がいて記念撮影をしているので、この門だけを昼間に撮るのは不可能だろう。東大そのものを赤門に例えることもあるぐらい、有名な門だけど正門ではない。(前2枚は中から、あと2枚は外から。)
   
 外は本郷通りで、通りを渡ると樋口一葉や宮沢賢治などの故地。本郷三丁目周辺は東京の中でも極め付けに面白いところの一つだと思うけど、そっちはまた別に。東大はあまり行ったことがなかったし、縁遠い気持ちの人もいるかもしれないけど、散歩コースとしては東京屈指の場所ではないかと思った。是非、晩秋に歩きたい場所。また「三四郎」を読んでるけど、まだ行ったことはない東京近辺の人はぜひ訪ねるべきだろう。
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