尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大塚明彦、松本賢一、呉清源、羽仁未央他ー2014年11月の訃報

2014年12月07日 23時23分11秒 | 追悼
 恒例により11月の訃報をまとめるが、11月は桂小金治高倉健菅原文太と3人も映画関係の追悼を書かなくてはならなかった。特に衆議院解散日に伝えられた高倉健、公示日前日に伝えられた菅原文太の訃報は、選挙ニュースを飛ばしてしまうぐらいのインパクトがあった。菅原文太は晩年に有機農業、反原発、反戦のメッセージを発し続けたが、それはテレビでは伝えていないのだそうだ。それが日本の悲しい現実だが、国家が隠蔽したいものは民衆が伝えていくしかない。病を抱えて、沖縄県知事選の応援に行った。そこで、政治の役割は二つある、一つは、国民を飢えさせないこと。もう一つは、絶対に戦争をしないこと」と発言した。1万5千の参加者を感動させた文太の発言を多くの人が語っている。こういう言葉こそ親から子へと伝え続けて行かないと。

 大塚ホールディングス会長、大塚明彦(11.28没、77歳)は、「ボンカレー」を発案した人だが、「ポカリスエット」「カロリーメイト」もこの人だったか。そうすると現代日本に大きな貢献をしたことになる。「オロナミンC」「ソイジョイ」もある。でも、98年に新薬開発をめぐる贈賄事件で有罪になったと書いてある。それほどの事件なら当時報道で知っていたはずだが、全く覚えていない。忘れてしまうもんである。でも、そういう経歴があると、死後も叙勲などはないんだろう。大塚グループは徳島にあり、陶板画で名画を複製した大塚国際美術館が鳴門にある。ところで大塚グループは非上場大企業だが、詐欺によく使われる(今度未公開の大塚製薬が上場されることになり、確実に値上がりする。未公開株を特別にお分けできるんだが…)のでご注意。
(大塚明彦)
 評論家・思想史家の松本健一(11.27没、68歳)は、実は先月一番驚いた訃報。民主党政権に加わったりしていたが…。若い時から北一輝研究を続け、右だか左だか判らない位置にいたが、北一輝という人も「2・26事件の黒幕の右翼の大物」というだけでは済まない矛盾を抱えた人物だった。僕も若い頃は雑誌(「現代の眼」とか「流動」とか)でずいぶん読んだと思うが、あまりちゃんと読んだことがない。気にならないわけではないが、読まずに来た人だった。68歳は「若い」とまでは言えないだろうが、今の時代でももっと活躍する人がいっぱいいる。
(松本健一)
 正直まだ生きていたのかという訃報も時にはある。「昭和の棋聖」呉清源(11.30没、100歳)はその代表。囲碁のことはよく判らないけど、「呉清源 極みの棋譜」は田壮壮監督の2006年の傑作だった。戦後すぐには、双葉山とともに、新興宗教爾宇教に入信した騒動もあった。元衆議院議長で、三重2区で14回連続当選した「タムゲン」こと、田村元(11.1没、90歳)も引退後時間が経ったので、もう忘れられたかもしれない。党の執行部の盲従するのではなく、自分で政治活動をできる数少ない自民党政治家だったと思う。戦前の映画「路傍の石」で主人公の少年を演じた片山明彦(11.16没、88歳)もずいぶん名前を聞いてなかった。
(呉清源)(田村元=肖像画)
 若いという方では、羽仁未央(11.18没、50歳)の訃報にはビックリした。映画監督羽仁進と女優左幸子の子ども、つまり羽仁五郎、羽仁説子の孫。普通の学校には通わず、父の映画「妖精の詩」に出たり、海外生活を送っていた。80年代後半からは香港に住んで様々の活動をしていたようだったが…。父はまだ存命で、最近は親が生きているのに子どもが先に死んでしまう、「三笠宮」「吉行あぐり」的な人が多くなった。これは寂しいことだろう。
(羽仁未央)
 NHK元会長、川口幹夫(11.5没、88歳)は若い時に「紅白歌合戦」を大きくした人。種村直樹(11.6没、78歳)は鉄道ライターで多くの著書がある。ミステリーの「長浜鉄道記念館」ぐらいしか読んでないけど、実は住所が僕の使う駅の近くにあった。徳大寺有恒(11.7没、74歳)は「間違いだらけのクルマ選び」シリーズで知られる。昔、車を買う時に一回だけ読んだことがあるが、公正公平な本だと思った。本名は「杉江博愛」だったと記事にある。まあ本名だと思っていたわけでもないけど。社会党の元参議院議員で、同時通訳の草分け、国弘正雄(11.25没、84歳)は、アポロ11号の月面着陸の時の通訳だから、ある時期には全日本人が知っていた人。三木武夫の秘書官をしてたから、社会党から出た時にはちょっと驚いた。

 ジョニー大倉(11.19没、62歳)は「伝説のバンド」キャロルでデビューした。ロックはあまり聞いてなかったけど、龍村仁がNHKをやめるきっかけとなったドキュメント「キャロル」を見たから知っていた。その後、「在日韓国人」をカミングアウトして「異邦人の河」という映画に主演俳優として登場。以後、「遠雷」「戦場のメリークリスマス」など80年代の重要な俳優として活躍した。62歳はやはり若いというしかないだろう。
(ジョニー大倉、若い頃)
 「卒業」の監督、といつまでも言われるマイク・ニコルズ(11.19没、83歳)だが、ドイツ生まれのユダヤ人で、演劇出身の人。「バージニア・ウルフなんかこわくない」を映画化するときに監督デビューした。どっちかというと、舞台演出家だった人だと思う。日本では映画しか見られないが、演劇的な作りで映画としてはどうかなという場合が多かった。イギリスの女性ミステリー作家、P・D・ジェイムズ(11.27没、94歳)は長命の人だが、非常に緻密な構成のミステリーで、イギリス女性ミステリーの代表格だった。「策謀と欲望」が「このミス」で1位になったことがある。他に「女には向かない職業」「死の味」「原罪」などがある。「ダルグリッシュ警視」というのが代表的な主人公で、詩を書く警官でビックリ。
(マイク・ニコルズ)(P・D・ジェイムズ)
 今公開されている「三里塚に生きる」を監督した大津幸四郎(11.28没、80歳)の訃報にはビックリ。小川プロの三里塚シリーズのカメラマンで、後には劇映画も手掛けた。最後に原点の三里塚を撮って亡くなった。記録映画では、小泉修吉(11.12没、81歳)は「グループ現代」を作り多くの記録映画を作ってきた。自分で監督したものは、農業、環境問題が多い。若い時には佐久総合病院を撮り、また教育学者で歴史家の林竹二が小学校や定時制高校で授業する様子を撮ったシリーズも多い。これは僕もすいぶん見たものだ。最後に自然人類学者の香原志勢(こうはら・ゆきなり 11.16没、86歳)氏の訃報を。立教大学教授で大学時代に講義を取った。顔の研究で有名で、ずいぶん一般向けの本も書いていた。僕も読んだことがある。中公新書「人類生物学入門」とか。
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