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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ジャスミン」という大ロマン-辻原登を読む⑥

2014年06月25日 22時40分55秒 | 本 (日本文学)

 先月(2014年5月)に辻原登の作品を連続して紹介したけれど、最近になく反響が少なかったのには、僕も少し驚いた。どうも全然読まれていないようだけど、その時紹介できなかった作品について書きたい。これほど面白く、また深く、そして為になる作家は、今の日本にいないのではないだろうか。

 一応、前回書いた作品を書いておく。
恋と革命の大ロマン-辻原登を読む①」→「許されざる者
われらの時代の冬-辻原登を読む②」→「冬の旅
寂しい丘で狩りをする-辻原登を読む③」→「寂しい丘で狩りをする
旧前田邸と『抱擁』-辻原登を読む④」→「抱擁
第三のムラカミ-辻原登を読む⑤」→「闇の奥」「父、断章
 ここで一端切ったのは、他のことを書きたくなったこともあるが、それより辻原登の作品は長大なものが多くて、ストックがつきてしまったのである。この機会に読もうと思ったけど、長い作品が読み切れなく、先に読んだ「許されざる者」や「冬の旅」を忘れてしまいそうである。その後、「ジャスミン」と「韃靼の馬」という長大な小説を読んだので、この機会にまとめて紹介。

 まずは「ジャスミン」だが、とにかく面白い。心躍る大恋愛小説で、僕には「許されざる者」の次に熱中して読んだ。読書の喜びを全身で感得できる。2004年に文藝春秋から刊行され、2007年に文春文庫に入った。解説まで入れて全部で558頁と長い小説だが、絶対に損はない。文庫を買ったまま7年も放っておいたけど、もっと早く読めばよかった。

 この小説の冒頭近くに、登場人物たちの次のような会話が出てくる。9ページ。
「それ、とってもいいブレスレットだね」
「ウルムチのおみやげ……」
「修一だね。彼はもう帰ってきてるんだろ」
 これを読んでいた日に、中国新疆のウルムチで爆破事件が起こったとニュースが伝えていた。ニュースの焦点が出てきて、自分の名前も出てくる。こんなことがあるのか。大体、登場人物に自分の名前が出てくることが少ないが、(川端康成「山の音」のようなケースもあるけど)これほどタイミングが合うことも稀だ。

 この小説は「彬彦」という人物が、新鑑真号に乗って神戸から上海に向かうところから物語が動き始める。いまどき飛行機で行けばすぐ着く距離をあえて船で行く。「中国で行方不明になった父が生きているかもしれない」という情報があり、父探しにはなんだか船が合うと思ったからである。上海で会う父の旧知の映画監督(謝晋を思わせる)は、父が戦前に中国名で喜劇役者をしていたと教える。父の人生は、戦時中の謀略と愛に彩られた謎めいた人生だった。からくも日本に帰国できたというのに、戦後になって国交もない時代に中国からの手紙に呼び寄せられるように密航してしまった。死んだと思われていたが、「伊藤律の例」もあるから生きているかもしれない。天安門事件(1989年)の起こった後の頃の物語。

 船の出迎えであった謎の美女。映画監督のロケに行くと、その女性は女優だったのか。本人は港に行っていたことを否定するが。彼女は有名な人気女優だったが、恋人が「民主派」で指名手配されていることでも知られていた。様々ないきさつの上、彼はその逃避行に関わることになっていく。そして二人に間には、いつの間にか恋の気持ちも芽生えていくが、中国を逃げ回る中で生き延びることで精いっぱいで、もはや永遠に出会えないのか。という数年間を経て、日本での思いがけない再会。そして陶酔の時間。その時起こったのは…1995年1月17日の朝。

 この小説は、日本人が今真剣に向き合わなければならない二つのテーマと真っ向勝負を挑んだものである。それは「中国」と「地震」である。中国の人権状況はそのようなものか。中国の民主化は可能か。中国の民族問題(特にウィグル)はどのように考えるべきか。この小説の主人公たちは、この大テーマと格闘し、様々な情報を提供する。それを日中の大ロマン、恋愛小説として書き切る力量。これほど心躍る大ロマンを現代の日中両国を舞台に描けるとは。

 と同時に、主人公たちの再会の日々を、阪神淡路大震災とぶつけた作者のたくらみのすごさ。日本は近隣諸外国との関係と同時に、国土がいつ大地震に見舞われるか判らないという事実とも正面から向き合って生きていかないといけない。大震災を描いて、これほど心に深く刻まれる小説も珍しい。(辻原著「冬の旅」も印象的だけど。)地震で深く傷ついた神戸の町と主人公だが…という話は実際に読んでもらうとして。

 この小説の基本は恋愛小説で、もう一つの面が中国情報小説といえるだろうが、実は読後の感想はもっと違った思い出となる。それは「まれに見る料理小説」という側面である。中華料理が主だが、とにかく美味しそうなのである。神戸の中華街や上海の街中で、こんなに美味しい匂いが漂う小説も珍しいだろう。「口福感」に満ちた小説である。でもどんなレストランで食べる料理よりも、上海で風邪を引いた時に飲むために買ってくるスープが美味しそう。

 もう冒頭から神戸のフランス料理の店である。そこは元は広東料理の店だった。バターを一切使わない店だという。「明石のはしりの鯔(ぼら)で、背開きにして手長海老のムースを詰め、朴葉で包み、軽く蒸して香りづけしたあと、粗塩で窯を作って焼いてある」といった具合である。こんな素晴らしい小説にはそうめぐり会わないと思うから、まだ書店にある文庫を買って少しづつ読むのをお勧めする。ところで、料理もおいしそう、恋愛も素敵、地震は恐ろしいのだが、やはりウィグル族の悲しみも胸に迫る。

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