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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2014年5月の訃報

2014年06月02日 21時22分46秒 | 追悼
 相次いでハンセン病関係の「闘士」だった神美知宏(こう・みちひろ)氏と谺雄二(こだま・ゆうじ)氏が亡くなった。この二人は別に記事を書いたのが、同じころに村山常雄という人が亡くなった。5月11日没、88歳。この人はシベリア抑留死亡者の名簿を作った人である。中学の教員を退職後、70歳になってから名簿作成を始めてホームページで公開した。2006年には吉川英治文化相を受賞した。この人のことは2011年8月に「シベリア抑留死亡者名簿を作った人」を書いている。名簿そのものは、「シベリア抑留死亡者名簿」で見ることができる。この名簿の「お」の7ページ目に伯父の名が載っている。

 映画監督の鈴木則文氏が逝去。(5月15日没、80歳)本名は「のりふみ」だが、「そくぶん」と言ってしまうことが多い。近年は「トラック野郎風雲録」「新トラック野郎風雲録」を著し、現役トラック野郎たちとの熱き交流を語り残した。緋牡丹博徒の脚本を書いたり(監督作も一つある)、そのスピンオフの「シルクハットの大親分」などもあるけど、何でも娯楽作品は撮ったので「温泉みみず芸者」とか「現代ポルノ伝 先天性淫婦」とか「徳川セックス禁止令 色情大名」とかすごい題名の映画をいっぱい作っている。これらは最近シネマヴェーラ渋谷などで時々やることがあるが、まあそれなりに面白い。その後、東映京都撮影所から東京へ移ってトラック野郎などを作ることになる。このトラック野郎シリーズも確かに面白い。娯楽映画の王道に徹した人。
 ドイツのヘルマ・サンダース・ブラームス監督も亡くなった。5月27日没、73歳。女性監督として「ドイツ・青ざめた母」「エミリーの未来」「林檎の樹」など岩波ホールで上映された作品を作った。

 スポーツ関係者の訃報が続いた。日本相撲協会前理事長の元放駒親方、力士名は魁傑(かいけつ)の西森輝門氏(にしもり・てるゆき、5月18日、66歳)。力士は協会に残ると親方名で呼ばれるが、65歳で定年になると、本名に戻ることになる。この人は数年前の相撲界の危機の時に、理事長となる運命にあり、多くの親方と対立しながらなんとか相撲界を建て直した。しかし、僕にとっては70年代の大関の姿が懐かしい。2回優勝しているが、小結と平幕の時。大関に2度なった人である。大関は2場所負け越し後に関脇に落ちるが、次の場所で10勝を挙げると大関に復帰できる。その特例で復帰したのは武双山や栃東など多くいるが、魁傑はそれで復帰できず平幕に落ちた後にまた大関に復帰した唯一の人である。柔道出身で、相撲取りとしては「魁傑は未解決」と長く言われていたが、休まずクリーンな土俵で定評があった。

 ミュンヘンごりの女子バレーボール監督として銀メダルを獲得した小島孝治氏が逝去(5月27日没、83歳)。僕はバレーボールのことをよく知らないので名前だけ。「原辰徳巨人監督の父」、原貢氏が5月29日に逝去、79歳。今は「原辰徳の父」と報道されることが多かった。もちろん当初は違っていて、「原監督の息子が東海大相模に入学した」と言われたのである。甲子園では2回優勝していて、これはもっとすごき記録を持つ人はいる。でも一回目は65年の三池工で、三池争議と三池炭鉱の大事故のあった地域で久しぶりの明るいニュースだとして全国的に話題となった。これは僕も小学生ながら覚えている。次が1970年の東海大相模で、大学付属校がスポーツに力を入れて全国的に有名になるという最初の頃の出来事である。2回とも高校野球に留まらない社会的話題を作ったのである。その後は、原辰徳と共に東海大監督になり、首都大学リーグで7連覇するなど活躍したらしいが、六大学、東都大学に比べて、あまり記憶にない人が多いだろう。原貢を東海大に引っ張ったのが、創立者の松前重義でさすがに眼力があった。

 前回書いたのちにに、4月30日午後11時45分に、作家の渡辺淳一氏が亡くなった。80歳。「失楽園」も「愛の流刑地」も「鈍感力」も読んでないけど、直木賞を取った「光と影」は読んでいる。なんだかバブル期の妻と愛人を描いたのかと思う題名だけど、実は大正期のビリケン宰相、寺内正毅を描いた本格的な評伝小説なのである。ほとんど読んでなかった作家だけど。
 
 科学史研究者の中山茂氏。5月10日没。85歳。トーマス・クーンの「科学革命の構造」の翻訳者で、クーンの「パラダイム」概念を日本に広めた。
 村上光彦氏、5月22日没、85歳。仏文学者だけど、大佛次郎と親交が深く、大佛論などを書いた人として知っている。
 粕谷一希氏(かすや・かずき)、5月30日死去、84歳。「中央公論」を保守派の雑誌にするのに「貢献」した人だが、彼が重用した中で価値ある人はどれだけいるだろうか。退職後、「東京人」を創刊した。東京を対象にしたこういう雑誌はなかったので、価値ある試みではあったと思うけど。買ったことない。
 1981年にポーランドの戒厳令を布告したヤルゼルスキ元大統領が死去。5月25日、90歳。この人に関しては、ソ連の介入を防ぐための「愛国的」行為で、やがて民主化に道を開いたという見方がある。当時からその通りだと思っているが、だからと言ってそれが良かったのかは神のみぞ知る。アフガンに侵攻中のソ連がポーランドにも侵攻するなどと言うことをしたら、もっと早く崩壊していたのかもしれない。
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