フィルムセンターの清水宏監督特集で「みかへりの塔」を見た。30数年ぶり。1941年の松竹作品。泥沼の日中戦争が5年目に入り、年末にはついに対米英戦争になる年だが、驚くほど戦時色、軍事色がない。松竹の映画自体がそうだけど、清水宏もこの後は台湾や朝鮮で映画を作っている。この「みかヘリの塔」は、大阪府の修徳学院という児童福祉施設を描いた作品で、恵まれない子どもの姿をドキュメンタリー的に描くという清水宏の特徴を完成させた作品である。1941年のキネ旬ベストテン第3位で、これは「風の中の子供」(1937)や「蜂の巣の子供達」の第4位を超え、清水作品の最高評価だった。なお、1位は「戸田家の兄妹」(小津安二郎)、2位は「馬」(山本嘉次郎)だった。
(「みかへりの塔」)
原作は、福祉施設修徳学院の院長熊野隆治の手記を作家の豊島與志雄が読み物にしたもの。この施設は「非行」系の子供、盗癖やケンカなどで親が面倒を見られない子供などを預かり、勉強だけでなく、農作業や裁縫なども行い「教化」していく施設である。子どもは10人程度の「家庭」で共同生活を送り、女性の「お母さん」が面倒をみる。男性職員は教育や作業を担当している。
映画の冒頭で見学者を職員(笠智衆)が案内して、施設の特徴を観客にも判るように説明していく。そこへある女子が入所することになり、三宅邦子がお母さんをしている「家庭」に預けられる。この女子は母親がいない裕福な家庭で育ち、親の財布からカネを盗んで外で遊んでいるような子ども。父親が面倒を見られないとして施設送りとなった。今までは身の回りの面倒を女中がやっていたらしく、自分たちで料理したりする施設の方針になじめない。女学校にいたのに小学生と一緒に勉強できないと教室を抜け出し…。脱走を図ったりいろいろ起こるが…。
(現在の修徳学院)
戦時色はないけれど、「家族主義」的な枠組みはもちろんある。清水宏は戦後になって身体障害児施設をめぐる「しいのみ学園」や非行女性の更生施設を描く「何故彼女等はそうなったか」という映画を作った。社会福祉の状況や考え方は、50年代ではほとんど戦前の状況と同じで、「みかへりの塔」と大きな違いは感じられない。70年代以降はまた違うが、この頃は「善導」が疑われず、「恵まれない子供を大変な思いをしながら教化させていく職員の苦労を描く」というのが同じである。それを今になって批判することもできるが、日中戦争のさなかに、これだけ子供が自然な演技をするドキュメンタリー的映画が作られたことは再評価されるべきだと思う。
(清水宏監督)
清水宏は作為を排した演技をロケで撮る映画が多く、その特徴は子ども映画に向いていた。坪田譲治の映画化で評価され、戦後は実際に戦災孤児を自分で引き取り、自分で「蜂の巣の子供達」シリーズの映画を作った。戦前に作られた「有りがたうさん」「簪」なども再発見され、いわば「ヌーベルバーグ以前のヌーベルバーグ」とも言うべき、自由な作風が世界的に認められつつある。
そういう清水の作品の中で、「みかへりの塔」は少し忘れられているのではないか。今回の上映で主要作品は3回上映があるが、「みかへりの塔」は2回しか上映がない。戦時中とはいえ、ベストテン3位という高評価を受けた割にはあまり顧みられない。もちろん時代的に施設の方針が古い、家族主義的で今では批判されるべきという考えもあるだろう。後半で自分たちで水路を引く様子が描かれるが、予算がないとはいえ子供たちに全部掘らせるというのもやり過ぎとも言える。でも映画的にはなかなか感動的で、清水作品の中でも傑作と言えるのではないかと思う。
(「みかへりの塔」)
原作は、福祉施設修徳学院の院長熊野隆治の手記を作家の豊島與志雄が読み物にしたもの。この施設は「非行」系の子供、盗癖やケンカなどで親が面倒を見られない子供などを預かり、勉強だけでなく、農作業や裁縫なども行い「教化」していく施設である。子どもは10人程度の「家庭」で共同生活を送り、女性の「お母さん」が面倒をみる。男性職員は教育や作業を担当している。
映画の冒頭で見学者を職員(笠智衆)が案内して、施設の特徴を観客にも判るように説明していく。そこへある女子が入所することになり、三宅邦子がお母さんをしている「家庭」に預けられる。この女子は母親がいない裕福な家庭で育ち、親の財布からカネを盗んで外で遊んでいるような子ども。父親が面倒を見られないとして施設送りとなった。今までは身の回りの面倒を女中がやっていたらしく、自分たちで料理したりする施設の方針になじめない。女学校にいたのに小学生と一緒に勉強できないと教室を抜け出し…。脱走を図ったりいろいろ起こるが…。
(現在の修徳学院)
戦時色はないけれど、「家族主義」的な枠組みはもちろんある。清水宏は戦後になって身体障害児施設をめぐる「しいのみ学園」や非行女性の更生施設を描く「何故彼女等はそうなったか」という映画を作った。社会福祉の状況や考え方は、50年代ではほとんど戦前の状況と同じで、「みかへりの塔」と大きな違いは感じられない。70年代以降はまた違うが、この頃は「善導」が疑われず、「恵まれない子供を大変な思いをしながら教化させていく職員の苦労を描く」というのが同じである。それを今になって批判することもできるが、日中戦争のさなかに、これだけ子供が自然な演技をするドキュメンタリー的映画が作られたことは再評価されるべきだと思う。
(清水宏監督)
清水宏は作為を排した演技をロケで撮る映画が多く、その特徴は子ども映画に向いていた。坪田譲治の映画化で評価され、戦後は実際に戦災孤児を自分で引き取り、自分で「蜂の巣の子供達」シリーズの映画を作った。戦前に作られた「有りがたうさん」「簪」なども再発見され、いわば「ヌーベルバーグ以前のヌーベルバーグ」とも言うべき、自由な作風が世界的に認められつつある。
そういう清水の作品の中で、「みかへりの塔」は少し忘れられているのではないか。今回の上映で主要作品は3回上映があるが、「みかへりの塔」は2回しか上映がない。戦時中とはいえ、ベストテン3位という高評価を受けた割にはあまり顧みられない。もちろん時代的に施設の方針が古い、家族主義的で今では批判されるべきという考えもあるだろう。後半で自分たちで水路を引く様子が描かれるが、予算がないとはいえ子供たちに全部掘らせるというのもやり過ぎとも言える。でも映画的にはなかなか感動的で、清水作品の中でも傑作と言えるのではないかと思う。