尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「在日外国人」と「百年の手紙」

2013年06月05日 23時32分43秒 | 〃 (さまざまな本)
 若い人に読んで欲しい2冊の本。どちらも岩波新書。田中宏「在日外国人 第3版」(820円)と(かけはし)久美子「百年の手紙ー日本人が遺したことば」(800円)。どちらも、このくらいは知っておいて欲しいなあという日本の過去を伝える本である。

 5月に出たばかりの「在日外国人」は、もともとこの分野の第一人者による判りやすい解説書として定評がある本で、多分最初の版も、第2版も読んだような気がする。著者は60年代末期、アジアからの留学生が抱える問題を知り奔走する中で、日本の過去の外国人政策を調べていく。特に在日朝鮮人に対する一貫して排他的な政策の数々、「帝国臣民」から一夜にして「外国人」とされ、戦争補償や年金から排除された経過が追及されていく。そして指紋押捺や就職差別に立ち上がる人々。やがて70年代後半にインドシナ難民が押し寄せる事態が起き、日本も難民条約に加盟する。そのことにより法令がかなり変わる。また女子差別撤廃条約にも加盟し、父だけでなく母が日本人の子も日本国籍を得られるようになる。その後、外国人労働者を表立って受け入れるのではなく、「日系人」のみ受け入れるという政策を取ったっためにブラジルやペルーから大量の日系外国人が流入する。というのが大体の20世紀の流れだが、その後の展開が加わっている。

 今や「外国人登録」というものがなくなり、2012年7月から外国人も住民基本台帳法が適用になった。2007年の統計から、日本で一番多い外国人(外国人登録者数)は中国人となっている。(台湾、香港も含まれる。)過去の経緯から、韓国・朝鮮人が一番多いと思っている人が今もいると思うけど、それは今では違っている。ちなみに中国が67万人、韓国・朝鮮が54万で、次にブラジル21万、フィリピン20万と続いている。リーマンショック以後、日系ブラジル人はかなり帰ったけど、それでもこれだけ多い。そんな新情勢を受けて解説を加えると同時に、高校授業料無償化から朝鮮学校が排除された問題、在日外国人への地方参政権問題なども解説されている。この程度は知ってから、いろいろな議論を始めて欲しいという外国人問題の入門書。知らない人にはきっとビックリする話がいっぱいあると思う。これが日本国家というものなのか。まあ、多分他の国も同じ、他の問題も同じ。「国家」を理解するための必須の本。また「隣人」が見えない人にこそ是非。

 「百年の手紙」は、まさにその名の通りの本だが、多くは見開き2頁に簡潔に叙述されているので、忙しい時も少しづつ読めるし、関心があるところから読んでもいい。著者の目配りはとても広く、知らなかった話が多い。人物自体は近代史、近代文学史の中では有名な人も多いが、手紙に表されている私生活のエピソードなどは知らないことが多かった。例えば、原敬や寺田寅彦など。しかし、一番の読みどころは、知られざる人物がつづる戦争中の手紙の数々である。深い悲しみが伝わってくる。このような手紙は是非若いうちに触れておいて欲しい。また「愛する者へ」と題した恋人や家族にあてた手紙の数々。これらを読むと、日本人に関するイメージも変わるのではないか。

 東京新聞に連載されていて折々に読んでいたが、2011年に書かれたので、最初に原発事故を受け、足尾鉱毒事件の田中正造による直訴文が置かれている。幸徳秋水、伊藤野枝、小林多喜二、宮本百合子と宮本顕治の手紙などが最初に出てくる。2006年に見つかった、獄中の菅野すが子(大逆事件で死刑)から朝日新聞の杉村楚人冠にあてた「針の手紙」(紙に針で穴をあけて書いた)も紹介されている。幸徳秋水は無実で弁護士を頼むという心の叫びである。日本近代史上、もっとも悲痛な手紙の一つだろう。(写真を是非見て欲しい。)続いて「かれらが見た日本」では、久保山愛吉、坂口新八郎、小原保、由比忠之進などの遺書が紹介される。知らない人も多いと思うけど、久保山はビキニ環礁でアメリカの水爆実験の死の灰を浴びた第五福竜丸の機関長(9月に死去)。坂口は68年の北海道美唄炭鉱のガス爆発事故犠牲者で僕も知らなかった。小原は吉展ちゃん誘拐殺人事件で死刑判決を受けた死刑囚。由比はエスペランティストでアメリカの北ベトナム爆撃を支持する佐藤首相に抗議して首相官邸前で焼身自殺した人。その最後がいじめ事件で自殺した大河内清輝君の遺書で、こうした様々な日本人の遺した言葉を伝えていく大切さを心から実感する。

 辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」は読んだけど、そこに紹介された言葉は忘れていた。ソ連による不法なシベリア抑留で数万人がシベリアやモンゴルで亡くなったが、抑留9年目で死んだ山本幡男の遺書は、文書で持ち帰るのが禁止されていたので、仲間たちが分担して「記憶して持ち帰る」ことになった。そして帰国できた仲間たちが家族のもとへ伝えて今に残るのである。その話もすごいけれど、そういうことが可能になった山本という人の素晴らしさも感じる。まさに戦争は善き人の運命から奪っていくのだろうか。子どもあてた遺書にある言葉。「若者はどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗(へんぱ)で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を歩んで呉れ。最後に勝つものは、同義であり、誠であり、まごころである。
 こういうことを今伝えていける人がどれだけいるだろうか。
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