実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百八十一号

2012-06-28 13:59:44 | 福島からの報告
 「足湯」の語らい その1



 神と仏


 次の日に控えた古着の配布打ち合わせもあったが、私は第一集会所のおばちゃんたちと話したい思いで、第一仮設に出向いた。こうして私が「おばちゃんたち」と言ってるわけで、そう言うことが出来るようになった気がしている。
 広い駐車場は珍しく賑わっていた。晴れてはいたがうすら寒いこの日、駐車場にはテントが張られ、そこここに僧衣を着て頭を剃り揚げたお坊さんが動いていた。
「コトヨリさんもどうぞ」
そう言ってテントの中から声をかけてくれたのは、この日市の社会福祉センターから臨時に派遣されてきた職員だった。彼女は作年ボランティア活動していた縁で、今は職員としてセンターに勤務している。それで私を知っている。ホラ見てくださいよ、という彼女がお湯を張った水槽からあげた足を見ると、それは真っ赤になっていた。この日、湯本からお湯を運んで水槽に入れて手作りの足湯を作ったというのは、真言宗の方たちだ。
 集会所の中に入るとこれまた盛況で、いつもはテーブルが二組ほどなのだが、この日は長い座卓とあわせて倍になっていて、それは言うところの「所狭し」の印象だった。お坊さんたちと住人の方がお茶とお菓子(最中でした)をはさんで話が弾んでいる。
「古着届いてますよ」
私に気がついた副会長さんがそばに来て言った。一応読者の皆さんにはお断りするが、実はこの人、肩書は何もない。常に集会所で市職がやるべき事務仕事もこなし、高齢者の話し相手をしているので、私はてっきりそう思っていただけだ。とりあえず今後もこの紙面では「副会長」で通そうと思う。市職のことでいえば、まあ個人的な性格や力量にも左右されるというものの、配置された市職では気付かないこと、配慮出来ないことが多々あるということを読者の皆さんは気付いて欲しい。この副会長さんはここの役員でなく、臨時の職員としてこの三月まで集会所に「勤務」していた。今は全くの無給で毎日この集会所に出向いている、ということはすでに書いたと思う。
 さて、奥の座卓で話していたあの「お茶飲み会」?のリーダーさんが、隅っこに陣取った私に気付いたようで、私の方に向かって笑いかけてくれる。お坊さんたちも一斉にこちらを向くので恥ずかしい。私が入るスペースもあるようなので、私にも出していただいたお茶と最中を持って移動した。そうしたくなるのだ。
 この集会所玄関にある仏像のことを話したと思う。「サブリーダー」さんの息子さんの知り合いが、六年寝かした桜の木を削って作ったものだ。私は仏様の頭の後の環まで削りあげたものか気になって聞いたつもりが、その環の名称でさんざんもめて…つまりみんな分からない。坊さん自ら携帯で検索するという面白い展開となった。コウハイと言うのは分かっても漢字が分からないというのだ。「光背」と書くそうだ。
 また、仮設を出てこの仏様を家に置くとなったとき、一体どこに安置したらいいものかという話でまた講釈が入る。
「仏壇に入れますと、ご先祖様(菩提寺)の仏様に失礼となるでしょうし」
「神棚は神様の場所でございます」
仲間の坊さんが言うところのインテリ、エイタ(漢字が出ないです)似のお坊さんがそう言う。神様と仏様の違いをお坊さんはどう言うのだろう、私は大いに興味があった。
「神様はお怒りになることがあります。仏様にそういうことはありません」
なるほど「赦し」の話で来たか、などと私は思った。
 話はそこから、周囲残らず流された久之浜の海岸で、祠(ほこら)をしっかり残したあのお稲荷さん、そして被災のことに移った。
「こんなに大変な思いをしながらどうしていつも笑っていられるのか、何故なんだろうと…」
と私は合間に思っていたことを口にはさむ。リーダーさんが下を向いて静かに笑う。いつもバカな話をしてるばっかりで、と言うこの人を、私は本当に素敵な人だと思う。すっかり小さくなって腰も曲がり出したこの人は、毎日この集会所に出向く前は、必ず鏡に向かってすっかり白くなった髪に櫛を入れ、服の様子を確認する、きっとそんな人だ。この人は、
「本当は涙をこらえて毎日を生きてる」「本当のことを言ったら生きていけない」「大変なのは自分だけじゃない」「頑張ろうって気持ちでいないと」等々
とかいうお約束の「質問vs回答」みたいなバカなことは絶対に言わない。リーダーさんはこのあと、「でも」と言う。この「でも」こそが、要するに「そういう分かりきったことはあるけれど」の「でも」である。
「でも、この間アコーディオンとか演奏してみんなで歌うってのがあってよ、みんなで歌った時は、なーんか思い出しちってよ」
「最後だがの『ふるさと』歌う時なんかよ、なーんか思い出しちってよ」
そうしみじみ言う。座がしんとなって、これはリーダーさんの本意ではあるまいと余計な気遣いをした私は、去年の紅白は見ましたかと、尋ねる。見たよ、と彼女。そして
「スカイツリーに小林幸子の顔映すって企画があんだとよ。ホントがな」
と言う。みんなまた大笑いとなった。
 お昼時となった。腰をあげるみなさんに、明日の古着にも顔出してくださいねと私は言う。間を置かずに、毎日来てっがら(明日も来るよ)、知ってっぺよ、という返事にまたみんなが笑う。


 ☆☆
冒頭写真は、やっと始まった干物工場「ニイダヤ水産」の工事風景です。「やっとぼちぼちです」という主は、元気がないかな。確かに、吹けば飛ぶよな新潟の小島での作業研修もはかばかしくないようです。みんな本当は頼りない気持ちを抱えています。でも、そんな中で工事は始まりました。

 ☆☆
「いわきの人たちがこよなく愛する銘菓『じゃんがら』」と、いつか書いたと思います。違ってるようです。パオの職員が「○味い」という評価で口を揃えました。今回初めて知りました。何故ここまでひたすら甘くする、口の中がもたつくし、と酷評なのですねえ。まあ、でも駄菓子の世界を象徴するかのような風貌と味わい、経験してみるといいと思います。

 ☆☆
「消費税と社会保障一体改革案」通りましたね。政府・国会の一番許せないこと、それは国や人びとの関心を「消費税の是か非か」に絞ったことです。増税を覚悟していない人など殆どいない。「ギリシアより危ない」日本の状態とは一体どんな危機なのか、1000兆円の借金だって? 庶民にとってこの天文学的数字を分かるように具体的に説明しろ、ということでしょう。では遅れる「福祉」「復興」は、どのくらい遅れてどんな手続きでなされるのか説明はなかった。でも、その結果だといえる。街頭インタビュー、そしてニュースは被災地でさえも「消費税は…」となってしまった。今の政権が言ったことといったら、原発の最稼働にしても増税にしても「やらないとどうにもならない」ことだけです。小沢はその片棒を見事に担いだわけです。「マニュフェスト遵守、だから消費税反対」ってね。オマエ、そんなこといいから、また言うけど岩手に顔出せって。脱原発なんて、今さらどっから持ってきた言葉なんだって。

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1 コメント

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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-20 11:38:01
正像二千年には、仏法は西から東へ流伝した。
ちょうど暮れの月が西の空から始まるようなものである。末法のはじめの五百年には、仏法は東から西に返るのである。ちょうど朝日が東の空から出るようなものである。

繰り返す

正像二千年には西より東に流る
暮月の西空より始まるが如し末法
五百年には東より西に入る朝日の
東天より出ずるに似たり(曾谷入道等許御書)
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