実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

2023 読書特集 実戦教師塾通信八百七十二号

2023-08-04 11:28:29 | 思想/哲学

2023 読書特集

 

 ☆初めに☆

夏休みの宿題、未だに読書感想文が続いてます。そんなにまでして子どもたちを本嫌いにさせたいのねと、今年も感心しています。感想は「持つ」ものです。そうならなかった本は、自分に「ご縁がなかった」のです。私にご縁があった本、今年もお届けします。いつも通りの断りですが、発行の古い書が交じるのは、私の怠慢のなせる技です。一冊につき、原稿用紙一枚を優に越えてますが、まあそこは夏休みですから、ゆっくり読んで下さい。

 

☆金原ひとみ『アタラクシア』2022年 集英社文庫☆

相も変わらず、金原ひとみに囚われてます。「アタラクシア」とは「心の平穏」という意味らしい。しかし、本書のどこにもそんなものは見当たらない。小学生の息子が、母である自分を「ババア!」呼ばわりし、それをとがめているところに、帰ったばかりの夫が玄関先から、やめろ、と怒鳴る。しかし、夫は今しがたまで別な女のところにいたのだ。また、子どもと夫と不倫相手男の全員がいて初めて、自分の必要を満たすという妻。別な章では、結婚相手の家から、突然帰宅した娘を罵る母親。しかし娘は、夫(父親)に棄てられたみじめな女から言われたくないと逆ギレする。この娘とその友人とは、同じ男を巡って争いを続けている。挙げればまだまだ切りがないが、実はこれらの人物群が会社や家族など、どこか因縁でつながっている。この場合、「因縁」は「絆」と言い換えても同じように思える。そして、憎悪はマグマのように真っ赤に渦巻く。しかし、気づくはずだ。やっぱり、憎悪とは「愛情欲求のひとつ」であることに。出たばかりの新刊『腹を空かせた勇者ども』の帯に、金原は「これまで書いてきた主人公たちとは、共に生涯苦しむ覚悟を持って来ました」と書いている。やっぱりそうなのだ。

 

☆清水潔『殺人者はそこにいる』2017年 新潮文庫☆

多くの人に読んで欲しいという強い思いで、この本は右側のブックカバーとなり、書店に出なおす。カバーを外すと、左側のカバーが現れる。もしかして、ブログ上で取り上げたことがあるかもしれないこの本を取り上げたのは、袴田さんの再審の方ではなく、別な理由がある。いつか書くと思います。

真犯人が捕まってないという理由からではなく、渡良瀬の川原で起こった足利事件は終わってなかった。菅谷さんの無実を知らされた真実ちゃんの母親・松田さんは、だったら犯人はどこにいるのですか、とは言わなかった。

「犯人でないならば、すぐに釈放しないといけません」

と言った。すぐに菅谷さんの身を案じたのである。その松田さんに、試練が訪れる。不可思議な、検察からの「遺品返却拒否」である。シャツだけは返せない、というのだ。「もう捜査は終わった」と言ったはずだ、と松田さんは猛烈な抗議をする。しかしその後、シャツは「父親から預かる許可をもらった」という連絡を受ける。松田さんはその時、離婚した元父親(夫)の連絡先さえ知らなかったのだ。この本を読んで見えてくるのは真犯人の方ではない、事件の暗闇である。事件がここのまま終わっていいはずがない背景を、この書ははっきりと示している。

 

☆鈴木雅也『エレクトリック』2023年 新潮社☆

最近、芥川賞も直木賞も読まなくなった。ある程度追跡はするのだが、大体飽きてしまう。本書は、賞の候補に挙がったものだ。舞台はオウム事件の1995年だが、父親はビンテージものの真空管のアンプ修理・制作を手掛けている。その父に「英雄」を感じ自分を後継者と言ってはばからない息子志賀達也は、東京に憧れている。息子にダンナを「泥棒された」母親のいら立ちと、隠れてタバコを吸って家族の震源地となる妹の涼子も、そこに加わる。ネット上に徘徊するいかがわしい空間や、同性愛集団なども登場するが、いつの時代だと思うぐらいに展開とキャストはノスタルジックだ。でも、同じ宇都宮を舞台にした立松和平の『遠雷』と比べれば、全く別なステージがある。通う高校で次第に作られる達也への嫌な空気は、意図的というよりは自動的に形成された暗黙の了解といったものだ。その空気が確固たるものになって、ようやく本人は気づく。しかし、空気を作っている集団にとっては、空気醸成がすでに生活習慣でしかない。「からかいでさえない いじめ行為」が、リアルに登場する。「古いけど新しい」ことも散見される。妹に「女」を見出し狼狽する達也は、我知らず「英雄」の父に反抗心を形成する。ここでは父も狼狽するのだ。宇都宮名物のオリオン通りを、夢や妄想や現実が激しく行き交う。

 

☆井上能行『福島原発22キロ 高野病院奮闘記』2014年 東京新聞☆

いわき市の北隣が広野町だ。東京新聞の連載記事が元の、事務長を中心とした戦いの記録、感謝と怒りの記録だ。内科と精神科の診療科目を持つ高野病院は、行政や政府の全避難勧告に応じない。避難できる患者は他市・他県にお願いした。引き受けたのは、顔の見える付き合いがある医師・病院だった。ずっと病院の給食材料を委託していたマーケットが、店のカギを病院に預けてから避難、という事情とも重なる。震災後、初めてシャワーを浴びる29日まで、事務長は凍てつく病院の屋上で救援要請のメールを送る。少しでも電波のいい屋上でメールの返信を夜明けまで待つ。要請のひとつ。この時、病院周辺の線量は年間50㍉シーベルト(通常は1㍉シーベルト)。それなら一回の胃透視レベルで心配はない、という院長(父)の見解と看護師補給という要請だ。自分の地元の避難所に寄った病院スタッフが、また病院に戻る気? 戻るなら二度と来ないで放射能なんだから、とは避難所の保健師。NHKの取材班は、病院スタッフがバタバタして欲しいと注文。原発事故被災病院協議会で、補償金は非課税にして下さいと申し出るも、非課税は特例なのでと言われる。こんな時が「特例」でなかったら、どんな時を言うのだ。というみんな暗い顔を後に、私の準備している法案を読んでおいて、と笑顔で退席する国会議員。森まさこ。あふれる怒りは、実名を出す躊躇がない。

 

☆五味太郎『大人〇問題』1996年 講談社☆

「この本は子どもに分かるか、この絵本は何歳ぐらいの子に向いているのか、子どもを本好きにするにはどうしたらよいか……」(まえがき)等々の声に段々腹が立ってきた筆者なのである。今という時代(いや「ずっと今まで」が正解でしょう)には、こんな人が必要だ。目次のひとつふたつを見れば、筆者の怒りが伝わって来る。「どうしても義務と服従が好きな大人たち」「他をおとしめても優位を保ちたい大人たち」「いつもそわそわと世間を気にする大人たち」「よせばいいのにいろいろと教えたがる大人たち」等々。「どうしても義務と服従……」から、少し書き抜きましょう。読んでハッとした人は見込みがあります。「雑に集められた中」で「みんな仲よし」と言われたらどうなるだろう。「うまくゆくのはかなりまれです。大雑把な性格の子は大雑把に仲よくしますので、そう問題はありませんが、少しまじめな子は真剣に仲よしに向かって努力します。仲よくすべきだと考えるわけです。……そしてみんな、なんとなく仲良しのおつき合い程度で何とかやってゆきます。……そんな中で、まじめな付き合い下手の子がいじめの対象になります。だから、いじめられないように、……一所懸命つき合う努力をして、心身をすり減らします」

 

☆小川直之編『日本の食文化①食事と作法』2018年 吉川弘文館☆

欧米で食具と言ったら、フォークとナイフだろう。しかし日本では、箸と匙(さじ)ではない。匙が間もなく死語となるのは置くとして、日本における食具とは、椀と箸なのだ。このふたつが連携することで、食物を口に運ぶのを特徴とする。このことを基本に調理法や配膳が伝統文化として根付いていく。日本の文化は、大体が室町時代に形成されると言ったのは柳田國男だと認識しているが、戦場における兵士の必要が三度の食事をもたらした。農民はそれよりも早く「三度」を開始したとも言われるが、農民が武装自衛した姿も武士である。現在より少し前に目を向けると、せめてこんな時ぐらいはという改まった「ハレ」の日は、例えばお葬式の時には米俵が飛ぶように売れたし、酔いつぶれるほどの飲酒が作法だったりした。おせちでは、子だくさんはキャビアに、粘り強い牛にちなんでローストビーフと、縁起を担ぐようになっていたりもする。何事も変化するのだ。現在使用している言葉の起源についても、興味ある分析が続く。「うたげ(宴)」は「まろうど/まれびと」=「客」を迎える儀式だ。「客」は太古の時代では「神」を意味する。神の門入りに、人々は手を打って迎えた。すなわち「うちあげ=拍ち上げ」を意味した。現在もセレモニーの名称として残っている。

 

☆江畑謙介『ロシア 迷走する技術帝国』1995年 NTT出版☆

50代半ば以上の人だったら「ベレンコ中尉」を覚えているはずだ。1976年、自分が操縦するソ連(現ロシア)のミグ・25戦闘機とともに、函館空港に緊急着陸。その後、亡命する事件だ。日本よりも西側が目の色を変えて戦闘機に群がる。ベトナムの戦場で、この戦闘機の実力はアメリカのファントムを凌駕しており、追跡も難なくぶっちぎっていたからだ。ところが、ミグ戦闘機解体の結果、機体が重い鉄製であったことや、操縦に関する電子パーツが真空管!だったことなど驚くべきことが判明する。これがソ連の兵器技術の遅れではなく、ソ連の軍事戦略上の設計にあったという分析を見せる書だ。その一方で、民衆置き去りの「走るだけまし」な車や超品薄のスーパー等々の実態も明かされる書である。ウクライナ戦争で、ロシアが放棄したT-80戦車をウクライナ軍が重宝している、というニュースがあったのをご存知ですか。かつてウクライナはソ連だった。壊れた旧ソ連の優秀な戦車を修理するノウハウを、ウクライナは引き継いでいたのである。ソ連軍の実態や突如進化する技術など、豊富な資料に圧倒されるだろう。この分析方法は、故人となった筆者から小泉悠に引き継がれている気がする。

 

☆高島俊男『「最後の」お言葉ですが……』2023年 ちくま文庫☆

中国(文学)通の著者を見つけて30年くらいだと思う。エッセイ集。流されがちな世間や世論に対する明快な批判は、相変わらず小気味がいい。「いふ」「考へる」「作らう」等の旧仮名づかいが、吉田茂総理から新仮名づかいへと強制執行される。「『広辞苑』新村出の『自序』」は、編者新村のことを書いている。これを読めば、ひと晩泣き明かして自序を書いた新村の激しい怒りと絶妙な「抗議」に触れることが出来る。「僕はウンコだ」では、主語・述語世界のインチキを暴く。「僕はウナギだ」と聞いたら、私たちは一瞬戸惑うのかもしれない。でも、ウナギがしゃべるもんか、と思う人はいないだろう。そこに展開されているのは、友人と使い慣れた飯屋で注文している風景だ。日本語は「場所」の言語なのである。本書はこうして、口語文法という輩(やから)がやらかすことにも言及する。何やってんだ的な筆者の真骨頂と言えるのが「敬語」のエッセイ。全文転載したいところだが、その一部を。「『送ってください』と言うと『おところを頂戴してもよろしいでしょうか』とぬかす。『オレの居どころを知らないで物を送れるのか』とたずねると、わけも分からず『申し訳ございません』とあやまる。ああいやだ」という具合だ。「敬語は『敬う心』ではなくて距離である」という締めもいい。

 

 ☆後記☆

ご贔屓(ひいき)というほど通ってはいませんが、和食処『和さび』のブログを少しばかり転載しますね。

皆さん、お元気でいらしゃいますか!
夏バテされてませんか?
夏バテとは関係ないように見える大谷選手!
凄すぎませんか(^o^)/
先日、ダブルヘッダーで、
初完封!
二打席連続ホームラン!
もう、どうなっているのでしょうか!
言葉がありません(^^;
人間は、あんなこと出来るのでしょうか(^_^;)

ホントですね! 今日も元気で頑張るぞ!と思えるのは、オオタニさんのお陰です。ちなみに、明日の花火大会には、和さびさんの唐揚げと枝豆を持ってくつもり。イェーイ

そうだ、こども食堂「うさぎとカメ」も明日です。今月は第一週もやるんです。お忘れなく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿