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実戦教師塾通信百四十六号

2012-03-08 11:24:57 | 子ども/学校
 <学校>と<子ども> その15



 「維新の会」 その2


 前回のリアクションが結構あった。もう少し噛み砕けということだった。ホルトのことを本格的に言うのはあとになるけれど、とりあえずこちらの方を。
 例えば「来年も4年生!?」という驚きは、どんなふうにやってくるのだろう。「留年」というものは一体どのようなものを根拠に判定されるのか、これは大変だぞ。
 算数で考えてみよう。分数の計算は通分・約分が課題とされるのが4年生と記憶している。これをクリアするのは結構大変な作業なのだ。自分の小学校教員の経験を振り返ってそう思う。分かると思うが、全員が理解出来なくても授業は先に進む。その割合が4分の1以下だったら迷わず先に進む。その先で理解出来る機会があるからだ。それは「放課後の特訓」だったり、「習熟」するせいだったり、よき「友人」のせいだったり、何かの「きっかけ」だったりする。何より、その子のためにぐずぐずと授業が滞ることが、その子のためにもよくないことだ、というのは以前にも書いた。この通分・約分の「理解」は翌年の5年生の時だったりすることもよくある。原因は「担任との相性」だったりするのだ。しかし、4年生での「理解」がされなかった子どもは留年するのだろうか。
 成績表でいうと、三段階で「よく理解出来ている」「大体理解出来ている」「あまり理解出来ていない」となっている学校も多い。「よく理解出来ないままに進級させることは無責任だ」と橋下市長が言う。この場合、「理解」の決定をする時の資料は全市(or大阪全体or全国)共通でないといけない。市長が提案した通り、学校がランク付されたとして、ランクが下(上)の学校の成績表に合わせるわけにはいかないからだ。共通の資料(テスト)に基づかないといけない。一回きりのテストとなれば入試のような様相になる。だから定期的な、そして広域の資料ということの方が現実的となるはずだ。さらにそれは、漢字や読み取りや、観察・実験の力、県内産業の知識(4年生はこの範囲が社会の学習範囲である)も必要とされる。それにまさか、調理やマット運動や縦笛なども「習得内容」に入るのだろうか。それが「指導要領に準じる」となるのなら、全教科にわたって、「理解・習得が必要とされる」すべての項目となる。4教科に絞ったとしても、いや、小学校に英語導入なら5教科となるのか。これは相当過激な…である。ここまで書けば実現するのは無茶苦茶大変なことであることが分かる。いや、非現実的とも思える。おそらく現実的な方向をとるとすれば、高校のように「赤点何個以内」のような「境界」も設けないといけなくなるし、レポートなる「救済措置」も考えないといけない。でもどうせ、それをどう設定するかでまたもめる。
 まあ、そんな様々な障碍を「乗り越えて」実現の運びとなったとする。子どもが一番大変だが、保護者も教師も「留年させてたまるか」と、あれこれと画策するしかなくなる。「無理やり」進級させた教員(学校)は「処分」てか。
 言うことをまったく聞かない子ども(生徒)に「留年したいのか!」なる脅しも少しは効くようになるかも知れないが、親も教師も、そして子どももそれぞれ「力量」が問われ、その「力量」が及ばない時は「相手のせいにする」道を選ぶのだろう。クラスの何人がそんなひどい生活を強いられるのかは分からないが、その子たちは、いやその子たちばかりでなく、その子たちを巡る子どもたちはその中で、今までの「平穏な」学校生活は出来なくなる。

○今日の給食は「雛祭りメニュー」で、ちらし寿司とあられが出るんだ
○今日はリカちゃんと廊下ですれ違えるかな
○あいつ、今日も担任をコケにしてくれるかな
○今日の先生の下着の色、何色なんだろ
○約束のマンガ、持ってきたかな
○オレが、ミサちゃんを守るんだ
○昼休み、ボール使えるかな

ホルトの言う「子どもたちが学校で何に時間をつぶしているのか、分かっているのだろうか」とは、こういうことだ。授業中においても然り、子どもたちは「退屈」や「居眠り」という「戦略」を使う、と同時にホルトはいう。しかし、ここの「退屈」には「現代的」な「退屈」は考慮に入っていない。何せ、ホルトの論文は1960年より前に書かれたという驚きの事実を私たちは知らないといけない。ホルトの観方が先端的だったとも言えるが、学校(教師)が半世紀以上もの間、ちっとも変わっていないとも言える。というわけで、現代的退屈を考慮した形で子どもたちの「戦略」を考えるには少し別な道筋が要る。それはあとで論じる。
 それにしても、大阪の職員はそんなにひどいのかと思うような橋下市長の方針である。「職員の勤務中のメール」をチェックするような「雑務」の方がよっぽど無駄と思えるが、それが必要とされるくらい職員の勤務状況がひどいということなのだろうか。あと、なんだっけ、タトゥー職員は解雇だっけか。大阪市役所ってとこは、夏の節電で肌脱ぎになった職員が、唐獅子牡丹をむき出しにして「ここでは住民票出せねえって、言ってまんのや~」と、窓口で市民にすごんでいたりするのだろうか。だったら処分かも、と思いますがね。


 英一郎

 「留年」という、子どもの生活そのものがおびやかされそうな提案を聞いたら、えらい昔の話を思い出した。1981年「国際障害者年」を前にした1979年「養護学校義務化」のことだ。障害のある子にも教育の機会を、というスローガンのもと、その子たちに学習や訓練のチャンスを与えるというものだ。このことで障害児の普通学校への門は大いに狭くなった。それから30年、多くの人たちの努力や行政の柔軟な対応もあって、あの頃の「型通りの振り分け」はだいぶなくなった。また同時に、それとは別に、高度自閉症や学習障害やらと「新たな障害者」の「発掘」に世間はいとまがない。私にはこの「発掘」に一番熱くなっているのは、残念ながら保護者のように思える。まあ、その話は別な機会にするが。
 その養護学校義務化の直前、私の最初の勤務校に3人の障害児が入学した。私が教員を始めて4年目のことと記憶している。3人の子の親も熱心(必死)だったのだろうが、やはり今考えれば、校長が首を縦に振るような器量だったことがポイントと思える。二人はダウン症の子で、ひとりは自閉症だった。自閉症がどういうものか、その頃の私はまったく無知だった。入学式を終えて間もないある日、その担任が朝の職員打ち合わせにその子を連れてきた。そしていかにも困りきったという顔で言った。
「この子なんです」
連れて来られた男の子は、前に連れ出されるや鼻唄を始め、目の焦点を定めず前の空間をさまよった。英一郎という子だった。私は少しのとまどいのあと、激しい怒りがわいてきた。受け持ちの生徒を「さらし者」にするようなこの担任の下で、この子は一体どんな生活を送るのだろう、そう思ってはらわたが煮えくり返るような気がした。そして、絶対この子をかわいがってやる、そう思った。
 やがて、授業中と言わず休み時間と言わず、英一郎は「自由に」学校の中を歩き回るようになった。思った通りだった。自由に接触出来た。自慢話になってしまうが、英一郎が学校生活で初めて言った固有名詞は「コトヨリ先生」だった。やがて、英一郎が書く高度な絵を担任が私のところに持ってくる、というなりゆきにもなった。クラスでの英一郎の場所は少しずつ変化したらしい。その時私は6年生を受け持っていたが、その子たちも英一郎とは睦まじく、卒業式に「お礼(お祝い?)」として英一郎がポテトチップスを教室までみんなに持ってきてくれたことを昨日のことのように覚えている。
 今回の橋下市長の「理解出来ない子には分かるまで教えるのが本来の教育だ」から出て来た「留年」提案で、私は英一郎のことを思い出した。そこにホルトの

「子どもたちが学校で何に時間をつぶしているか、分かっているのだろうか」

という言葉を重ねてしまう。


 ☆☆
3月11日、知っている多くの方が、当日のセレモニーを「ちょっと…」と敬遠しています。私は結局、四倉の海でその日その時間を迎えようと思っています。当日は「雪」という予報が気になりますが。

 ☆☆
流行りものが好きな私ですが、今「塩麹」にはまってます。生野菜にそのままふって「漬け物風」に食べるのもいいのですが、リゾットや炒めものを作る時にも使ってます。なかなかいい。お勧めです。

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1 コメント

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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-17 23:25:47
仏に成りやすい道というのは特別なことではない。
旱魃のときに喉のかわいた者に水を与え、寒い氷に凍えた者に火を与えるようにすることである。
また二つとない物を人に与え、それなくしては自分の命が絶えるときに人に布施をすることである。

繰り返す

仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ・寒冰にこごへたるものに火を
あたふるがごとし、又二つなき物を人にあたへ・
命のたゆるに人のせにあふがごとし
(上野殿御返事)
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