実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百四十七号

2012-03-10 10:21:41 | ニュースの読み方
 「震災から一年」を前に 後編



 検証の検証


 震災後一年を前にあちこちで特集が組まれている。テレビ・新聞・雑誌と、いいものも多いのだ。NHKの特集など真面目なものが本当に多い。文藝春秋の特集号だってよかった。いい原稿・談話が多かった。しかし、ほっておけないものがいくつかあった。その中のひとつ、五木寛之の談話の一節だ。

「二転三転する報道に対して、裏切られたとか、メディアが信用出来なくなったとか、いろいろ言う人もいます。しかし、国とはそういうものなのです。国は決して、国民の立場を考えて物事に対処するわけではないんですね」

こういった物言いはたくさん聞いた。福島にいてもずいぶん聞いた。また同じことを言うが、国を信じてはいけないというのはいい、それではじゃあどうするのか、ということだ。今そういう中で蔓延しているのが「カジュアルなニヒリズム」だという。何をしても無駄だ、何も信用出来ないという気持ち、投げやりな考えを言うらしい。一種の「あきらめ」のことだ。五木は「私自身は、『カジュアルなニヒリズム』とは一線を画していきたいと思っている」と言う。「国のことを信用するな」と言った舌の根も乾かないうちにこんなことを言う。どっちなのだ、と言いたくなる。これはこれで「投げやり」ではないのか。「一線を画したい」なる抽象的な言い方ではなく、「国とはそういうもの」ではあるけれど、大人しく騙されていることはない、とそれくらいははっきり言って欲しいということだ。
 そこで「ウソをつく国」にどんな対応をしてきたのかという検証である。その点では、報道関係者が「自身に」どんな検証をしたか、その点は見逃せない。それをきちんと「検証」しないといけない。また言うが、事故の隠蔽を続けた政府と東電の追求をしたという報道関係者が、同時に危険区域「30キロ圏内」を報道しつつ、自分たちはさらに遠くまで避難していたという、苦渋でも避けてはいけない検証をするべきなのだ。
 読売新聞も当然特集を組んでいる。報道検証は3月5日だった。「隠蔽体質突き崩せず」という見出しだ。ここが反省すべき点ということらしい。スピーディの情報公開遅延のことで見てみよう。御存知の通り、スピーディによる放射線拡散予測の公表は、原発事故から二週間近くも遅れた。すでに大量の放射線が大気中にばらまかれたずっとあとだった。メディアの追求を追いかけるように、福島瑞穂議員が国会で指摘して(3月22日)初めて明らかになったことである。検証記事にはこう書いてある。
「…(文科省は)原発の機器故障で、正確な放出源情報が得られないことなどを理由に、予測データの提供を拒否した」
実際、政府がこのスピーディシステムを備えていることを最初に報道したのは読売新聞で、それは3月の15日だった。そう報告しているのは単行本『福島原発事故記者会見』(日隅一雄・木野龍逸著・岩波書店)である。その時の読売報道は上のような「機器故障」を基調としたものだった。しかし、
「それは事実と違う報道であった。原子力安全技術センターはただちに、読売新聞の記事が誤りであり、SPEEDIは運用されているとの文書をホームページ上で発表した」(同書より)
という。このあとの顛末を読売は続報していない。この本が発行されたのは今年の1月20日である。一カ月以上も前のこの本を批判することもなく、当時の「誤った」ままの記事を読売は載せている。技術センターが言うようにスピーディが「運用されている」のなら公表せよ、と追求の手を緩めるべきではなかった。そのことについても同書は書いている。読売のスピーディシステム報道(15日)の翌日、文科省は記者会見をしているという。なぜ文科省か。知っている方もいると思うが、スピーディは文科省の所管だ。そこでの説明は「公開するしないは、原子力安全委員会が決定することだ(だから公開出来ない)」となっている。実はこのことはマスメディアから正式に報道されていない。これが私たちに聞いたことがあるような気がするのは、ネット・ツィッターでもたらされた記憶による。
 「政府高官や東電幹部が泊まり込みのため…個別に接触して情報をつかむことが難しく」や「会見を重ねるごとに疑問が膨らんでも…憶測で記事をかくわけにはいかない」など、言い訳に聞こえるのは仕方あるまい。


 比べるなよ

 先に紹介した「文藝春秋」特集号、良かった。みんなそれぞれぎりぎりの場所にいたのだなあ、と思えた。私たちは、あの(頃の)ことはもう「過去」のものとなった、してしまったのだろうか。そんなことをしたくても出来ない人たちがいる。また、そんなことは出来ないと思っている人たちもいる。そう思えるならそうしてはいけない。
「言い古された言葉が
 苦しみゆえに甦る
 沈黙に裏打ちされて」(谷川俊太郎)
「驚いたことに、私は少なくとも見舞うつもりで(車椅子で・杖をついて)行ったのに、どこへ行っても帰りは、被災者の方々に不思議なパワーをもらって、行く前より元気になっていた」(瀬戸内寂聴)
村上龍は、大切なのは「安心ではなく信頼」で、その信頼が崩壊しているから大変なのだという。また、「希望」については「昔のように日本全体に単一の希望が満ちることなど、ありえない」とクギを刺している。よしもとばななは、父隆明を呑み込んだ海の向こうにある東北の海を見つめて、それでも言わせて欲しいとつづる。私の苦手としている林真理子は、原発事故直後に関西に「逃げた」。その贖罪をするかのような東北行脚を描いている。「逃げた」時の編集者の林への冷たさも良かった。みんなそれぞれのぎりぎりの思いで生きてきた。
 ひとこと言いたい連中もいる。先の五木寛之にもうひとつだけ言っておきたい。この人は日本の高度成長期・熱かった時代と、言わせてもらえばその頃、能天気な小説でガッポリ印税を稼いだ人だ。その懺悔をするというのでもないだろうが、仏教やら「帰り道」とやらを語ることがここのところ多くなった。しかしやはり、今回の震災で「その人となり」が出てしまった気がする。
 最後に、この特集号の巻頭を飾っている曽野綾子の「『想定外』を受容する」、良くないなあ。東京大空襲は一晩で10万人が亡くなる、ということから始めるこの話、何が不愉快かって悲惨を「比べ」ているのだ。延々と「昔の悲惨さはこんなものではなかった」と、これでもかと書き綴っている。国は壊れて誰も何もしてくれなかった、国のいいつけを守って野たれ死んでいった人もいた、と。それで被災者を励まそうとでもいうのかしら。それとも自分を鼓舞しているのかね。あんまりいただけませんよ。そして、災害とは常に「想定外」のものだ、そのことで誰が悪いとか騒ぐんじゃない、と結ぶ。私たちが「騒いで」いるのは、ただひとつ「ウソを言うな! 本当のことを言え!」というただその一点だ。人が起こした災いは、人がどうにかしないといけない、というその一点だ。
 曽野も、大飯と風俗というスタンスを少しも変えようとしない芥川賞作家、西村賢太の変わらぬ生活を読んで少し頭を冷やして欲しいものだ。


 ☆☆
東北、今日から雪ですねえ。いつもだったら日程変更ですが、今回はそうもいかない。電車で行くことに決めました。明日の朝出発します。去年のあの日、私は柏にいましたが、地震の後、東北には無惨にも雪、でしたね。仙台の気象記録はきちんと残っているのですが、石巻の気象記録は、午後3時以降記録されていないのです。

 ☆☆
先日の朝、用があってバイクを走らせたのですが、休日でもないのに道々のバス停で中学生がバスを待っていました。公立高校の発表だったのですねえ。みんな寒い空気の中で笑っていました。懐かしい。そして来週は卒業式ですね。いい春が来ますように。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-03-10 13:24:36
五木寛之については満州引き上げのさいに母親がソ連兵に強姦され、殺されたか自殺したと聞いています。それを聞いてわかった気がしたのですが。
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少し (琴寄)
2012-03-11 10:41:41
はしょりすぎましたね。何号か先になりますが、ちゃんと書きたいと思います。
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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-17 23:51:18
たとえ等覚の菩薩であっても、元品の無明という
大悪鬼がその身に入って法華経という妙覚の功徳を
妨げるのである。まして、それ以下の人々においてはなおさらのことである。

繰り返す

設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、
何に況んや其の巳下の人人にをいてをや(兄弟抄)
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