実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

専制国家・下 実戦教師塾通信八百二十三号

2022-08-26 11:41:24 | 戦後/昭和

専制国家・下

 ~ウクライナ侵攻・補(10)~

 

 ☆初めに☆

東日本大震災があった、12年前に書いたことです。震災直後、福島入りして状況のひどさに圧倒され、写真撮影など思いつきもしませんでした。それが、若者たちの「帰ってみんなに報告したい」と言っては、バシャバシャ撮る姿に触発され、私も記録するようになった。

二日前の新聞です。キーウ(キエフ)市郊外の崩れたアパートをバックに、市の中心部に住む人たちが笑顔で写真を撮る場面に遭遇して不愉快な思いをしたという記事です。確かに、そんなこともあるのだろうと思いました。私に言わせれば、そんな取り上げ方をしてまで「長引く戦争 見通せぬ復興」という見出しを強調したいのか、という思いを強くしました。福島の海岸に来ていた若者たちは、「ここを写真に収めていいですか」と、住民の方たちに断っていた。キエフでも近くに住民が居たら、多くの人たちはそうしていたのではないでしょうか。ウクライナの人々の悲しみや苦しみに私たち周囲が慣れてしまわないように、というメディアの気遣いなのでしょう。

今回の記事、前回のものを読んでないと分かりません。読んでない方は、そちらを読んで下さるようお願いします。

 

 1 溢れるマフィア

 国家というタガが外れたソ連(現ロシア)で、一体どんなことが起こっていたのか。前回取り上げた「専制国家」なるコネと賄賂が横行する在り方は、広大な「闇市場」を闊歩・蔓延させた。国家-地方を貫通する公的な「闇市場」を一方におけば、他方には、良質のサービスや商品をあっせんする「良心的?マフィア」がいる。エレベーターを始めとする大型機械から、靴やハサミなどの小物製品に至るまで、ソ連の製品が名うての劣悪ぞろいであることはご存じと思う。少しばかり出費がかさんでも、いいものを手にしたいと多くの人々が思う。瀬戸内海の起伏に富んだ危険な海域を案内する「海賊」が、通行料金を取りたてた例と似ていなくもない。この「良心的マフィア」は小物ばかりではない、麻薬や売春をあっせんし、闇ルートの恩恵を受け組織を拡げていたことも間違いない。

 官民入り乱れたマフィア世界は、どんなものだったのだろう。ルーブルで買えるものが店頭から消えていく中、1986年(以下、頭の「19」は略して表記)に5ルーブルで買えた豚肉が、91年には50ルーブルとなった。この時、ソ連軍の戦闘機パイロットは、月給600ルーブルだ。彼らに劣悪な宿舎しか用意しないことで、潜水艇や軍用車に寝泊まりすることを当て込んだとは、軍事評論家・江畑謙介の言うところだ。人々はどうやってこの状況に対処したのだろう。まず、警察・官僚どもは、取り締まりや許認可という手続きの中で金をふんだくることが出来る。農家と工場労働者は契約を結んだ。生産物の互換(物々交換)が始まる。91年に収穫された農産物の75%は市場に出なかった。では、物々交換出来るようなものを持ち合わせず、賄賂を請求できるような民衆との接触もない軍人はどうしたか。ゴルバチョフの後を継ぎ、ソ連からロシアに変わり(戻り?)初代大統領となったボリス・エリツィンが真っ先に出した大統領令が「急進的な経済改革による完全な資本主義化」だった。闇市場は、すべての境界線を越え始める。戦車や戦闘機、ミサイルを売る? どこに? 笑い話ではすまない話が現実化する。マフィアによる核兵器売却という、信じられない話が流れたことを、私たちは覚えている。

 

 2 「健在な」ソ連(ロシア)軍用「製品」

 90年代のロシア政変以降、とりわけ東欧(東ヨーロッパ)で、ソ連(ロシア)圏からの脱退が、ドミノ倒しのように続く。北側から順に言えば、バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)独立、東西ドイツ統一(東独の西独への吸収)、ウクライナ独立。グルジア(ジョージア)独立宣言。などが、91年までの主な動きだ。

地図には表示されていないが、グルジアの北側にあるチェチェンも独立宣言する。また、独立ではないが、ポーランドでは非共産勢力の内閣が誕生。ルーマニア、ブルガリア、チェコスロバキア(当時)では自由選挙が実施された。これらはすべて、ソビエト連邦内かワルシャワ条約機構下の国々である。この当時ソ連が、国としての体裁を持たなかったとは言うものの、先だって「NATOには加盟しないという約束だったはずだ」と怒るゴルビーおじさん(ゴルバチョフ)の叫びは、そこから来ている。

 さて、いまはその話題ではない。これらの国々からソ連が撤収する時、あるいはソ連から自由になる時、もともとはソ連のものだった兵器、またはソ連から支援を受けた兵器はどうなっただろう。私たちも知っているのは、ウクライナの核兵器だ。これはロシア(ソ連)に返却される。本当はそんなに簡単なものではなかった。ウクライナに残った核兵器は、アメリカ、ソ連に次いで、世界第三位に匹敵する数だった。それを手放すにあたっては、独立派内でも「もったいない」という意見はあったし、独立反対派にあっては、まだ「ここはソ連」なのだった。結局、戦術核兵器に限定した合意に達するまで、ずい分と紆余曲折があった。

 そして本題は、一般重火器・その他の軍備品はどうなったのか、である。賢明な読者はお気づきと思う。新しい例で言えば、内戦によって解体したリビアが世界中に兵器を拡散させたのは2011年だ。ソ連(現ロシア)のカオスは、専制国家の時代から始まっている。ソ連崩壊でさらに広大となった闇市場と、自由に暗躍するマフィアが「新たなビジネス」に目を付けないはずがない。ブログの「NATO」で少し触れたが、ソ連崩壊後のボスニア内戦(92~95年)の時、セルビア人・クロアチア人・ムスリム人がそれぞれ「本国」に支援を呼びかけた。しかしこの時、支援兵器は一体どこからどのように調達したというのだろう。92年、大量のソ連(ロシア)製の迫撃砲・バズーカ砲・対戦車砲・自走高射砲・戦車が、ボスニア内戦のバルカン半島方面で行方不明になっている。それをやったのが、すでに形を成さなくなった政府なのか軍のマフィアなのかは、どっちでもいい気がする。

 ブーチンが抱える「カオスと闇」は、想像以上に巨大なのだろう。

 

 ☆後記☆

先週の「うさぎとカメ」、楽しかったですよ~。子どもだけでやって来るケースも、ずい分多くなったと思うこの頃です。慎重に言葉を選びながら近づいています。固めに炊けたご飯は、ピラフに丁度良かったみたいです そうめんの冷や汁も好評。でも、氷までは要らなかったかなぁ

写真にいいのがなくて。楽しそうな会食風景を撮れないのが、かえすがえすも残念です。

すぐ近くの田んぼ。曇天ですが、稲穂も立派。そして夏休みが終わります! 子どもたちの胸のうちやいかに

それでも 待ってる 夏休み (吉田拓郎)


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