実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

所沢報告書(下) 実戦教師塾通信七百五十一号

2021-04-09 11:44:37 | 子ども/学校

所沢報告書(下)

 ~息苦しさを抱えて~

 

 ☆初めに☆

暖かな始業式のあとに、寒の戻りがやって来ました。今年も桜に感謝ですね。入学式はどこも昨年よりはオープンな形ですが、一体この先どうなるかと表情をかげらせるのは、多くの校長先生です。学校回りをしました。中学校の校庭では、ちょうど三年生が「修学旅行」を前にした集会をやってました。まだ実施は未定なんですが、心構えでしょうか。そう言えば、集会の場所が「校庭」であって「体育館」ではなかった。子どもたちの間の距離も広かった。いい年(度)になりますように。

 ☆☆

前回書きましたが、所沢の報告書は「ご遺族の合意が得られた」ものです。つまり、遺族も息子が死んだ原因を、必ずしも学校や担任に限定していません。今回は、遺族が最後に問いかけた部分、つまり、学力や体力を向上させようとする余り、もっと大切な部分を、この学校はないがしろにしてきたのではないか、という部分を中心に書きます。この学校では見えない力が、子どもたちを圧しているのは間違いありません。

 

 1 「再チャレンジ」

 国や県のガイドラインよりも、長い時間の部活動をしていたA中(当該校のこと)だった。部活動の見直しを進めている時に今回の事件は起こっている。そしてA中の、体力テスト(「新体力テスト」と呼ばれる)に関する報告に、第三者委員会は多くを費やす。A中はこのテストの成績優秀校として全国表彰されているのである。このテストへの指導のあり方が、以前から保護者に問題視されていたという。ひとつに、持久走の目標タイムに達することが出来なかった時、「再度挑戦させられているのではないか」という指摘だ。A中は、それが「生徒の自主的な申し出に基づいて」いると言う。これに対し遺族の父親は、「平均の記録に届かない生徒は、昼休みに校庭に来るよう指示された」という証言を彼(亡くなった生徒)の友人から得ている。実は、どちらの言っていることが本当かどうか、は問題ではない。基本的なところがおかしい。

 

 2 テスト実施要項

 私の現場経験から言っても、この一件があって現場に確かめた結果も、どっちも同じだった。持久走計測は「一回」しか出来ない。文科省の新体力テスト実施要項でもそうなっている。握力や反復横跳びなど、9種目の中から8個選び体力を測定する。それらの計測は多いもので二回(いい方の記録を記入する)。持久走は一回である(よろしければ拙著『さあ、ここが学校だ!』P144~ を参照していただければ、「もう一回やらせろ」などと学ラン姿で叫ぶ、わがまま放題の連中に、とうとうこちらが折れてやらせてしまう情けない話が書いてあります。要するに「もう一回」など「出来ない相談」なのだ)。「自主的な申し出」だの「昼休みに校庭」だのはあり得ない、いや、やってはいけない話だ。だからテストと言う。

 この点について、第三者委員会からの言及はない。「再チャレンジについての教師からの働きかけに対する生徒の受け止め方は様々であったと推察される」とあるだけだ。つまり、第三者委員会は実施要項を知らないか、それを逸脱しているという「認識がない」。委員の選任/選定に遺族が関与した形跡が見当たらないのは気がかりだったが、ここに来て、第三者委員の多くが所沢の、つまり地元メンバー、そして中には所沢市教委が認定したとしか思えないメンバーのいることが気になった。他の地域の人間で、しかも現場を「ちゃんと」知る人だったら、この「再チャレンジ」のおかしさを気がついたのではないか、と思う次第である。誠実に調査したあとが見えるだけに、この部分の「欠如」が悔やまれるのである。

 

 3 「進路に響く」

 亡くなった生徒は、「部活をやめたい」「(でも)お母さんが`高校のこともあるからやめたらだめだ`と言っている」と、担任に相談している。担任は「(制度として)強制ではない」「相談して」と応えたそうだ。第三者委員会は、こうしたことに、「教師の指導を『内申点』、『高校進学』といった進路の問題と結びつけて悲観的に捉えていた」のではないか、としている。しかしもうお分かりと思うが、学力/体力で全国レベルでの優秀さを称賛される学校がどんな空気を作っていた、いや、作っているのか、ということをしっかり押さえないといけない。提出物が評価の対象になるのは別段珍しいことではない。しかしA中は、体力テストの記録「向上」のため、生徒からの「自主的な申し出」で「昼休みに校庭」で走って、本当は出来るはずのない「再チャレンジ」の日常を有する学校である。提出物に関しても、それが一体どのようなものにまで及んでいたのか、考えないといけない。たとえばそれが生活日記だったり尿検査の尿にまで及ぶのか、期日は厳密だったはずだ等と考えた方がいい。子どもたちには、学力/体力抜群の学校という「ステータス」が、責任と義務とでもたとえるような重苦しさをもたらしていたことは疑いがない。教員の日常に落としていた「影」について、この事件の前年に起こった「踏み切り事故」の『調査報告書』が指摘している。

◇表面的行動にとらわれずに…………サインを感知する教職員の感受性の低さ、配慮のなさ、指導のずれ、自らの指導内容を内省的に振り返り吟味することの欠如等……

◇行動連携どころか、情報連携すら十分に行われない連携の欠如

◇生徒一人一人の内面を把握しながら指導するよりも、テストの高得点や賞などの獲得が優先される指導体制

◇不登校や課題のある一部の生徒以外、校内の相談室の存在すら知らない教育相談体制

報告書は、これらを改める前に新たな事件が生じてしまったと振り返っている。更に、「教師自身は何をすべきか、どう変わるべきかが見えてこない」、そして「それよりも、常に生徒だけを変えようとする意図が露骨ではないか」と断じている。

 A中はひどい学校だとするのはたやすい。しかし四点の指摘、そしてとりわけ最後の部分は、私たち教師全員に向けられた言葉と思える。重苦しい学校、それはきっかけの見過ごしと決断の回避が重なれば出来上がることを、私たちは知っている。

 

 ☆後記☆

名残惜しい桜の写真。カナダの桜なんです。先日、バンクーバーから送られて来ました。街並みと家並み、なんか違いますね~。

子ども食堂「うさぎとカメ」、来週で~す。初めての「チャレンジ」、お好み焼きです。お米も少しですがあるので、配りたいと思ってます。皆さん、来てくださいね~

 


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