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所沢報告書(上) 実戦教師塾通信七百五十号

2021-04-02 11:45:52 | 子ども/学校

所沢報告書(上)

  ~「学校の不誠実さ」への指弾~

 

 ☆初めに☆

所沢の事件を考える前に、先月、流山の子どものことが、連続してニュースになりました。ずい分な紛糾(ふんきゅう)を感じる2014年の件については9日に、同じ中学の生徒が同じ踏切に飛び込んだ昨年9月の事件については29日に調査報告書が提出されました。報告書を読もうとした方はご存じですが、流山市のホームページにそれが掲載されていません。問い合わせてみました。担当室の説明は、

2014年の報告書は一度公開したが、ある事情が発生してやめた/その事情については話せない/今後どうするか話し合っている/内容の訂正も公開についても検討中

というものでした。そして同じく、昨年の事件についても「公開するかどうか検討中」なのです。つまり流山市の事件に関して知っているのは、ごくわずかな人に限られているということになります。隠蔽と断定するのは控えますが、こんなことをしていれば、要(い)らぬ憶測や噂が広まるばかりです。被害生徒と家族、遺族の方々の思いが伝わって来ないことも気にかかります。

 ☆☆

所沢の事件については、今回、報告書と遺族の見解について考えます。次回は、報告書から見える「現場」について考えます。

 

 1 「えっ。なんであの子が?」(教職員の反応) 

 2017年から、所沢では生徒が3年連続して亡くなっている。先月の23日に、2018年の事件に関する第三者委員会の報告書が提出された(52頁)。唐突だが、報告書の結論と言える部分から始める。

「これまでの調査において、彼(亡くなった生徒)を知る友人や教職員、そして家族も皆、彼の死を想像する者は誰一人いなかったと言えよう」

これほどのことを、これほど断定的に報告書が書いている。確かに報告書は、熱心さとヒステリックを併せ持った担任の資質も、両親との日常的な言い争い等も、結局は「死」に導くほどのものではなかったとしている。では第三者委員会は、報告書で学校を擁護しているのか。否である。提言の最終部分で、第三者委員会は遺族からの聴き取りを報告している。重要だと思われるので、書き抜いて引用する。まず「管理職に対して」の思い。

葬儀には、担任も管理職も、教育委員会も来なかった/我が子の生前の様子を伺(うかが)うべく担任との面談を……希望したものだが、管理職に断られた。

次が「担任に対して」である。

月命日には、担任も管理職も誰もやって来なかった/発生後、1か月と10日経って、やっと担任が部活動顧問と2人で来宅した/「私だって傷つき、死のうとさえ思った」と担任は言ったが、実際に我が子を亡くしたことで深く傷ついている親に向かって言う言葉かと思った。

そして第三者委員会からの結びは、以下のようになっている。

……事案発生直後、学校は、彼の保護者に対し、「自宅を訪問し、お線香を上げたい」との意思を何度か示したが、保護者の承諾を得ることができず、葬儀の日程等を聞くこともできなかった。また、教育委員会も学校や保護者に対し、葬儀への参列を実現するための積極的な働きかけをしなかった。その結果、学校関係者、教育委員会は誰一人、彼の死後1か月以上自宅を訪問することも、ご焼香を行うこともなかったのである。
 自分たちが新入生として受け入れ、少なくとも3か月間様々な教育的かかわりを行ってきた一人の生徒が死んだ。そうした事態に、葬儀に参加する(裏方として手伝うでもよい、少し離れたところから手を合わせるでもよい)、自宅にご焼香に伺うといった行動をとるのは、人間として当然のことではないだろうか。学校側の対応に傷つき、怒った親から「線香を上げに来てほしくない」と言われたからといって、そのまま通夜にも、葬儀にも、月命日にも、一周忌にも顔を出さないということがあるだろうか。たとえ、罵倒されても、石を投げつけられても、遺族に会うべきではなかったか。…………

 傷ついた遺族への心の支援という視点が欠如しているとしか言えない。

第三者委員会の態度は、明確であるように思われる。それでも報告書には「彼の死を想像する者は誰一人いなかった」聴き取りの結果が残った。

 

 2 トップクラスの学校

 遺族はどう考えているのか。市教委の公開文書には、遺族からの「調査報告書に対する意見」(3頁)が添えられている。報告書への感謝とともにあるのは、学校への不信感である。

 第三者委員会の調査については公平性は担保されていたと感じます。私どもが知り得なかった他の保護者の意見、担任教諭の教室や部活動での言動、アンケート内容など幅広く調査していただき、私どもが在校生から得ている証言と合致した問題点がより浮き彫りになったと思います。
 その反面、第三者委員会の調査に対する校長や教諭の回答については大いに失望しました。…………息子や息子の友人達から聞いていた話しとの乖離(かいり)が大きすぎます。3 年連続して 3 名の尊い子供の命が失われている前代未聞の学校であり、その学校の現職教諭の回答とは到底思えず、当事者意識が皆無なのではと疑わざるを得ません。

同時に遺族は、息子の友人たちの率直な言葉が、聴き取り調査の中からは「消えている」ことを指摘している。それは対面による聴き取りが原因ではないか、だからアンケートでは「命の教育が本当に必要なのは先生たちではないか」と率直な意見を述べる生徒がいたという点を、調査のあり方の提言としている。最後の「総評」では、

「学力テスト、体力テストが県内トップクラスになることより、不登校者数やいじめ認知件数が減ることの方が大事なのではないか、と思う次第であります」

と結んでいる。さて、この点が学校体制/日常として存在したのだろうか。私はあったと思う。それを私は報告書の中に見いだしたと思っている。

 

 ☆後記☆

それにしても事件直後の大変な時に、遺族と何度もやり繰りした「保護者宛てメール」、また「保護者宛て手紙」が、公開された報告書に見当たらないのが腑に落ちません。すでに公開されているものなのに、です。個人が特定される部分があるなら、削ればすむことなのです。心残りでした。

桜の見頃、明日までですね。これは手賀沼大橋の上から撮ったものです。ジョギングロードで、お弁当を食べているお相撲さんをみました。

これは北柏ふるさと公園。このそばにあるパン屋さんに行きました。

「袋はお持ちでしたか」

と来たよ。だから「お持ちでした」と言いました。少し驚いた顔をした後は「普通」の敬語になって、安心しました。


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