実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦的なⅣ  実戦教師塾通信二百七十六号

2013-04-30 11:49:08 | 子ども/学校
 若き教師に向けて

     ~その4「無能を乗り越える手だて」~part2「実際」前座


 1 「食」への反応


 私の父が亡くなったその後、ある時、母が思い立ったふうに、あるいは決意したように、クリームシチューを作った。まだ私が小さかった時のことだ。私たち兄弟は、いい匂いと綿のような乳白色の、珍しい料理に胸を躍らせた。しかし、いただきますのあと、私たちはその味の淡白さに失望してしまった。ルーなどない時代だから、母は自分自身で嫌いな牛乳から作ったはずだ。母の意気込みを私たちは知っていたが、このクリームシチューは、その時の私たちに言わせれば、味噌汁のような役割しか持っていなかった。
 最初にそのシチューに醤油をかけてしまったのは、兄の方だったと記憶している。他になにかおかずがあると良かったと、不満を口にしたのも覚えている。肉を50グラム買ったというのに、これ以上お金をかけられないよ、と母が悔しそうに言った言葉が、まだ耳元で聞こえるようだ。これだったらカレーが良かった、そう思う私は、その夜の食事が台無しになっていくのが全身で分かった。

 「その3」の記事に、実に多くの反響をいただいた。教師からよりも保護者、もちろんこの場合それは母親であるが、その方面からの反応が顕著だった。

○子どもが「食べない」のはどうすればいいのでしょう
○好き嫌いはなくせるのでしょうか
○忙しい私たちに、これ以上どうしろと言うのでしょう
○給食には本当に感謝しています
○子どもに嫌いなんて言わせません
○食事の時間を私たち家族は大切にしています 等々。

おそらくは、前回に舌足らずだった部分が、記事への注文という形になっている。なので、そこに応えたあとで、「教師の実際」に移ろうと思う。
 まずは、今という時代が、「食事」という生業を「育てる」のに困難な時代だということからだ。冒頭の昔の経験は、食べるものが「もうない」「これ以外にない」という時代だった。

○これを食べられないなら腹をすかせていればいい
○なに贅沢言ってるんだ

という時代に私たちは生きていた。昔は良かった、のではない。昔は大変だった、のだ。しかしこの話は、シチューであって、とりあえず米(麦)飯はあった。蒸かし芋や、大根飯の話ではない。母が、
「(おかずなんて)もうありません」
と言ったのは当然なのだ。
 ところが今は、食品が溢れかえっている。
「いやならいくらでも別なものがある」
のだ。食料への渇望が激しかったた昔から考えれば、今は楽でいい時代だとも言えるが、「食事をちゃんとしたい」と考えるものには、大変だ。こうして意見を送ってくれる読者の皆さんは、みんな真剣な人たちだ。


 2 「食指をそそる」力

            
        横川のおぎのや釜飯、ゲットしました。

 ファストフードと洋式な生活が定着したため、食べ歩きは公認されたし、畳の部屋でも帽子を被ったまま食事は可能(普通)になった。しかし日本の「食事」は、まだ「生き物の命をいただく」気持ちを様々なマナーに残している。食べる前とあとのあいさつ、箸の使い方など。箸に関しては、握り方もそうだが、使うことそのものが、食材への敬意を表している。分け/ほぐし/切り/つかむ(つまむ)等ということを、私たちはいつの間にか丁寧にやっている。左手を添えることを排しつつ、それらをこなしている。まだ小さいわが子が、両手で魚などと格闘する姿を、私たちは半分笑い、半分困惑して眺めていたはずだ。
 食事にそういった「躾け」の側面があることは紛れもない。しかし、好き嫌いを「躾け」るのは、そういった「食材への敬意」という観点からも、注意が必要な気がする。「子どもが料理を嫌いだと言って食べないので、殴ったら死んでしまった」などという、とんでもないのもあったが、これで料理や食材が喜ぶはずがない。もちろんこのケースは、食事の場面が決定的なものだったということであって、その他のあらゆる場面で子どもが虐待されていたことは言うまでもない。そんなやり方でする「躾け」ではないことは確かなのだ。
「おいしいよ」
「丈夫な身体になるよ」
と、勧めること。これで必要なことはすべて揃ってるし、充分だ。こういう幸せな食卓が出発点だ。この子にはちゃんとしたフィールドがあるということだ。この子にはいつでも「好き」になるチャンスが訪れる。あとは周囲にいる大人や子ども(両親や兄弟のことだ)が、うまいうまいと食べていればいいだけだ。たまにまた、
「こんなにおいしいのに」「病気に負けない身体になるよ」
と、言葉をかける。それだけだ。チャンスというものは、半分は与えることが出来ても、あとの半分、つまりそれを本人が選びとることがないと成立しない。
 例えば前も書いたが、晩年、こともあろうに死者との電信機械を発明しようとしたトーマスエジソンは、不登校やそれに伴って母が地下に作ってくれた実験室が、結果としてすべてはチャンスだった。よく言う、
「ちっとも勉強しなくて」
という悩みも同じことだ。子どもが勉強しようという気になるのは、親が「勉強せい!」と脅すからではない。優しい先生、きれいな(イケメン)先生に出会ったからとか、友だちが面白い解説をしてくれたとか、星を眺めているうちに理科が好きになったとか、テストが90点だったのを見て親が跳んで跳ねて喜んだとか、そんなものをきっかけにしている。大体が親の意図せざるところで生まれる。そして、そのチャンスの時期も内容も、子どもが「勝手に」選んでいるのだ。大人の思うようには行かない。
「あとで後悔するのはオマエなんだ!」
などと、子どもにきつく言ってうまくいった試しはない。
 ひとつ付け加えたいのが「気持ち/意気込み」だ。「食事」というのは、言わずもがな「食べる」ことではあるが、それは何度も言うように一部の出来事だ。準備から片づけまで一貫したすべての事柄を、私たちは「食事」と呼んでる。
           

 以前使わせてもらった福音館の『へへののもへじ』(え林明子ぶん高梨章)の一節である。このページの文は、

ままと
いっしょに
おかいもの
さあ さあ
かった かった
いか かった
まけた
おまけだ
いか いかが
かった
よかった
やすかった
へーい まいどありぃ

である。とりわけ「ぼく」の表情は、すでにしっかりと「食事」に入りこんでいる。このあと、家の台所からあたたかな湯気と匂いが漂って来ることは疑いない。包丁で野菜や魚を刻む音と茶碗の硬質な音。すべてが「食事」の音だ。それらがすべて「食べたい」気持ちを誘って来る。そういうすべてを指して「食事」というのだ。デパ地下やコンビニの惣菜を否定するものではない。しかし、大人(親)の意気込みというものは、こうして「食事」を構成する。そうしないといけないというのではなく、そういうものなのだ。そうしたくとも出来ないという事情とは別に、そうしたいと思わせる力を「食事」というものは持っている。そういうものが「食指をそそる」力を持っているのは当然と思われる。

「したいと思うこと」、その気持ちを大切にすることは「出来る/出来ない」とは違う場所にある。お母さんたちに、いやお父さんたちにも栄光あれと思う。


 ☆☆
おぎのやの釜飯、うまいんですが…やっぱり列車の中に限りますねぇ。車窓の眺めがあったらもっと味わって食べるのにと、何度も思いました。バイクのツーリングは極上ですが、欠点は駅弁を食べられないことです。列車万歳!

 ☆☆
北海道の石川先生から本をいただいた話(明治図書『エピソードで語る教師力の極意』)は先日報告しました。今、読んでます。「あとがき」に驚いたことと、石川先生の苦労のあとも見えて、前回よりすんなり読めています。これが、いつか書きたいと思っていたことのきっかけになりそうです。このシリーズが終えたら、書こうと思います。内容は、
○教師が入り込んでしまう「教師らしさの道筋」
○子どもと教師が、教師らしさを回避する手だて
です。きっと長くなります。

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