実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

黄昏 実戦教師塾通信九百三十二号

2024-10-04 11:25:30 | 戦後/昭和

黄昏(たそがれ)

 ~戻れる場所/戻れない場所~

 

 ☆初めに☆

今までで『奇ッ怪Ⅱ』(ただし、これは舞台)が一番良かったかなぁと、未だに思います。しばらく仲村トオルの映画やドラマを見てませんでした。先だって「☆」で書きましたが、МX2の『飯を食らひて華と告ぐ』は、くだらなくも面白く、見逃し配信ですべて見ました。それと今回は、BS・NHK『団地の二人』を取り上げます。ふたつのドラマはともに、越えてしまった、あるいは越えられない、時代や人生の境界線を示している気がしました。

 1 「関係ない場所」との遭遇

 独りよがりというより、ひとり合点の食堂オヤジは、どこかでつまずいて店に迷い込んだお客といつも交叉する。

Tシャツ、買っちゃいました。

仕事の過労/仲間とのいさかい/夫婦のすれ違い等、どれも「良くある話」で、その上「それほどドラマチックではない」結末のドラマである。疲れ切るか投げやりだった気持ちが、食堂を出る時には上向いている。しかし、フルに充電&頑張るゾ!モードには及ばず、「もう少し続けてみるかナ」「案外いいかも」程度だ。他に、このドラマに共通しているのは、中華の看板をかかげてはいても「何でも作れる」こと、そして、そのどれもが「美味しい」ことだ。どんな悩みを抱えていても、客はみな「美味しい!」とつぶやく。オヤジの演説は、途方もなく筋違いだ。しかし、見当違いな語りは、何故かかすかに客の背中を押す。ある客は職場に戻って苦手な上司に話しかける。別な客は田舎に電話し、別な客(生徒)は駅に向かう。気持ちの折り合いがつくという積極的なレベルではない。黄昏は、すれ違う相手をはっきり判別出来ない「タレ(誰)ガソ」「タ(誰)ガソレ」の時間帯と言われる。しかし、相手がいることははっきりしている。そして、もしかしたら、自分が見知った人や場所なのかもしれない、という覚醒に支えられている。

 例えば、親を看取った帰り道、または大切な友人と喧嘩した後、あるいは疲れ切った身体を引きずる時。ひとりで引き受けるしかないと思うそんな時、その苦しみに近寄れる「優しさ」があるとすれば、自分に差し迫ったものと「関係がない」ものなのだろう。それで、無邪気な子どものはしゃぐ声とすれ違う時/橋のたもとで真っ赤な夕陽に照らされた時/店で出されたスープの滲みわたった時。誰かが気持ちを分かってくれたわけではないのに、何故か私たちはどこかで癒される。私たちは自分と違う生活や世界が、毎日過ぎては更新されていることを知る。黄昏時の覚醒は、戻る道を示すのだろうか。決して寄り添うことのないオヤジの話は、遠い場所から旨い料理を提供するのだ。

 2 「黄昏」「境界線」

 よく言われる「日本的(庶民の)住居」は、ひと間で食事・就寝・仕事場(内職)・雑事、すべての機能を持っていた。食卓(ちゃぶ台)を畳めば、そこは子どもの遊び場や服を繕う場になり、寝る時間には布団を敷く。公団の住宅供給が進む中、公衆衛生の観点から出て来たのが「寝食分離」だ(『都市・空間・建築の根拠を探る』飛島建設・文化科学高等研究院)。食事と就寝を分ける考えは、やがて教育的配慮から「(親子)分離就寝」を促進する。ここから戦後住宅に「子ども部屋」という、驚くべき風景が生まれる(同)。成長に伴った子どもの性が違えば、そこでも分離がされる(同)。これらがnDK団地の根深い根拠とされる(同)。この考えは、後の戸建てにも反映する。

 この理念を忠実に後追いしたのが、公営団地である。しかし当然だが、成長した子どもは団地を後にする。また、新居に住み替える世帯の増加などに伴い、団地はかつての「憧れ」的存在ではなくなっていく。階段から道に向かって放たれる華やいだ声は、くぐもった愚痴やクレームに変わっていく。昔の賑わいを「騒音」だと、抗議する人たちも出て来る。「独立」した子どもの中に、団地に帰って来るものもいる。もちろん、それは「凱旋」という晴れがましいものではなく、うつむき加減の影を背負っている。中年を越えようとする「子ども」と暮らすダイニングに、トースターに代わる電子レンジや大型冷蔵庫はあっても、ガラス戸の向こうには脱衣場で着替える年老いた父の姿を映すのだ。彼らの生活に、今やリビングという部屋は所在なげで、就寝以外のものは全てダイニングに集中している。

 ドラマ『団地の二人』の住民は、もちろん日の出ではないが、日没を生きているのでもない。言ってみれば「黄昏」を生きていると思える。「黄昏」が生き死にの「境界線」と言うなら、団地(私たち)という存在は、その当否を巡ってじたばたしている。たまさか入り込んだ子猫や少女は昔の記憶を呼び起こし、黄昏に灯りをともすどころか、さらに暮色を濃厚にする。少女やコンビニ店員の若者と、陰りゆく団地の姿は見事なコントラストである。

 

 ☆後記☆

あと、仲村トオルのドラマでは『黒革の手帳』が良かったな、などと思い出します。他にも『家売る女』とか、初期の『職員室』とか……あるもんです。来年か再来年で還暦なんですね。定年はない仕事なんだから、他界してしまいましたが、原田芳雄とか、まだ現役の石橋蓮司のようないい先輩もいます。楽しみです。

10月です。今月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、焼きそば🍝 麺が続きます。今度こそ暑さも収まることでしょう🌞 頑張ります👊 頑張りましょう🍄🍐

先月のお土産です。すっかり色変わりしてしまった枝豆(手前)でしたが、中はしっかりしてるのです。失礼かと躊躇しましたが、並べました。皆さん、お持ち帰りいただけたのには感動しました🍺💛