実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

桜宮高校  実戦教師塾通信二百四十三号

2013-01-12 12:48:44 | 子ども/学校
 体罰!?



 まずは


 「悪者がはっきりした後」の反応は、疑ってかからないといけない。誰も彼も、よってたかって死体に群がるハイエナのようだ。
 「体罰なぜ気付けず」(10日付読売)という、大阪桜宮高校バスケット部長自殺をめぐる記事だ。9日の全校の保護者を対象にした説明会で、
「なぜ学校は体罰に気付くことが出来なかったのか」「自殺と因果関係はあるのか」
という質問が相次いだ、とある。いい気なものだ。こう質問した本人が、
「(私は)気付いていながら、学校になにも言えなかった」
という事実をちゃんととらえているのか。まあ、どうせ言ったところで、
「とても言える雰囲気ではなかった」
とかいうみっともない言い訳しか出てこないとは思うが。
 桜宮高校は、入学試験の合格偏差値が大阪府内の平均を少し下回るレベルという。しかし、定員80名の「体育科」は、毎年その2倍を越す勢いで、生徒が応募している。インターハイ常連のバスケットボール部の、そのキャプテンに、この生徒は「立候補」している。これだけでも、このキャプテンの胸の内は複雑に揺れ動いたことが分かる。この生徒は、スポーツ有名の狭き門を突破し、さらに高名の顧問のもとでキャプテンをつとめる大役をかってでたのだ。
 読売のこの記事には、
「バスケ部の顧問はいい先生だ、と娘が言っていた」
なる親の発言も記されている。いいことはいい悪いことは悪い、とかいう安易な場所に、このキャプテンはいなかったはずだ。金八なる熱血先生を演じた俳優が、
「殴られて感謝するのは体罰ではない。自殺するのは体罰」
とかいう講演を予備校でやったという。気楽なもんだ。どうせこの金八は、自分の「熱血指導」によって、生徒を死に追いやることはなかったんだろう。しかし、こういうことは、
「どんなことがあっても許されない」
が、「熱血指導」がもたらす結果として
「あり得る」
という受け止め方からだろ、スタートは。
 この「自殺」という日を見るより明らかな結果を前に、
「生徒は初めて口を開く」
とは、このブログ読者からの感想だ。考えるべき言葉だと思う。「体罰をみた」「自分も体罰を受けた」と、バスケ部生徒は「勇気を出して」アンケートに書いたのだろうか。多分違う。体罰が日常的に通っていたというこの高校の生徒が、どんなふうに毎日を送っていたのか、ニュースでなくとも、ある程度なら想像することは難しくない。こんなこと(体罰のことだ)は嫌だということはもちろんあっただろう。しかし、この高校の名門バスケ部(バレー部も?)の厳しい「指導」は定評があったはずだ。それを「自分は覚悟して」このバスケ部にいる、という生徒は、そんな反応ばかりしていたとは思えない。バスケ部の生徒は、キャプテンの自殺という重い事実を突きつけられた。そのことに追い込まれて出て来た言葉、と思って間違いない。おそらく本当は、この「体罰」なる方法を受け入れていた自分が、まるで
「それでいいいのか」
と言われたかのように思った。思わず逃げ場所を探した生徒たちの言葉だ。
 「夢中」とかいう目標が、よく学校や学級、そして部活動で掲げられる。「頂点という夢」を目指して、激しい言葉はもちろん、つい手が出るということが許されるとしたら、それは生徒の教師の行為の「受け入れ」と、手を出した教師の激しい「後悔」がある時である。「叩くことで指導の効果があった」と、このバスケ部の顧問が言ったという。どうせ、作り出されたシナリオで話しているんだが。それでまた「体罰は指導の効果があるのか否か」のような、しょうもない議論も再燃してくる。
 基本的なところから問題を整理し、きちんとこの事実に向き合わないといけない。体罰はいかん、なんてところからこのキャプテンの思いに届くわけがない。
 この生徒は、キャプテンをやめる、あるいは部活をやめるという選択肢ではなく、最悪の選択をした。キャプテンや部活を辞退する道を塞がれたのだろうか。あるいは逆に、
「やめちまえ」
と言われたのだろうか。どっちにせよ、この生徒は自分を追い込んだ。それだけは間違いがない。そんなキャプテンを周囲はどう見ていたのか。キャプテンがこんなにも追い込まれていたのか、という覚醒はやはり大きかったはずだ。
 そして、親はどうしていたのか。息子にもう部活をやめなさいと言ったのか。それとも、自分の選んだ道だ、負けるなと言ったのか。そして、学校や顧問に対してはどんなことを言ってきたのか。部活をやめさせてくださいと言ったのか。少しひどすぎませんかと言ったのか。おそらく、親は息子の「夢」というシーソーの反対側に、まさか「命」が乗っているとは思わなかった。
 いったん話を結ぶとすれば、この事件は、親が「見守る」ということの困難さを端的に示した例と思える。
 学校は謝罪してください、と親が言っているらしい。学校が相も変わらずこんな風だから、今回の出来事も「体罰ありやなしや」的、どうしようもない展開になっていく。


 『今ほど悪い日本はない』

 この人が言うと、なんだか納得してしまう。瀬戸内寂聴が『図書新聞』の新年号で語っていることを少し書き抜いておこう。
 瀬戸内寂聴は1922年生まれ。「もう『非常時』が『平常時』だと言えるくらいの時代に生きてきた」。ちなみに
1923年 関東大震災
1925年 治安維持法成立
1931年 満州事変
1932年 五,一五事件
1936年 二,二六事件
である。幼少から青春時代は、まさに「非常時」だ。それでも「楽しかった」。なのに、今の子どもたちはちっとも楽しそうに見えない。「このまま行けばますます悪くなる一方…の日本を(子どもたちが)受け取らなきゃならないと思うとかわいそうでなりません」と言ったあと、いじめの話になっていく。
○(教師は)生徒と直接付き合う時間が少なくなっていると思います
○いじめがあることを「知らなかった」なんて、教師なら言えないよねえ
○でも、知らないなんて平気で言うでしょう
○本気で生徒の話を聞いてあげてないんですよね
○親もそうですよ。顔色も見ていないのかしら。心が細やかじゃないのね
○校長先生も自分の立場を守りたいために、うちの学校にはいじめはないなどと嘘をついたりするじゃないですか
○みっともないですよ
○教育者というのは尊敬される立場にあるっていう自覚がないみたいね
○生徒が教師を尊敬するっていうのは今でも悪くないと思うの

 語り、話し言葉というものはいいなあ、大事だなあ、と思えたインタビューだった。


 ☆☆
私の場合、殴る蹴るを主活動とする「空手部」の顧問でした。どうなんだろう、殴る蹴るをやりながら「キサマァ、たるんどる!」と叫んでまた殴る?ってやりませんでしたねぇ。指導活動をしたことのある人間ならみんな知ってますが、こうすればいい、とうまく助言出来ない時に大体デッカイ声や手が出てしまうんですよね。

 ☆☆
福島の報告、次回になります。帰りのパーキング(東海)で、二人の女の子がたたずんでました。あとで気がつきましたが、ヒッチハイク!だったのです。今どきこんなことをやってるのがいる! 若かりし学生時代(一年生時)のことを思い出しました。懐かしい。乗せてあげればよかった。

 ☆☆
メール(パソコン/携帯)って傑作ですね。「友だちも人事だし」なんて書いてる。いや「先輩」や「上司」との付き合いも大変なんだな、と思ってよく読むとこれが違う。「他人事」が「人事」で変換されてる。
「私は柔軟剤あるから」ってこれは「柔軟性」。携帯は今、打ち込み途中で候補を出してくれますからねえ。カッコよく決めたはずなのに、カッコ悪。

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