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勝負論Ⅲ  実戦教師塾通信三百三十三号

2013-11-13 12:27:46 | 武道
 勝負論Ⅲ

       ~「危険回避(かいひ)」と「勝負回避」~


 1 「参(まい)ってたまるか」


 「勝負事」をしていて困ったことはないだろうか。相手が音(ね)を上げない時のことである。ドリブルで相手を難(なん)なくスルーしたら、相手が逆上(ぎゃくじょう)して殴って(なぐって)来るなんてのもよくあるが、ここは相撲(すもう)で言おう。押し出された相手が、土俵(どひょう)から出されてなお、押し出した向こうの相手を土俵の外に出そうと、技(わざ)を打つような場合だ。または、土俵上に投げられて、自分はすでに倒(たお)れているのに、相手をたぐって倒そうというような場合だ。勝負は終わっているのだが、相手が負けを認めない時だ。困ったものだ。こういうのを「(負け)意地を張る」というのだ。「意地」とはこんな時に使う言葉であって、下らんアナウンサーが、ちゃんとした技の応酬(おうしゅう)に対して「意地の張り合い」などと言ったりする。しかし、そういうものではない。相手が自分の未熟さを承諾(しょうだく)できずに「意地を張る」時、私たちは仕方なく少しばかり「荒療治(あらりょうじ)」をする。
 私自身の経験で言おう。いい大人の入門者である。基本もなんとか身について、少しばかり組み手(くみて:試合と思ってもらっていい)が出来るようになった。そうなれば私は、かかって来るように言う。この男は身体と気分が人一倍大きくはあった。しかし当たり前のことだが隙(すき)だらけである。簡単にみぞおちや顔面(がんめん)に私は突きを入れる。といっても、軽く抜いたり、平手でほっぺたを叩(たた)いたりする程度だ。普通、これで相手はハッとしたり、気がなえたりして終わる。しかし、そうならない時がある。この時がそうであった。私が平手打ちをやれば、相手からもちょうどいい間合い(距離のこと)にあるわけで、相手が平手打ちの意味を分からないか、認めない時、私を簡単に打ち込める。相手がこういう未熟者のとき、結構(けっこう)危ない。こういう時、こういう相手でも「参りました」と思わせるレベルで打ち込まないといけない。仕方なく、鼻血を出してもらったり、お腹をおさえてしゃがみ込んでもらうしかない。そして、
「かなり前から『終わっている』ことを分かってますか」
と講釈(こうしゃく)してあげないといけない。
 私は、柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)宗ノリ(むねのり)が、息子(むすこ)の十兵衛の左目を木刀でつぶしてしまったのを思い出す。柳生の幼少(ようしょう)時の稽古(けいこ)は、親子と言っても容赦(ようしゃ)のないものであった。しかしこの「事故」は、息子の十兵衛が父の再三(さいさん)の「もう終わっている」の忠告も聞かず打ち込んで行った結果なのではないか、と秘(ひそ)かに思っている。
       
       柳生家所蔵『影目録(かげもくろく)』より「山陰」
 ついでながらだが、この時十兵衛は、とっさに左目でなく、木刀の当たらなかった右目をおさえたと言われている。もはや大切なのは左の目ではなく、無事な右の目なのである、と本人が言うのを聞き、父の宗ノリは、
「ただ者ではない」
と思ったという、ウソとかホントか分からぬが、そんな話もある。
 一方、初心者をめった打ちして、
「(指導者に)逆らうとこういう目に会うのだ」
ということを、未だに多くのスポーツ関係者がやっているが、こんなものは「強さ」と「権威(けんい)」を取り違えた臆病者(おくびょうもの)のすることだ。
 またまたついでながら言っとくと、初心者に対する指導者の「謙虚(けんきょ)」な態度は、どんな指導者にも求められる。中学一年生に強引(ごういん)に言い聞かせるようなやつは、遅くも三年生になって復讐(ふくしゅう)される。当たり前だ。先生の、特に多くの「男性の指導者」ってやつは、
「初めになめられたらいかん」
なんて態度でいるから、結局見抜かれ、なめられる。いや、見捨てられる。ここは、
「稽古場(けいこば)は本場所のごとく、本場所は稽古場のごとく」
という双葉山の言葉をよくよく噛みしめるべきだ。


 2 「危険回避」がもたらしたもの

 十兵衛の例で分かるように、武道・格闘技において怪我(けが)はつきものである。スポーツ一般もそうだが、武道・格闘技はその目的が「相手を倒すこと」なのだ。相手を倒すことを目標としながら、でも稽古では相手も自分も怪我のないようにというのは、矛盾(むじゅん)であって、困難なことだ。
 そこで私たちは、用具(武器)を工夫した。あるいは「防具(ぼうぐ)」を採用した。そうしないと、重篤(じゅうとく)な怪我ばかりか、多くの死者を生んだからだ。木刀を竹刀(しない)に変え、防具を身につけた。そして「剣術」が「剣道」となったのは、江戸の後期だ。床に畳を採用したのは講道館(こうどうかん)の嘉納治五郎である。その結果、「柔術(じゅうじゅつ)」が「柔道」となったのは、明治のことだ。
             
 この写真は、大正時代に琉球(沖縄)で使っていたと言われる空手(唐手)の防具である。左側が、糸東流の祖(そ)摩文仁賢和である。この時も防具使用の善し悪し(よしあし)は議論され、あまり使われることはなかったようだ。ちなみに現在は、全空連(全日本空手道連盟)主催(しゅさい)の大会の多くで「メンホー(お面のこと)」が使われ、怪我の防止対策となっている。極真流は、このメンホーをつけないで試合をするが、手による顔面攻撃が「禁じ手」なので、必要がない。
 上達と「危険回避」をするための用具の工夫と防具の採用は、しかし、多くの欠陥(けっかん)を持っていた。相手を打ち砕く殲滅戦(せんめつせん)はともかく、「試合」と名がつくものは、一方か双方(そうほう)で危険を避(さ)けないといけない。それで「ストップ」をかけたり、「手加減(てかげん)」したりする。実は防具の登場によって、この「勝負の見極(みきわ)め」がひどく軽視(けいし)されることになった。何せ、防具でガードした頭を竹刀でなぐられたところで、痛くもかゆくもないのだ。相手が、
「参ってたまるか」
と思うのは道理である。そこで登場するのが、空手で言えば、
「今のは『急所(きゅうしょ)』に当たった(かどうか)」
なる判定である。防具がないと相手の身体に決定的なダメージを与える。しかし、防具があることで、相手は「負け」を分からない。
「参ってたまるか」
と思っている相手との試合は、ひどく汚い(きたない)上に、みっともない様相(ようそう)となる。その結果、頻繁(ひんぱん)な、
「やめ!」
の合図(あいず)が入るようになる。相撲の人気が衰(おとろ)えない原因のひとつは、この、
「やめ!」
がないからと思える。格闘技で勝負が区切れなく最後まで続くものを、私も相撲以外に知らない。多くの武道・格闘技が、「勝負の流れ」とは無縁(むえん)なところで展開されている。
 良くないことに、この、
「やめ!」
を、当たり前のことだが、試合当事者の知らない「審判(しんぱん)」がやっている。試合・大会が肥大化(ひだいか)し、どこでも通じる一定の規格(きかく)が必要となったからだ。その結果、「資格を必要とする」審判が登場する。昔、兵法・武道の「やめ!」は、
「勝負あった!」
という、自分の「信頼がおける」指導者の声だった。

 私は、ケンカを止められた生徒の言う、
「テメエは黙ってろ!」
という言葉を思い出してしまう。止める時機を誤るか、この生徒から信頼されていないという事実がないと、この言葉が出てこないからだ。


 ☆☆
「危険回避」は、いいことばかりではないのです。この言葉の含み(ふくみ)を理解してもらいたいです。武道におけるこの「危険回避の道」は、さらに多くの過ち(あやまち)をおかします。次回で「強さとはなにか」まで書けるといいな、と思ってます。引き続き読んでいただきたいです。この「武道」でも、みなさんけっこう読んでくださって嬉しいです。

 ☆☆
それにしても小泉さん、すごいですねえ。郵政民営化や規制緩和(かんわ)やらで、激しい合理化とすごい格差の日本を生んだ張本人(ちょうほんにん)です。でも、人々の心をつかむものを今でも持っているんですねえ。あの人は今、
「『経済』は国民の心をつかんでいない」
と言っているんですねえ。そして、脱原発党をたちあげるんじゃだめだ、
「ひとりでもやる、という気でいないとだめだ」
と言う。感心しますね。

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