民族差別
~大阪なおみ選手から「民族差別」を考える~
☆初めに☆
大阪なおみが「日本人」であることを知った時、私たちはある種の衝撃を受けたはずです。出生は日本であっても、幼少でアメリカに移った彼女は、拙(つたな)い日本語しか出来ませんでした。私たちには想像も及ばない「自分探し」を、彼女がしていたことは間違いありません。先日、その彼女は決勝戦までの間に、7枚のマスクをしました。
一方、NBAの八村塁選手は生まれも育ちも日本で、日本の言葉で生活が出来たわけです。しかし彼が小さかった頃(青春時代も)、彼が「英語を話す転入生でなかった」ことで受けた嫌な思いも多かったはずです。相手は子どもです。「どうして日本語?」という違和感を、彼ら(私たち)は肌の色の違いとともに残酷な言葉で表現するからです。
しかし二人が提出する問題に、私たちは真剣さを欠いた思いしか持てない気がします。彼らが差し出す「黒人差別」問題は、日本で距離があるからです。でなければ、「スポーツに政治を持ち込むな」みたいな的外れの考えが出て来るとは思えません。水泳競技に黒人がいないことを、こういう人たちは気がつきません。スポーツはいつも「政治的フィルター」を通過しています。
1 在日(朝鮮人)
無理やり連れて来られる、あるいは豊かな生活に憧(あこが)れてやって来る、その際自分の言語を捨てるか奪われる。経済的文化的収奪に伴って、必ずこれらの差別は行われる。「黒人差別」は「民族差別」ではない。「人種差別」だ。「黒人」というカテゴリーが、ひとつの「民族」でくくれないからである。大阪なおみと八村塁、とりわけ大阪なおみが提出した問題を、私たちは我がこととして受け止められない気がする。だからここで、黒人差別に似た歴史的文化的背景を持つ「民族差別」を、私たちは考えることが必要で、かつ出来ると思った。
「朝鮮人差別」である。
真っ先に思い浮かぶのが、1958年に起きた都立小松川高校「女子生徒殺人事件」である。息を吹き返した被害者を、犯人の李珍宇(イジヌ)は再びその首を絞めて殺した。そして、警察や新聞社を通じて被害者所持品の櫛を送りつけ、あるいは電話で「どこを探してるんだ」と彼女の遺体がある場所を教える。やがて、彼女は高校の屋上で発見されるのである。実はこの四カ月前にも、李珍宇は通りがかりの23歳の賄(まかない)婦を殺していた。冷酷無比で残酷な殺人犯として、当時の日本社会が震撼とした。この時未成年だった李珍宇は、少年法の最高刑が無期刑だったにも関わらず、死刑を言い渡される。
やがて事件の全貌とともに、李珍宇の周辺が明らかになる。在日の暮らす場所は、貧しさに打ちのめされていた。父は朝早くから仕事に出かけ、夜遅く帰る時はすでに安酒で飲んだくれており、そのまま死ぬように眠った。母は重度の聾唖(ろうあ)者だった。つまり李珍宇は、故郷の言葉を聞かずに育った。彼はこの時、窃盗(せっとう)の常習犯で保護観察の処分を受けていた。自宅のあばら家に積まれた本は、都内の図書館から盗んだものだった。ギリシャ哲学に始まり、サルトル、ドストエフスキー、ヘミングウェイ、そしてヘーゲル、マルクスまで、53冊に及んでいた。
中卒の李珍宇は成績優秀だったが、朝鮮人という理由で日立製作所は採用を断っていた。これらのことに触発され、李珍宇の減刑願い/支援活動が大きく起こる。その象徴と言えるものが、被害者遺族の発言である。
「これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪をおかしてきました。それを考えると娘がこうなったからといって、恨(うら)む筋あいはありません。もしも珍宇君が減刑になって出所したら、うちの会社にひきとりましょう」
よく「被害者や遺族の気持ちを考えないのか」と憤(いきどお)る人がいるが、この遺族の発言を目にすると、本当に良く考えないといけない、と私も思う。
2 朝鮮人として生きる
私たちの世代は、今より在日が近い存在だったような気がする。「朝鮮」というエリアがあったし、私の家も劣らずそうだったが、そこには吹き溜まりのような生活があった。家に遊びに行くと、父親は「分からない言葉」を話した。良く遊んだ友人とは、高校時代まで交流があった。オレたちは身分証明書を持ち歩かないといけないんだ、と彼はそれをみせてくれた。そこには「本名」が書かれていた。成績優秀だった彼は、私立大学では最大級の難関と言われた早稲田の政経に入学した。でもオレは就職のために行くんじゃない勉強しに行くんだ、彼は言った。朝鮮人が就職できるとこはたかが知れてる、と。
事件が起きるまで、金子鎮宇(しずお)の「本名」が李珍宇であることを、友人は誰一人として知らなかった。多くの在日がそうだったように、彼は日本人を演じていた。しかしもうひとり、日本人を演じた女性がここに登場する。朴壽南(パクスナン)は「国語」(日本語だ)でクラス一番をとるような、同じく成績優秀な生徒だった。予科練にあこがれたあげく自殺する兄を持った彼女は、兄の影に李珍宇を見いだす。獄中の李と手紙でのやり取りが始まる。李は彼女のことを「姉さん」と言う。
朝鮮語を勉強し民族教育を受けた朴壽南は、次第に日本人化された自分に気づき、そこから脱却し「祖国」を見いだす。李珍宇が「朝鮮人として生きる」ことに気付いていたら、こんな事件は起こさなかったと思う。彼女は「もしあなたが、朝鮮人学校に行ってたら(朝鮮人の誇りを持てた)」と書くのだ。しかし李は違う。朝鮮人と聞いただけで嫌悪を感じる。「その『朝鮮人』という言葉に含まれる『みじめさ』があるから」だ。自分たちは「朝鮮人に生まれる」のではなく「朝鮮人になるのだ」と李は言う。一方は「誇らしく」他方は「みじめに」、二人は全く反対の言い方で「朝鮮人として生きる」と言っているのだ。
ヘイトスピーチを引き合いに出すまでもない。ある時ひょっこり、私たちのそばに「チョウセン」が顔を出す。私はまず、東日本大震災の時に何の前触れもなく現れた、「朝鮮人による泥棒の横行」を思い出す。街のいさかいで、相手から「オマエ、朝鮮人だろう」とからまれたという話も、やはり忘れた頃に耳にする。その時、
「朝鮮人だとしたら、どうだと言うんだ?」
と言えるのは、私たち「日本人」の中に何人いるのだろうか。
☆後記☆
李珍宇の裁判のことで、いくつか書いておかないといけません。警察の実況検分によると、第一の被害者である賄婦はスラックスが裂けていた。さて、彼女の遺体を最初に発見したのは、彼女の婚約者でした。彼の証言によれば、発見時にスラックスは正常だったというのです。ふたつの事件ともに強姦殺人として処理されますが、李珍宇は姦淫は認めるも「(最後まで)していない」というもので、これは認定されるのです。繰り返し警察に電話したのは「異常な自己顕示欲」ではない、本当に「自分がやったのか確認したかった」と、李珍宇は言う。貴重な公判記録と思えます。
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庭の金木犀が満開です。家中、そして前の道路まで芳しい! 台風のおかげで見納めですが、秋はいいですね。昨日から福島です。新酒を買って来ようと思います。まだ無理か?
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