足利・下
☆銘菓/そば☆
「名物」に旨い物なし、でも「銘菓」となれば、裏打ちされる歴史がある。両毛の駅を降りて線路沿いに、片側二車線の道を歩くと、ほどなく細い道に通じるY字路に出る。もう、多くの足利市民は知らないと思うが、この細い道がかつての銀座通りだ。町の賑わいは太い道の方にあって、かつての銀座通りは多くがシャッターを下ろしていた。合流地点近くの踏切辺りに、足利銘菓『古印最中』はあったはずだが姿なく、踏切も隧道に代わっていた。仕方なく検索すると、だいぶ離れた広い道沿いに案内された。間口も奥行きも大きくなった店に入ると、そこに『古印最中』はあった。
前は助戸にあったはずですが、と店員さんに声をかける。こちらに引っ越して、今は姉妹店もあるんです、という答だった。確かに、少し離れたところ同じ屋号のお店があった。しかし、そこに『古印最中』はない。あったのは『古銭最中』だ。ネーミングに分店の事情が容易に想像できる。「こ〇んもなか」。〇の中に入るひと文字の違いに、お家騒動が見える。何より、姉妹店に『古印最中』は置いてないんだから。のれん分けではない、跡継ぎか販売戦略でもめたと考えるのが道理だろう。小豆をしっかり残した粒あんの程よい甘み、『古印最中』は懐かしい確かな味がした。
もうひとつ。名店『一茶庵』。本店は足利だ。このそばを初めて食したのは大学時代。宇都宮の市内にうまいそば屋があると教えたのは、いつも面倒ばかりかけていた林学科の先輩。説明されたように、東武の賑わいから離れた閑静なエリアまで出向いた。言われてはいたが、お屋敷と思しき門構えと手入れされた庭にたじろぐ。敷石を歩いて玄関の高い敷居を越えて声を掛けると、奥から中居さん!が案内に現れる。大きい座敷に客は、私たった一人だった。学生の自分でも食べられる、極めて庶民的単価なのだ。ざるそばを頼んだと記憶している。それっぽっち頼むことにずい分躊躇したが、中居さんは静かだ。見えないずっと奥の厨房で、たった一人の客の一人前のそばのために大量の湯が使われ、冷たい水で引きしめられるのである。ソバの実を惜しげもなく磨いたのだろう、真っ白なそばが盛られて出てきた。若かったお腹には少なすぎるはずなのだが、濃厚な香りとのど元を過ぎる腰のあるソバが、お腹で満足感と共に膨らんでいく。千葉県で先生をするようになって間もないある日、柏駅のすぐそばに『一茶庵』を見つけた! 宇都宮と違い普通のそば店だったが、期待を胸に入店した。それから50年経つが、駅ビル内に移転した後も含め、行ったのは3回ほどしかない。宇都宮の味には遠かった。大昔のその時、足利の従弟に宇都宮の味を報告すると、本店にかなうわけがないよ、と笑ったのを覚えている。その本店に出向いたわけである。二回。一回目はお昼を少し回ったあたり。店の入り口に「売切れ」という貼り紙を見つけた。そばが無くなったら閉店、というやり方のようだ。次の日、開店間もない時間を見計らって出向く。しかし、店の入り口には信じられない長蛇の列。待つことしかやることのない行列が、こっちを見る。『新参者』(東野圭吾)のたい焼き屋を思い出す。並んでも「ここまで」と札止めされる、あれです。諦めました。**ネットで検索したら、宇都宮一茶庵は、大体記憶通りのようです。表の佇まいが少し違ってました。
☆足利学校/大日様☆
足利学校が地元から愛されていたのかどうか、はなはだ疑わしい。従弟から行こうと誘われたり、大人から行ってこいと促された記憶が全くない。整備されて公開されたのもつい最近のこと。一応行ってみました。
京都を思わせる空気も感じました。水戸の弘道館や岡山の閑谷学校と共に、日本教育の歴史的建造物だそうです。以上。って感じなんです。私には毎日が縁日のようだった「大日様」(正称『鑁阿寺(ばんなじ)』)が、大事。
参道の正面に入口。四方を巡るお濠には、錦鯉がのんびり泳いでます。ここは足利尊氏の屋敷跡です。ずい分、賑わいが変わったと思いました。ここは子どもたちの遊び場で、そばで大人も笑っている場所でした。地元の賑わいが凝縮した場所でした。奥の広場でも木のたもとでも、子どもがいっぱい遊んでいました。そんな気配もありますが、奥の広場は車のための駐車場となっていたし、何より、わざわざここまで来たという観光客の顔が歩いてました。境内の空気に浸るというより、観る・歩くという目的が満ちています。憩いの場というわけにもいかないようです。いや、市民や商店の努力が集まって、賑わいが守られて来たのでしょう。郷愁を押し付けてはなりません。確かに今は、鎌倉に来たという錯覚を覚えたりするのです。実際、一茶庵のそばを逃がした一日目、参道沿いのわらび餅をお昼にしましたが、出店は鎌倉のお店だった。食事処はみんな、しゃれたカフェスタイルの店が多く、熱い日差しの下で順番を待っています。二日目のお昼は、ブティックも兼ねたカフェでチキンサンドを食べました。そうか、ここって足利だったっけと思い直す、手の入った街並みでした。自分が好きだった足利ではない、と思うのがいけないのです。
☆菩提寺☆
実家から少し行ったところに、琴寄一族の菩提寺・龍泉寺があります。山門を入って右手に、手水処があります。水を汲んだ桶を持って転んで、情けなさに泣いて……泣いた場所。生きているうちは、もう来ないかもしれません。しっかり挨拶をしました。頑張ってます/身体に気を付けます/見守りください。
胸を張ってお二人に会えるよう頑張ってます、と両親に誓いました。
☆後記☆
実家近くの踏切です。昔は、つい手前まで町の賑わいがあって、突然こんな景色になるのです。今もこうなのか、と思った次第です。吸い込まれそうにまっすぐの線路。少年時代に戻されそうです。
先日、爽やかな天気に誘われてバイクを転がしました。向かいからやって来たバイクの若者が手を挙げます。私も手を挙げます。一年間で数日しかないバイク日和。気持ちいいね~🏍
さて、明日は節目の50回「うさぎとカメ」です。いつも通り、明日用の記事をお届けします。✊✌✋もありますよ~
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