実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

新顔 実戦教師塾通信八百八十四号

2023-10-27 11:35:19 | 戦後/昭和

新顔

 ~LRTに乗る~

 

 ☆初めに☆

今回の宇都宮行きは、営業運転を始めたLRT(ライトレールトランジット)が目的ではありません。前日に大切な用があったからです。それは次週に譲ってしまうのですが、やっばり思いっきり宇都宮を満喫してしまいました。もちろん、大学にも寄って来ました。「もうあそこには何もないよ」(黒井千次『五月巡歴』)と分かっているのですが。

早くも紅葉が始まっていた宇都宮大学構内です。秋の日差しをまぶしそうにする銀杏。いつも三百人が集まったこの場所。新図書館前は、集会にうってつけの場所でした。正門を過ぎると右手に、名物のフランス式庭園です。

 

 ☆JR駅東口☆

JRの駅は基本こそ変わってないが、新幹線の停車駅となって高架をもうひとつ重ねました。大きくなったなあ。

LRTの営業運転開始は8月26日。それから二か月を過ぎようとする月曜日だというのに、駅東口の乗り場には長蛇の列でした。乗客の様子から察するに、半分観光・半分住民というあたりでしょう。ワンステップという構造はバスと同じ段差で、乗降もパスモを使って、ワンマンの案内で利用。駅というより停留所。近くにあったフェンスは、すぐになくなる。道路になじむ姿は、近未来的なバス、という印象です。バスと違うのは、専用レーンのため渋滞がないこと。スピードでは絶対的に優位な車を、音もなく抜いていきます。

JRと東武の間の栄えたエリアを、私たちは「宇都宮」と呼んでいました。JR駅の東口と言えば、昔もこのように引き込み線はたくさんありましたが、その向こうを、夜は薄暗い中に住宅が並んでいました。東側に行くためには、西口から出て東に通じるガードを遠回りしないといけません。東口はなかった。ホームから線路上にある駅員たちだけの通路の「近道」をサラリーマンたちが使うのは、暗黙の了解でした。そこを格好の「キセル」(もう死語となりました)の手段として、私たちは有効活用しました。たまに駅員にバレて追いかけられます。もちろん、捕まりません。

 

 ☆新たな街づくり☆

LRTは市街を抜け、郊外から田園地帯に移ります。どうも目抜き通りよりひとつ横をルートに設定してあるようです。新しい人の流れと、新たなモール街の形成も目論んでいるのでしょうか。郊外にいきなり現れた、大きな釣り堀の横を通った時のことです。「こんなとこに釣り堀あったっけ?」「作ったみたいだよ」という会話を耳にしました。私の勘ぐりも、まんざら外れてなさそう。それにしても市街地から田園へ、景観の変化は何故か新鮮でした。

私には馴染みの123号線をLRTは迂回するように進んで、やがて鬼怒川を渡ります。寮からここまで5キロくらいだったのかな、夜中に何人かで、いつも「その日のため」に体力を養いました。LRTが鬼怒川を渡ったあと、上りに乗り換え。停留所の辺りは香り立つような緑と青い空に見守られるようなエリアで、案内にある見どころを歩きたくなるのが不思議。高校生は学校のはずですが、そのくらいの女の子が停留所に走って来ます。でも、電車には乗らず写真を撮って、どこかに帰っていく。この写真の丘陵の向こうには、男体山はじめ日光連山が隠れています。

そして、市街地に戻ります。車が一気に増えます。

宇都宮大学キャンパス前という停留所は、なんと工学部前でした。在学中は一度も訪ねたことがなかったのに。

 

 ☆10,21から53年☆

たまたま市内循環バスという小ぶりのバスに乗ったら、昔よく歩いた界隈を逐一確認するようなコースだった。二荒山神社の裏手は狭い道なのです。もうお昼をだいぶ回ったはずなのに、その狭い道をひしめき合うようにたくさんの人たちがいました。竹下通りのように狭い道を、同じく竹下通りのような込み合いを見せている。しかも、初めに断ったように、この日は月曜日。なんと、昔はなかった餃子通りとかいうものが出来たようで、そこにたくさんの行列が出来てる。学生時代、それでも一度ぐらいはここに来て食べたとは思います。でも、大騒ぎするようなものではない。半ば呆れて、バスの中から見てました。写真は夜の、JRの方です。ここでも行列でした。前回の餃子消費地日本一って、静岡でしたっけか。でも、首位奪回というよりは、地元に愛されてるということなのでしょう。

夜はJR構内のスタバで、ミストコーヒーを買いました。どちらからいらっしゃいました? 今からお帰りですか? 宿泊? ならば宇都宮の夜をゆっくりお過ごしください、と笑顔の店員さんがたくさん話しかけるのです。

「そんな暗いところで本読んでると、目悪くするよ」

あっという間に50年をタイムスリップしてしまう。また書いてしまうのですが、疲弊しきった私がしけこんだオリオン通りの喫茶「ヤマト」。朝の開店間もない店を掃除しながら、階段下の暗いスペースにいた私を見つけて声を掛けてくれた店員さん。素敵なお姉さんも、今はきっと喜寿になる頃なのです。

市内を流れる田川。JR駅前交差点は、宮の橋が川に架かります。朝、高校生が川沿いを歩いていきます。バスか電車を使っている高校生なのでしょう、一定のインターバルで群れを成していくのです。

同じく50年前に、当時の首相・佐藤栄作の一行がこの交差点を渡りました。その時、信号は延々と赤のままだった。私たちデモ隊は、進路を阻まれたわけです。今は50年後の10月。あの新宿闘争の10,21から数えると55年です。そして、1943年の10,21は、学徒出陣。神宮外苑で見送るみんな泣いてたよ、誰も笑ってなかったと、この日のことを母親は毎年語りました。その25年後が新宿だった。まだ「戦後」が生々しい時だったのですね。だって、新宿からは、55年が過ぎたのです。宇都宮の私は、どこまでもとりとめがありません。

 

 ☆後記☆

今年は暖冬だとか。毎日暑いくらいの日が続きます。紅葉も少し遅めだそうです🍁

先週の子ども食堂「うさぎとカメ」は、新米で炊き込みご飯。柔らかめだったけど、美味しいのが出来ました🍚

3歳と1歳と4ヶ月?の子連れのお父さん、背中で火のついたように泣く赤ちゃんでした。アタシが代わってあげたかった、とは私たちのスタッフ。終わってからやって来たお母さんとひとりの子。お菓子だけ残っていました。そばにいた、ふるさと協議会の人が、もらってけよ、と無愛想な声で優しく。皆さん、来月もよろしく~✋

ガザのことです。少し軌道修正しつつあるというものの、アメリカを筆頭にヨーロッパも馬脚を露しましたね。近々レポートします。


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