チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

宗派の役職

2011年09月18日 12時33分11秒 | 日記
先日能登で「月見の宴」の司会をしたとき
その土地の曹洞宗総持寺祖院のお坊さん達に
読経と法話をお願いした
雲水さんが4人老師が1人であと法話
というプログラム

始まる前にご挨拶したら
正確には「知客」しかと呼んで欲しいとおっしゃられた
無教養のチャコちゃん先生
「シカー知客ーというお役はどういう役職ですか?」
とお聞きしたら
曹洞宗の場合入門した人たちの修行を助ける仕事と
外部方の来客の接待
さらに広報の役目もするとおっしゃった

役職の順序は通常は第4位
しかし他のお寺では住職の次の位に位置することもあると

ついでに
寺もちは住職
宗派によって法王、老師、管長、菅院、門首、御前、方丈、長老
と呼び天台宗や真言宗では1000日回峰した人を阿闍梨と呼ぶ

「坊主」とか「和尚さん」でもいいのだそうだ
面と向かってどう呼んだらいいのか本当に無学は困る

そして後で調べたら
まあなんと呼び方の多いこと
これでは宗派を知ることそして其処の呼び名が正確にわかるまで
時間がかかる

尼さんでも寺を持っている人は住職
チャコちゃん先生は尼僧に懇意な方がおられるが
「あんじゅさん」とお呼びしている
ときとして宗名を呼ぶこともある
たしなめられたことは無い

小さな寺は和尚さん
大きな寺は老師といえばまあ間違いがないらしい

高校の同級生に坊主が居る
天台宗だから法印とか座主、執行、和尚と呼ぶべきなのだが
「オイ坊主」と呼んでしまっている
年代から言って「和尚」と呼んでやろうかナ

お陰でイロイロ勉強が出来た

台湾ではほとんど「老師」デオーケーなのよね

ついでに神社では宮司、禰宜、権禰宜、出仕で
お寺のようにややこしくなくて良い
建物と一緒すっきり分かり易い

ひっくるめて神官さんと呼んでいる

今日は熊野神社の秋祭り
神官さんたちの晴れ姿が清楚で美しい
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トラウマ

2011年09月17日 10時17分41秒 | 日記
努力という言葉に全く縁のないチャコちゃん先生
しかし昨日は「努力賞」を戴いた
これは
「これから努力というものをしなさいね」
という戒めの賞なのだと肝に銘じる

努力をしないから
なんでも表層の理解で終わる
歌詞なども一通り覚えればそれで終わり
だから舞台に立つと
すっかり抜け落ちる
仕方がないので作詞をする
それで事たれりと思っているところが浅はか

音符と言葉は親子の関係だからその言葉の発声はとても大切だ
師にはそのように諭されるが
生まれつきの泥縄性格はなかなか直らない

多分何回も舞台に出て作詞しているということは
根本的に泥縄性格を直しなさいということだと思う
その修行に声楽をやっているのだな
と今回はじめて気がついた

同士の1人は
「完璧がダメ」
というトラウマがあるという
だから伴奏あわせでは師に
「もう完璧ね」といわれると
本番で何処かをミスしないと落ち着かないのだそうだ

「多分完璧でいいんだよ」
ということを声楽で学んでいるのだと思う
としみじみ言う

人はいろんなトラウマを持っている数知れないほどのトラウマを
この一生はそのトラウマを一つ一つ消していくことにあるのかもしれない

人は幸せになるために生きているのに
幸せになり過ぎてはいけない
上手になってはいけない
人より目立ってはいけない
ライトを浴びてはいけない
金持ちになってはいけない
より美しくなってはいけない

などなど色んなトラウマを自分で勝手に拵えている
其れをつぶすには
有名になってはいけないと思う気持ちが強かったら
有名になることに精進すると
いつの間にか「有名になりたい」という気持ちも無くなっていく

存在しているだけで人目を引く友人も
この声楽の舞台であまりにも見事なのが怖くて声楽をやめてしまった
自分を消したいと思うので暗い装いしかしない

そういう彼女も自分のトラウマに気がついて
その自分自身の存在を受け入れるようになったら
人の輪にスーと溶け込むようになり
今では逆に目立たなくなっている

トラウマが少なくなるにつれ人はのびのびと陽気で穏やかになっていくのだろう

努力をしてはいけないというトラウマを持っているのかねえ
チャコちゃん先生は
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趣味を持つ

2011年09月15日 08時55分59秒 | 日記
「趣味を持つっていいわね」
とつくづくおっしゃるサチコさん
「そうあなただってあるでしょう?陶芸なんかやっていたじゃあないの」
「今はね掃除だわね」
「立派立派」

この声楽の発表会にチャコちゃん先生がイロイロと工夫を凝らし
着るものをアレコレ考えそれに合うヘアーやメイクを相談しているので
「趣味に時間とお金を使うことがとっても素敵」
とサチコさんは言う

チャコちゃん先生の場合
お腹を切腹していて声の通りが悪い
そのため長い講演などでは声がかれてしまう
しかも気管支が弱くて声がかれてくると咳ばかり出る
その治療法としてボイストレーニングをはじめたのだが
いつの間にか声楽に趣旨変え

しかしお腹を切っているため声がお腹につながらない
いくら精進してもなかなか思うとおりの声が出ない
でも一年一度の発表会はお祭り気分で参加

どうせヘタだしいらしている方のお耳を汚すので
せめて衣装に凝ろうという主義
目で楽しんでいただく

そのために振袖もずいぶん着たが
最近はオペラのアリアなども歌うようになり洋服が多い

昨日はその洋服を持ち込んで
ヘアメイクのリハーサル
うふふふというほど素敵な装いが出来た

サチコサンもチャコちゃん先生も撮影現場で一緒に仕事をした仲なので
チャコちゃん先生そのものがもうモデルになり
其れを中谷比佐子が振り付けしている様相
二人でイロイロとチャコちゃん先生をこねくり回す

上着が3センチ長い
襟の開き具合が少し狭い
などなどその場で二人してお針とはさみを持つ
チャコちゃん先生はそちらも不得意なので
もっぱらサチコさん主導

どうせ素人
でも舞台に上がるのだから楽しむ
サチコさんはそれがいいなあとしきりに言う

でもこの人人形町生まれの生粋の江戸っ子
シャイなんだ
陶芸も書も玄人はだしなのに絶対発表をしない

下町っ子なので日本舞踊も三味線もなかなか
だのに其れを隠す

「しかしこの年になると自分を自分が楽しめるっていいなあ」
と思うのだそうだ
これが出来るのは田舎者だよ
チャコちゃん先生も田舎芝居をやって居るようなものだから

でも人生は生きているうちに楽しまなければと思う
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年中行事

2011年09月14日 10時02分58秒 | 日記
若葉輝く頃かボツボツ葉っぱの色が変わるころ
チャコちゃん先生は「歯」に問題を起こす

出張やロケ撮影などで移動に体を使い
その間声楽の発表会も迫り伴奏あわせなどなど
体を酷使している
そうしたら「やはり」まず奥歯の歯茎が痛いの何の

このままほっておくと腫れて口もあけられない
と歯医者に予約
歯ぐきが年齢とともにやせて肉の中に埋もれていた歯の土台が
デパってきて其れがアチコチに触り痛いのだそうだ
その歯を抜いてスッキリ

ところがどっこい
昨日昼食のときいきなり歯が抜けた
「まったくヤブさんなんだから」
とタナカ、チャコちゃん先生の歯医者をやっつける

昨日は伴奏あわせ前歯一本がすっかり無いのだから
きっと言葉も声も漏れるでしょう
急ぎ予約
ヤブさまいささかの動じる気配も無く
昼休みを30分早く切り上げて治療しましょうといってくれた

タナカ
「そんなの昨日見たとき一緒に他の歯も見ればいいのに」
「そうですよねたいていの歯医者さんはそうするんではないですか」
とセキドまで同調する

なんとこの歯医者さんチャコちゃん先生とは30年
毎年2回は通っているので代えるのも億劫
「そんな問題ではないと思うけどなあ」
「つれづれには名医の奥様もいらっしゃるでしょう?」

追求はなはだしい

「先生16日の本番まで持たせてください」
応急処置は終わった
この医院は両国にあるのだが
どういうわけかこの駅に降りるときはいつも場所中
ど派手なピンクなどの浴衣を着た力士が
雪駄をずるずる引きずって歩いている
すれ違うと鬢付け油の香りがなにやら古めかしい

その香りと派手な浴衣のアンバランスも両国の姿

「硬いものは食べないでください」
いつも言われるのだが
硬いもの大好きせんべ、落花生、ナッツ類
これはなかなかやめられない

とにかく一応の応急処置は終わった
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黄金色と能登上布

2011年09月12日 11時38分54秒 | 日記
能登半島のコシヒカリは黄金色に輝いていた
穂が重そうに頭をたれていた
昔の人は言った
「稔るほど頭をたれる稲穂かな」
ほんとだなあーー

能登上布の取材をする
外国からの紡績麻糸で織っているが
細やかなそして単純な絣が美しい

30年前に取材に行ったときには組合もあったが
今はただ一軒 山崎織物工房のみ
10年前に「もう終わりかもしれない」とおっしゃっていたが
息子さんが後をついで7年

「ちょまも植えてみたんですよ」
ととても前向き
嬉しい

石川県の指定無形文化財にも指定されているので
この技術をつないで言ってほしいとつくづく思う
笑顔の美しい温かい人柄で
これからいい上布が出来るのだろうと期待も弾む

中能登地方は古代から麻の栽培が盛んで
糸を績む人もたくさんいた
しかしあの昭和20年GHQの麻の栽培禁止法が成立したあと
一気に能登上布の生産は落ちた

日本の人々は「夏は麻を着る」
これが当たり前だったのに
「夏も化学繊維のものを着る」と石油礼賛になった

それはならじと
町を揚げて能登上布の伝承に取り組み始めた
「能登上布会館」では
高齢者が楽しそうに能登上布を織っている
本当に楽しそうだ
もちろんここでも購入することが出来る

「60歳から織りはじめたんですよ」
という方の手元には能登上布独特の亀甲絣が織り出されている

「これからは稲刈りが始まるのでしばし休憩です」

急がずでも集中して楽しく織り続ける人たちの笑顔が素敵

しかし黄金色の波も続かずところどころ土が掘り返され
そのあとに大きなショッピングセンターが立つ予定だという

街道には自分達で育てた野菜や果物を直販している場所もあり
「流通」というのがハッキリ見直されつつあるのだと確信する

勘に頼って「寿司屋」に行く
美味しかっただいいちネタが新鮮
聞くと東京の吉祥寺で修行した大将で江戸前、男っぷりも
玉を頼むと目の前で焼いてくれてこれがまた旨い

何より水の美味しさに感嘆していたら
毎早朝山の上まで行って山水を汲んでくるのだという
「お酒もおいしい?」
「もちろんです」
その水で米も美味しく織りも美しい

田んぼを潰して宅地にすれば水の性質も変ると
大将は顔を曇らせていた
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テレヴィの運命

2011年09月09日 00時09分30秒 | 日記
地デ化によってNHKとの放送契約が9万件も減ったのだそうだ
日本国民はテレヴィを持つと放送法によって
NHkと契約をしなければならないんですってね

アナログ放送修了とともに
テレヴィ生活とおさらばする人がこんなにたくさんいたのかと
何だか新鮮な感動

節電が叫ばれている今
テレヴィは12時から朝5時までお休みにするといいわね
いつ頃からかしら
24時間営業になっているのは
むかし転寝していたらテレヴィから君が代が聞こえ
画面に筋が入っておやすみなさい

そういうことでいいのではないかしら
といっていたら
「ダメよ長く病に倒れている人はテレヴィは友だちなの」
と抗議が入る

ニュースも何だか偏向しているようで見たくないし
バラエテイなど興味ない
仲間内でふざけているだけだし
そうすると余り見るもの無いの

好きな番組の筆頭は「相棒」
今お休みなのでテレヴィを見る時間が一気に少なくなる

来週で終わるらしいが
「陽はまたのぼる」もテーマがおもしろいし
役者の真剣さが見ていて気持ちいい
暫く六角さんって分からなかったが
眼鏡を取った演技で、あの気色悪い意地悪さがいい

「科捜研の女」もいい
本と役者ですな
最も好き嫌いは人の常

今日は9万人ものひとがNHkとの契約を修了したことに
何かとても感慨深いものがある

この勢いで朝日とか読売、毎日など偏向マスコミも
国民の審判を仰ぐときがくる
最もいまだにうちは2紙取っているけどーーー
もう夕刊などいらないのではないか知らん

司法試験を受ける人も激変したみたい
変な弁護仕上がりの政治家を観ていると
弁護士という職業に疑問を持つのも無理は無い

こうして既存のものがイロイロと淘汰されていく
淘汰は始まったばかり
マダマダ変化が起きると思う
とんでもない変化が起きる
そうしないといい世の中にならないカラーー

見ざる、言わざる、聞かざる
日光の三ザルのような生活をしていたのだなあと
つくづく思う今日このころ
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謙譲って?

2011年09月06日 11時14分32秒 | 日記
なんとも思わせぶりの台風12号であった
今回も
「東京は絶対避けるから」
とすごい預言者のチャコちゃん先生だ!

しかし毎日台風は台風はと警戒警報を鳴り響かせていたなあ
テレヴィはーー

一週間近く滞在し多くの犠牲者を出している
さっと通り過ぎて「台風一過」とならないことが
悩ましい

この原因は南の高気圧と北の低気圧の力が均等されているからだという
つまり二人は日本列島を挟んでお互いに譲り合っていたのか知らん
にらみ合っていればどちらかが勝つのだが
譲り合うとなかなか結末に行かない

よくお母さん達が
「どうぞ」
「いえあなたがお先にどうぞ」
と入り口で譲り合っていて後ろに列が出来てしまうこともよくあった

こういうのを謙譲の美徳と思っている人が居るとしたら
おめでたい
優柔不断のために周りが迷惑しているだけ

もう一つお母さん達のはき違いの謙譲の美徳に
「お顔の艶がよくてお元気そうね若々しい」
と褒めると
「とんでもない頬紅つけているからよ」
なんて手の内を明かす

「ありがとう」といえない
他人のやってくれたことに「ありがとう」
といえる人が自分が褒められると否定する

先日もナイト・コスモスの出席者で
可愛くて前向きな素敵な83歳のみよこさんに
みんなが「すてきねえ」「本当に可愛い」
「アラ私なんてたんなるおばあさんよ」
と応えたとたんみんなからいっせいにブーイング

「だめですよ否定したら」
「みんな心から言ってるんですよ」
「そういえば孫からもおばあちゃんような年の取り方をしたい」
とメールがきたのに
「おばあちゃんはちっとも素敵じゃあないわ」
とメールを打ち返したのだという

またみんなが
「お孫さんがかわいそうありがとうとどうして言えないですか」
とまた一斉抗議

でもみよこさんの時代は褒められたら一旦はお返しする
という教育だったのではないかしら
其れが「謙譲」だと考えられた世代だ

「つまらないものですが」
とお土産を渡すのもそう

褒められたら素直に喜びその喜びを廻す時代になっている
そしてみんなが喜びを共有する

ナイト・コスモズはこんな素敵な人がいっぱい
手作りの食事を味合うのは
やはり「同じ釜の飯」というかんかくがうまれるのだなあと思う

思わせぶりな台風も今後は態度をハッキリしてほしい
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大難が小難

2011年09月03日 11時05分18秒 | 日記
ここのところわがスタッフの1人が小さなミスを頻繁にする
そのミスは住所変更が届いたのに
変更を忘れもとの住所に手紙を送る
「これはこう代えて」
「ハイ」
といっていながら変わっていない

使っていたものを置きっぱなし
「伝えてほしい」
といわれたことを伝えていない

チャコちゃん先生はそういうミスを暫く観察している
1回くらいのミスは知らん振り
しかし続くと緊張する

それは大難を起こす前のお知らせだと思うから
自分ではミスの連続は気が付かないことが多い
1回のミス素通り
2回目のミス まいいか
3回のミスアアまたやっちゃった
4回目 わたしはだめだなあと自分を痛めつける
5回はもう無いいきなり大きなミスになる

ミスは誰でもやる
しかしミスに気がつかないとその先に大難が待つ
大難は小さなミスで兆しを教えていると思う
だからミスをする自分を責めてはいけない
知らせてくれた「天」チャコちゃん先生はその「気」を
「うーちゃん」と呼んでいる

「アミスしちゃったうーちゃんありがとう」
といっていれば絶対大難はこない

1回目のミスは気がつかない
そのとき気がつくと2回目はない
気がつかないと2回目がくる1回目より重いミス
またそれに気がつかないと更に重いミス
4回目は人に迷惑をかけたりする本格ミス
そして5回目は「ポカ」

ミスの連鎖はこうやって現れる
それは私達人間の成長をウーチャンが望んでいるから

よく
「ピンチはチャンス」とか「失敗は成功の元」
という
ピンチになる前に天はきちんと教えてくれているのだ
其れをキャッチするセンサーは
正しいものを食べ正しい生活をし自然素材の衣服を着る
これに尽きる

そして自分がどう生きたいのか
しっかりと肚に落ち着かせていることだと思う

どうせ人間は必ず死ぬ
死ぬために生きているんだモノ
自分の人生を生きなくてどうする

ミスは自分で気が付かないことが多い
指摘されてはじめて分かる場合が多い
だから人間は1人では生きていられない
1人では成長しない
成長が無いと幸せになれない

年とともにミスを指摘してくれる人がいなくなる
だからこそ人のミスにわが身を振り返るということになるのだろうか
人のミスも自分のもの
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傀儡( かいらい)

2011年09月02日 10時09分02秒 | 日記
今日本の政治家は何かの、何処かの、誰かの傀儡の人が多い
この言葉が出来たのは
藤原忠道の漢詩から
かれは日本国中をジプシーのように動いて生活をし
日本に住んで日本で働きながら
どうやら日本人でなかったようだ

一緒に旅をしている仲間は
男は人形を操り女は春を鬻いでいたらしい

つまり誰かの意思で動く人のことをいう
人形も人間の意志で動かされている
ギリシャでは人形を操るのをククラというので
その言葉が傀儡の語源だとドナルドキーンさんは言う

ある意味傀儡は楽だ
ご主人の意のままに動いていればそれなりに生活できる
目隠しされたまま
左だ右だと運転をしているようなものなので
本人はともかく周りは危険を伴う
はっきりいってはなはだ迷惑

そういう凶器のような車が向かってきたら命を落とすこともある

そういう時代をもう卒業したい
一人ひとりが意思を持って自立した仲間とともにいきたいと思う

大麻の国民会議に出席して
ここに集まっている人たちは
日本の国のために自分に何が出来るかということを
真剣に考えている人たちばかりだった

これからの人生に新に自立した温かい仲間が出来たことが喜び
お互いに自分が出来ることを机の上に並べて
その中で日本に役立つことをやっていこうという姿勢が尊い

この9月10日能登半島門前町で「月見の宴」を開催する
其処から能登での桑の栽培、養蚕や機織、海草の使い方などの
里山改革を始める

麻と絹そして米は縄文時代から日本人の生活の中に
当然のように根付いているもので
先日もこのチャコちゃん日記に書いたが
テレビ東京の番組で「大麻草」のことを「悪魔の草」といっていたが
古い神社、格式ある神社の鈴は大麻草で拵えた縄につるされている

神社でのお祓いやお札に使うものも
みんな大麻草を使っている
テレヴィ東京の言い草だと格式ある神社は
悪魔の草でお祓いをしていることになる

こういう番組も何かの傀儡だと思う
台本に書かれた言葉を鵜呑みにするような仕組みになっているのだろう

チャコちゃん先生も含めて
何かの傀儡になっていないよう日常の行動に注意しなければと思う

組閣が始まったが
傀儡であることに気付かない人が多い

もう少し


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大麻を正しく考える国民会議

2011年09月01日 13時45分04秒 | 日記
昨年ついに麻を考える国民会議が発足し
昨日はその集会がありチャコちゃん先生は始めて参加

日本で始めて大麻の栽培免許をお取になって
30年以上も正しい麻との付き合い方を日本全国に伝えている
中山康直さんをはじめ
大麻所持で逮捕された方の裁判を通して
麻を研究して20年以上の弁護士の丸井英弘先生

そのほかにも麻の利用研究で博士号をお取になった
赤星栄志さん、大麻研究家森山繁成 ノンフイクション作家長吉秀夫さん
多くの方が麻の素晴らしさを研究し
また実際に食べたり着たりしながら大麻の理解を進めている

特に驚いたのは8月21日 19時からのテレヴィ東京の番組
「激録・警察密着ーー」シリーズ15回目
大麻草のことを「悪魔の草」という紹介をしたのだそうだ

大麻草は無害であり、医療効果がいちぢるしいという評価があるにもかかわらず
いまだにその勉強もせず恐怖だけを植えつけるマスコミ
一方的に有害論にたって番組を作るのはどうかと思う

大麻草については
その使い方を制限しているのではなく
あくまで「栽培」が自由に出来ないだけである
どうして栽培ができないかといえば
時の政府はアメリカの石油繊維を優先するという政策に頭をたれただけである

大麻草は
縄文時代から日本に自生しまた育て衣食住全ての素材となって
国民に愛されてきた
そのためいまだに自生している地域も多い
その地域の野生の大麻草を撲滅しようと
税金を使って行政が駆除に乗り出しているが
そういう無駄なことにお金を使わずその野生の麻を有効利用するのが
行政の道だと思う

一万年の麻の歴史の中で
この66年栽培禁止という国の法律は考えさせられる

中山さんはヘンプオイルを使って
一ヶ月北海道を麻の推進のためにキャラバンをし
その報告も感動的だった

いよいよ植物油でデイーゼルエンジンを動かす時代が来たのかと
感無量

松宮隆さんとチャコちゃん先生は
皆さんの助けとご指導を頂
いよいよ能登に麻の里を作る

本格的な打ち合わせがこの8日から始まる
大麻さんいよいよだね
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