二十四節気の処暑にはいった
此れから15日の間に日々秋に近づいていく。そうだろうか、今日はひどく涼しい、新宿は豪雨になるらしい
公園でドングリを拾った、セミの抜け殻もいたるところで見る
自然はいそいそと秋の支度をしている
透けた着物を着るのも次の白露まで、麻の着物もそうだった。しかしこの時代はそんなこと言ってられないかもしれない。猛暑は続くかもしれない。洋服の人がノースリーブを着ている間は透けた着物も良しとしなければ
それにしても自然は確実に秋に向かっている、樹木の葉っぱの先が色づいているし、昨夜の大雨に叩き落された木の葉が、道路に投げ出されている、みんな枯葉だいつの間にか色が変わっている。さぞや葉っぱも暑かったのだろうなあと思いながら踏まないように注意して歩く自分がおかしい。落ちた葉っぱが肥料になるには土がなければならない。彼らも身の置き場所に困惑しているだろう
こうやって人間は自分の都合ばかりを考えて生活水準を上げたと思っているが、植物たちはその陰でじっと我慢。もう共存共栄の日々にしないと地球も黙ってはいまい
だからこそそれぞれの季節を尊びたい、天と地の調和を考察して着物の色や柄を作り出した先人たちの心に沿いたいと思う。自然を理解すると人は謙虚になる。わが先人たちは自然の営みを通じて自分自身を研磨してきたのだろう。それが着物の色や柄に現れている
特に微妙な時間を刻みながら移り行く自然の観察では本来の人間力が養われるはず、レジタル全盛の世界になっても、片方でアナログの力を持っていないと調和の取れた生き方はできない。調和がとれないと苦しむだけ
処暑にふさわしい静かな雨脚を眺めつつ自然とともににいられる幸せをかみしめる休日
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