その和紙は「月名紙」で
弟の山崎桃麿さんが手漉きで作っている和紙
さらに桃麿さんの和紙は
画家の川合玉堂が好んで使う画紙で
桃麿さんも今は草木染作家だが
この頃は玉堂さんの画紙つくりに励んでいた
そういう由緒アル和紙の中から
「真珠のような」布が顔を見せた
どちらかと言うと南洋真珠のような存在感がアル
「縦糸は紫根で横糸は辛夷にしてみたんだけどーー」
淡々とおっしゃるのだが
此処にいたるまでの色の調合は大変だったと察する
のちにこの真珠のきものを着ているとき
あとを継いでいる長男の山崎和樹さんに偶然お会いした
「この着物知ってますよ、同じものは出来ませんね」
おお嬉しい
と思う反面なんと言う無理なお願いをしたのだろうと
チョット反省
しかしチャコちゃん先生その反省もすぐ消えて
焦がしたような黒を染めてほしいとか
銀杏の新芽のような緑が着たい
などなど口から出放題の希望を放つそばから
きちんと其れを受け止めていただいた
特に新緑の緑の色を見つけたときの喜びは大きかった
「あのね、皆に嫌われているブタクサからねこんなきれいな色出たの」
セイタカアワダチソウと言う雑草から
其れこそ銀杏の新芽のような色が生まれた
美しい緑は昔から一つの植物から出ることはなく
黄色の刈安などに藍を混ぜると言う方法が普通であった
其れが一つの植物から取れるのだから
こんな大発見はない
丁度その頃昭和天皇の誕生日が「緑の日」になると言うことだった
早速毎日新聞の知人に
この緑の発見の話をして緑の日の特集になった
青樹先生は
日本の染織の元を書き留めてある
延喜式から日本の色をその記述通りに染めて
立派な書にまとめてあるが
其れが色を志す人のバイブルになっている
お子さん達もあとを継ぎ
一番の愛弟子山岸幸一さんも
青樹先生の姿勢をきちんと継いだ上でさらに伸びている
いい種をまくことの大切さを知る
通夜の席で
走馬灯のように色んな想いが湧き出て
日本の色を愛し育てたその心を私も継いで行きます
とご霊前で誓った
青樹先生と高崎市が作った
高崎市染料植物園では山崎青樹展が常設されている
あの有名な高崎観音のそば
春になったらいっせいに染料の植物が芽吹く
色の勉強に是非足を運んでほしい
弟の山崎桃麿さんが手漉きで作っている和紙
さらに桃麿さんの和紙は
画家の川合玉堂が好んで使う画紙で
桃麿さんも今は草木染作家だが
この頃は玉堂さんの画紙つくりに励んでいた
そういう由緒アル和紙の中から
「真珠のような」布が顔を見せた
どちらかと言うと南洋真珠のような存在感がアル
「縦糸は紫根で横糸は辛夷にしてみたんだけどーー」
淡々とおっしゃるのだが
此処にいたるまでの色の調合は大変だったと察する
のちにこの真珠のきものを着ているとき
あとを継いでいる長男の山崎和樹さんに偶然お会いした
「この着物知ってますよ、同じものは出来ませんね」
おお嬉しい
と思う反面なんと言う無理なお願いをしたのだろうと
チョット反省
しかしチャコちゃん先生その反省もすぐ消えて
焦がしたような黒を染めてほしいとか
銀杏の新芽のような緑が着たい
などなど口から出放題の希望を放つそばから
きちんと其れを受け止めていただいた
特に新緑の緑の色を見つけたときの喜びは大きかった
「あのね、皆に嫌われているブタクサからねこんなきれいな色出たの」
セイタカアワダチソウと言う雑草から
其れこそ銀杏の新芽のような色が生まれた
美しい緑は昔から一つの植物から出ることはなく
黄色の刈安などに藍を混ぜると言う方法が普通であった
其れが一つの植物から取れるのだから
こんな大発見はない
丁度その頃昭和天皇の誕生日が「緑の日」になると言うことだった
早速毎日新聞の知人に
この緑の発見の話をして緑の日の特集になった
青樹先生は
日本の染織の元を書き留めてある
延喜式から日本の色をその記述通りに染めて
立派な書にまとめてあるが
其れが色を志す人のバイブルになっている
お子さん達もあとを継ぎ
一番の愛弟子山岸幸一さんも
青樹先生の姿勢をきちんと継いだ上でさらに伸びている
いい種をまくことの大切さを知る
通夜の席で
走馬灯のように色んな想いが湧き出て
日本の色を愛し育てたその心を私も継いで行きます
とご霊前で誓った
青樹先生と高崎市が作った
高崎市染料植物園では山崎青樹展が常設されている
あの有名な高崎観音のそば
春になったらいっせいに染料の植物が芽吹く
色の勉強に是非足を運んでほしい
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