チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 357

2020年07月29日 19時16分31秒 | 日記

随分古い話だが(すみません)

お片づけをしてると思いがけないものが出てくるので

沖縄が本土復帰をする前沖縄の染織取材に行った

1ドル360円外国なのでオールドパーなどの洋酒やケントという洋もくを買ってくるようにということでお金を預かってい。たしか手持ち現金の額も決まっていたように思う

 

お酒やたばこは帰りに飛行場で購入すればいいので、取材の傍ら目に珍しい沖縄の染織に心奪われた

まず宮古島に渡った

そこで見たものは「人頭税」という石、立つと私の肩ぐらいの高さ、その写真が出てきて一気にその時の様子がよみがえった。その石の背丈を越したら税金を納めなければならない決まり

貧しい人は税金を払えないので足を切ったそうだ。当時は「いざり」という足の短い人がいて不思議に思ったけど、訪ねるのに気が引けて黙っていたら、案内の人がそう教えてくれた

納める相手はどこかと言えば「薩摩藩」さらに宮古上布の工房に行き宮古上布の歴史を聞いた

その時には残っていた織人たちの工場があって、明かりは天井からで電気はない。そこで女たちは薩摩藩の警備の人たちにせかされながら布を織った。しかも天保銭の穴に織りあがった反物が通らないと、罰を与えられたという

そのうえ名前は「薩摩上布」と名付けられていた

 

その話に怒り狂ったチャ子ちゃん先生せめて自分の原稿には「宮古上布」とすると案内の方に固く約束をした

帰って原稿を書いた時お約束通り「宮古上布」と書き進めたら校正から赤で「薩摩上布」と書き換えてくる、その攻防を何回か繰り返したのち、校閲部に行って事の次第を延々演説。ついに「宮古上布」となったが、本が出てからが大変、注意電話が引きも切らず、電話口で縷々説明しても「薩摩上布」というブランドを、こんな小娘に替えられてなるもかと業界の人たちも必死、会社は逆に応援してくれたのだろう細かいことは忘れたが、その時の校閲の人が、電話口に出ている私の肩をポンとたたき、置メモ「がんばれ応援してるよ」。よほど嬉しかったのだろうこのメモも、人頭税の写真と一緒に残っていた

 

琉球絣や芭蕉布、久米島紬、紅型と取材を重ねていくうち、不思議に思ったのが燕の柄、どの着物にも登場をしている、聞くと「海洋に出る男たちを燕になって見守っている」という意味なのっだと教えられ、沖縄の染織が一気に好きになり、預かったお金も染織購入へまっしぐら

帰ってからごめんごめんと謝りながら沖縄での取材模様を話して聞かせ勘弁してもらった

 

最近は妥当しないが、その時長老に聞いた琉球絣の燕は、布の幅に燕が何羽いるかで年齢が分かったそうだ。

だから地色もその年齢に合わせていた

ああー

まだまだいろいろ思い出したわ

 

 

 


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