チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

おくりびと

2017年12月15日 10時29分15秒 | 日記
臆病なチャコちゃん先生は遺体を触るとか見るとかだめ
「枕辺の別れ」はしんどい
両親のときも触れられなかった
どんなに悲しくても遺体に取り付いて泣くというのはないだろうと思う

この怖さはなにから来ているのだろうと考えた
昭和20年7月8日?我が家の玄関に爆弾が落ち
庭の防空壕に入っていた両親と私は危うく生き埋めになるところだった

学校に行っていた姉や兄が戻り爆風で蓋が防空壕に張り付いてしまったのを
一生懸命剥がしてくれて私たちは生き延びた
兄と姉たちの家族を思う心がなければ今頃私はこの世に存在していない

一瞬にして家が吹きとんで無くなった私達家族は
父の実家に行くべく行進
母の背におぶされた私が見たものは街に溢れた罹災者とおびただしい死体

それらを見た瞬間私は「嘔吐」
それから姉の制服のリボンで目隠しをされて家族が交互に私を背負って逃げた
途中何度も見知らぬ人の防空壕に入れていただき難を逃れた

この時の怖さが私を遺体から遠ざける

姉の遺体をまるで愛しい家族のように扱う「おくりびと」
家族の湯灌を避けて逃げ回っていたけど
今度ばかりは長老の私がしっかりしなければならず
いつも家族の「いざ」の時に仕切っていた長姉のその場で
しっかりと遺体と向き合うということを姉に学ばされた

世に役立つ仕事
それは「おくりびと」だと心から思った

怖くて映画も敬遠していたがこれからきちんと見ようと思う

命の尊厳はおくりびとの手に委ねられている

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