江戸解模様と三社祭りが強く結ばれている
先般「東京探訪」で皆さんを浅草神社にご案内した
浅草神社の神紋は三本の魚網
干してあるので干網ともいう
ころは推古天皇の時代までさかのぼるのだが
その頃浅草は海だった
そこで兄弟漁師が毎日網を打って魚を捕り生業としていた
しかしある日
網に掛かるのは木彫りの像が捨てても捨てても掛かってくる
その日は1匹も釣れず困り果てた
次の日も同じ事の繰り返しで
終に網で引いて有識者に相談をした
そうすると其の像は「聖観音様」
有識者は有り難く祀って其れが後の浅草神社であり観音様
兄弟漁師はそれ以降毎日大量の収穫で豊かになり
観音様を大事にしたという
其の話が伝えられ江戸に入ったとき
絵師が三人を干網とし千鳥に蘆の葉、流水の柄を描いて
「江戸解模様」として売り出した
今は見ていないが三社のお役人さん達の羽織が江戸解模様だったのを取材したことがある
海から上がっていらした観音像は槐の木の根に暫く安置された
そのことが有江戸五彩には必ず黄色が含まれる
江戸の人に江戸解模様が愛されたのも
観音信仰の事あってだろうか
先般「東京探訪」で皆さんを浅草神社にご案内した
浅草神社の神紋は三本の魚網
干してあるので干網ともいう
ころは推古天皇の時代までさかのぼるのだが
その頃浅草は海だった
そこで兄弟漁師が毎日網を打って魚を捕り生業としていた
しかしある日
網に掛かるのは木彫りの像が捨てても捨てても掛かってくる
その日は1匹も釣れず困り果てた
次の日も同じ事の繰り返しで
終に網で引いて有識者に相談をした
そうすると其の像は「聖観音様」
有識者は有り難く祀って其れが後の浅草神社であり観音様
兄弟漁師はそれ以降毎日大量の収穫で豊かになり
観音様を大事にしたという
其の話が伝えられ江戸に入ったとき
絵師が三人を干網とし千鳥に蘆の葉、流水の柄を描いて
「江戸解模様」として売り出した
今は見ていないが三社のお役人さん達の羽織が江戸解模様だったのを取材したことがある
海から上がっていらした観音像は槐の木の根に暫く安置された
そのことが有江戸五彩には必ず黄色が含まれる
江戸の人に江戸解模様が愛されたのも
観音信仰の事あってだろうか