
日本の言葉の原点は「和歌」にあるという講義を受け
何でも染まりやすいチャコちゃん先生
帰ったらすぐ古今集や新古今集を紐解いた
そういえば誰かも云っていた
日本を深く勉強をするには「和歌」を読むのが良い
しかしすぐ脱線するチャコちゃん先生
古今集を眺めていて
「そうだ百人一首で秋の歌を見つけよう」
とカルタを取り出す
秋の札を一枚ずつ並べ
下の句まで揃えていたら毎晩10時に就寝と義務つけていたのに
おもしろくって気が付いついたらその時間はとっくに過ぎてしまった
何が面白いって?
秋の句を詠んだひとがほとんど男だよ
まず天智天皇「秋の田の刈り穂の庵のともあらみーーー」
寂蓮法師「村雨の露もまだ日ぬーーーーー秋の夕暮れ」
猿丸大夫「奥山にーーーーー秋はかなしき」
微妙なくを入れれば20首はある
なんと5分の一
しかも男の句
風情があるのか
自然を見る目が深いのか
ゆく季節を惜しむ心根が優しいのか
単なる哀愁か
何故女に秋を詠む人がいなかったのだろうと其れを考えているウチに
すっかり夜更かしをしてしまった
同じ時代清少納言、紫式部、小野小町とそうそうたる歌人が存在している
これは選んだ藤原定家の方に問題があるのかもしれないと
今度は何故この百人を選んだのかが気になってくる
今まだ結論は出ていない
しかしこれも大人になって気が付いたこと
賢い人はもっと早くに気が付きもう結論は出ているのかもしれないがーー
しかしいまは「もののあわれ」にしたる
そう言う時代ではなさそうだ
自分の存在そのものがあわれになりそうだもの