千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「ハケンの品格」を問う②

2007-01-15 23:25:54 | Nonsense
昨年末、勤務先でちょっとした事件があった。
半年ほど前に採用されていて働いていた派遣社員の女性が、月曜日に出社したこなかった。休暇の連絡はなし。本人の携帯電話や自宅に電話しても応答がなかった。次の日も、次の日も本人は出社しないうえに連絡がとれない。40代で独身、実家は近くにあるのだが、アパートを借りてひとり住まいという事で、事件にまきこまれたのか、はたまた急病になって入院して連絡がとれないのか。兎に角このまま連絡なしで休暇、もしくは欠勤というわけにはいかないので、派遣会社の担当者がその女性のアパートを訪問し、管理人から聞きだした斡旋した不動産会社を通じてやっと金曜日に実家の方に連絡がとれた。
もうやめたい、、、そういうことだけだった。
連絡なしで一週間お休みをしたことに関して、社会人としての自覚を改めて問う年齢でもないだろう。単に、ちょっと変わった人だったのかというのがオチだった。
ただその話を聞き、当人の名前を聞いても顔が思いうかばないのである。所属は同じで同じフロアに同居していても、レイアウト上のフロアの仕切り方によって、殆ど顔をあわすことがない人たちが半分いる。洗面所や給湯室でなじみの社員に会えば挨拶や立話もするが、最近大量(といっても50名ほどだが)に入社した”スタッフさん”と呼ばれる派遣社員の方達は、なかなか名前どころか顔すら覚えられない。特に顔をあわす機会の少ない派遣社員の方たちは、いつまでたってもわからない。忙しかったり、仕事での接点がなかったりという理由もあるのだが、これはひとえに他者に関心の少ない自分の性格と怠慢による。派遣社員の方は少数派の社員の名前と顔を覚えてくれるのだから、覚える気があまりないのかもしれない。これはいけない、とつくづく反省もした。

正社員と時給のフルタイムの派遣社員、パートの派遣社員、また月給制の契約社員など、同じような仕事が重なりつつそれぞれの立場や出身会社が異なる人材が共存する現象を課開けるコニューニティは、今日そう珍しくないだろう。
私は同じ女性同士だからこそ、今までそれぞれの立場を尊重し、相手を思いやり、チームを盛り立てつつ働いてきた、、、つもりだった。が、そんな自分に疑問を感じる文章にであった。
「物語三昧」のペトロニウスさま推薦図書、鈴木透氏の「現代アメリカを観る」のなかで、同じくペトロニウスさまがお薦めするアラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉」(1987)を紹介している記述である。ブルームによれば、60年代以降の米国において価値観の多様性は絶対的価値基準の喪失を招き、そうした相対主義はあらゆるものに存在価値を認める一方で、他人に対する無関心を助長する傾向にあるという。自分の価値観をいったん保証された人間は、自分さえ安泰なら他の人の価値観はどうでもよくなり、アメリカ社会はバラバラになってしまうと説いた保守派の教育論が当時ベストセラーになった。

この内容は、実に多くのことを示唆していると感じた。確かに米国という国の成り立ちに興味があったら読むべき著書なのだろう。
カイシャでそれぞれの立場を尊重するというのは、一見理性的なふるまいに見える。しかしひとつ屋根の下の同じカイシャの仲間ではない。つまり相手の立場とは、ここでは身分の上下関係のことを言っているのではない。だったら、相手の立場や働くことの価値観や働き方の相違を尊重し認め合うことは、実は他者への無関心を育てているのではないか。自分の働き方(正社員か派遣社員か)の価値観を保証されれば、他人の価値観はどうでもよいのではないか。
それぞれがめざす道に従ってそれぞれの価値観に基づいた働き方、家庭やこどものために非正社員を選びがちな女性の弱みにつけこんだような雇用体系の多用性は、同じ職場としての求心力に欠けているのは当然なのだろう。
突然出社してこなくなった彼女も、仕事への悩みを抱えていたのかもしれない。働きたくても、きもちがついていかなかったのかもしれない。真相は知らない。けれどもその気持ちを、同じ職場で働いていた誰も気づかなかった。