千の天使がバスケットボールする

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「現代アメリカを観る」鈴木透著

2007-01-18 23:46:54 | Book
アメリカを嫌う人は多い。嫌米感情の理由として、人種差別がいまだに解消されないことや、厳しい競争社会、犯罪の増加と治安の悪さ、不可解な銃撃事件や離婚率の増加。「アメリカは超大国かもしれないが、確実に病んでいる」という認識は誰しも感じるだろう。にも関わらず、病めるアメリカ社会に関心をもつのは、矛盾した国であり、米国の現実はいつか日本もいくつく未来であることから目が離せないことだが、最大の理由はやはり過去の過ちは認め、常に「モア・パーフェクトユニオン」に向けて胎動している国家だからだろう。
「病めるアメリカ社会を観る」というカテゴリーでこの病んでいるが魅力的な超大国アメリカへの道案内をしてくれる「物語三昧」で見かけたのが、鈴木透氏の本書である。

まず歴史の中のアメリカとして、著者は60年代がこの国にとって重要な分岐であると説いている。63年に期待されたケネディ大統領暗殺、学生運動の盛り上がりによる既存の価値観を壊して世の中を変革しようという動きが台頭する。公民権運動、女性解放運動とそれにまつわる性革命という自由と変革もあったが、その一方でベトナム戦争の泥沼化とその後遺症、ウォーターゲート事件と続き、超大国に分裂と混乱をもたらした。
こうした60年代のリベラルな思考も80年代タカ派のレーガン政権時代になると、価値観の多様化が他人への無関心を助長して絶対的価値観の喪失が米国に危機をもたらすという保守派が展開した教育論アラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉」がベストセラーになる。
現代はそうした流れを受けて60年代のリベラリズムの遺産をめぐって、守る側と保守派によるアメリカ社会内部の分裂が激化している。
また米国社会をリードしてきたWASPも、過半数を割る時代が確実にやってくる。分裂の危機をのりこえて、きたるべき人口の構成変化の時代にふさわしいアメリカ文化の鍵を握っているのが、アメリカ的歴史感覚、統合のシンボルとしての人間像を生み出すための想像力/創造力、多人種的国家の統合をめざすメディア、すなわち映画という文化表現媒体であるというのが本書の主旨である。

本書が書かれたのは8年前であるが、平均して月に一回は映画館に足を運ぶのが一般の米国人だそうだ。この数字は日本人4倍にあたる。映画は米国人にとって娯楽であり、誇るべき大事な文化でもある。
「フィールド・オブ・ドリームス」「ダンス・ウィズ・ウルブス」「フォレスト・ガンプ」「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」などの映画を通して、新しいヒーローを登場させ、過去を掘り起こし未来へ伝え、アメリカの歩みはなんだったのかと米国人に説いている。これまで何気なく観ていた映画だが、確かにこれらの米国映画には米国らしさが常につきまとう。登場人物を個としてとらえるのではなく、物語の背景もとらえることがより深い鑑賞につながるということが本書でよくわかる。その時代の空気感を判りやすく反映しているのも米国映画であり、ややその発想も単純な印象もする。
ペトロニウスさまも「善悪二元論の克服がアメリカ映画人の大きなテーマであるのではないか?と語っているのは、慶応義塾大学の鈴木透先生」と伝えているように、善玉悪玉の対立の図式がはっきりしていたのが、これまでの米国映画の特徴だった。
そういった単純な図式をぬけだし、人種間の対立をこえたニューヒーローを求めて国民統合の武器としての映画の価値を高めることが今後の課題であろう。
「モア・パーフェクト・ユニオン」という夢を追いかけるのが、米国の使命なのだから。
そしてアメリカ人にとってこの国は、統合の完成を夢見る「物語の途中の国」なのだ。


「性と暴力のアメリカ」